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富農はどうして剣道場を開くことが出来たのですか。
江戸時代の身分制度、士農工商の中では、名字帯刀が許されたのは武士のみだったはずなのに、どうして農民の身分である富農は、剣道場を開くことが出来たのでしょうか。たとえば、農民出身の近藤勇は実家に剣道場があったということです。「富農」と「道場」でGoogle検索すると、「名主・富農層が自宅に持つ小道場によって。。。」のような記述がたくさん見られますが、理由や背景を探し出すことが出来ませんでした。 よろしくお願いします。
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名字帯刀が許されたのは武士だけだったというだけで、農民等が剣術を修行するのを禁止していたわけではありません。 また、近藤勇達がそうであったように、武士に対する憧れも有ったでしょうから、余裕がある豪農等が道場を建て、子弟に剣道を習わせることも有ったのです。 江戸時代も末期になると、御家人株を売り出し、金で武士になることもありました。 そういう御家人等のほうが、幕府に対して忠誠が篤かったといいます。 金さえあれば道場を開くのは簡単でした。 許可は金で何とかなりますし、浪人も多かったので、師範等も希望者は多かったと思います。
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動乱の空気を肌で、感じていた庶民の需要が供給をもたらしたのかと思います。 最初は、ひとり、ふたりでやっていたところに、人が押し寄せて・・・。という感じではないのでしょうか。 積極的に打って出る派から、防御派まで、理由は、いろいろでしょうが。 人数が集まれば、才能のある人物も出てくるでしょうし。
お礼
ご回答、ありがとうございました。 動乱の世の中で、起きたこととも言えるようですね。 ありがとうございました。
- PENPENMAKKY
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> 江戸時代の身分制度、士農工商の中では、名字帯刀が許されたのは武士のみ これが間違いだからです。武家とは殿様に登用された家のことです。農家や商人で優秀な人材は登用されています。小作人ではない農家には苗字がありますし、商人にも(有名なのでは住友・三井ですね)苗字はあります。刀も2尺未満は誰でも携帯できます。 > 剣道場 江戸時代には剣道場はありません。剣術道場です。我々は今、剣の道と言えば剣道を思い浮かべますが、あれは大正年間に生まれた武術で、フレンチフェンシングに日本の剣術にある諸手剣捌きを加えたものです。 剣術・槍術は地域の村を守るためにあちらこちらで研究・教育がなされていました。特に現在の西東京はいざとなったら将軍様を守る農兵になるため盛んだったそうです。
お礼
詳細なご回答、ありがとうございました。 遠い昔、学校の歴史の教科書から多少思い出す程度の知識しか持っていませんでした。その当時から専門書には出ていたのか、その後、研究が進められていったのか、とにかく、勉強になりました。ありがとうございました。
お礼
早々にご回答、ありがとうございます。 お金がキーワードですね。 ありがとうございました。