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士農工商の謎
士農工商の謎 士農工商は江戸時代の身分の序列を表すという考えは虚構であり、統治階級としての武士は別格として、農工商の間には身分の序列はなかったというのが教科書でも採用されている知識だそうです。 とすれば、序列論はだれが言い出したのでしょう。wikiやokwave過去問によると、歴史家だとか明治政府だとか候補者が挙げられています。しかし、明治時代には、まだ旧幕の記憶が生々しく、事実に反する言説がそのまま通ったとは考えられません。 江戸時代でも、中国古典を盲信する儒学者のなかに商工業を蔑視する言説があったことは確かなようですが、殖産興業を目指す明治政府がこうした考えに固執するとしたら、これも奇妙です。むしろ反面教師とする意図があったというのが自然ですが、間違いだという生き証人がたくさんいるのに、そんなバカな真似をするでしょうか。 できれば、典拠を添えてご教示ください。
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- cyototu
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回答No.1
お礼
丁寧な回答をありがとうございました。 また、参考に挙げられた文献、どれも60年近くの昔、大学院受験のため読んだ記憶がよみがえり、懐かしくなりました。なかでもノーマンの著作は高校時代に出版され、その鮮やかな分析に大いに影響されました。その後、ノーマンと親しかった先生の薫陶をうけ、さまざまな逸話をうかがったこともありました。 私自身の専門が移ったため、60年代以降の「士農工商」見直しについて知識が欠けています。やはり確実な典拠を知りたいものです。この問題については『身分と格式》(日本の近世第7巻)所収の朝尾直弘論文を読みましたが、明治以降については触れられていないので、あえて質問した次第です。
補足
たとえば、網野善彦氏は、江戸時代を士農工商という身分秩序が支配したとする見方を、明治政府が作り出した虚構であると一蹴しています。しかし、具体的な指摘はありません。上杉聡氏は、士農工商の初見は明治7年であることを見出していますが、その後、この見方を流布したのがだれか不明です。 部落史の研究者である中尾健次氏は、学校教育で士農工商が取り上げられるのは、融和教育が始まった昭和初期だと指摘しています。確かに、ここまで時代がさがると幕末のことを記憶している人は少数でしょう。 私自身は、農本主義と関係がないのかと考えています。残念ながら、退官して田舎暮らしを始めたので、資料に当たることが困難です。農村にすむと、農本主義の残滓がいたるところに現れるので、関心を抱くにいたりました。まだ確かめたい点が多いので、もう暫くこの質問をオープンしておきたいと思います。