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士農工商の謎

士農工商の謎  士農工商は江戸時代の身分の序列を表すという考えは虚構であり、統治階級としての武士は別格として、農工商の間には身分の序列はなかったというのが教科書でも採用されている知識だそうです。  とすれば、序列論はだれが言い出したのでしょう。wikiやokwave過去問によると、歴史家だとか明治政府だとか候補者が挙げられています。しかし、明治時代には、まだ旧幕の記憶が生々しく、事実に反する言説がそのまま通ったとは考えられません。  江戸時代でも、中国古典を盲信する儒学者のなかに商工業を蔑視する言説があったことは確かなようですが、殖産興業を目指す明治政府がこうした考えに固執するとしたら、これも奇妙です。むしろ反面教師とする意図があったというのが自然ですが、間違いだという生き証人がたくさんいるのに、そんなバカな真似をするでしょうか。  できれば、典拠を添えてご教示ください。

みんなの回答

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.1

残念ながら、私は典拠を上げることが出来ませんが、 >間違いだという生き証人がたくさんいるのに、そんなバカな真似をするでしょうか。 に関してなら、一言いうことが出来ます。そんな真似をすることができるのです。 貴方は、歴史を考える上で基本的なことに失敗しているようです。人間がやることで今から見ると一見馬鹿馬鹿しいことでも、必ずその裏には合理的な理由があるのです。それを探るには、現在の常識で考えずに自分の心をその時代の人になったと想像して考えなくてはなりません。 明治政府は自分たちを正当化するために、江戸幕府のやって来たこと全てに対して、時代遅れなものとして徹底的に攻撃したのです。そこで、旧幕の事情を知っている幕府の元幹部達は、巷に隠れて表に出て来ませんでした。従って、明治の初期の段階で、幕府に関する、司法、行政、立法、将軍の日常生活から大奥、勘定所、評定所、目付、町奉行、外国奉行、代官、町与力等に関する知識が急速に失われて行ってしまいました。 その証拠に、その旧幕時代の制度の実情が忘れ去られるのを惜しんだ東京の史学会会員の有志が、旧幕勤仕の故老達を招いて10回にわたって聞き取りを行い、その記録を残す努力をしました。その全内容が、『旧事諮問録』としてまとめられております。岩波文庫で手に入ります。大変に面白い本です。この記録は江戸幕府の制度と諸役職の実情を語る文献としては一番有名で、利用価値の高い歴史史料とされております。 このように、たとえ生き証人がいたとしても、その人々は市井に隠れ住んでしまったので、史学会会員の有志がこの聞き取りをするとわざわざ決めなかったら、その情報の多くは後世の人々に永久に知られずに失われてしまったのです。 どの国でも、以前の権力を潰して新たに起こった権力は、いつもそれ以前の権力のやったことを糞味噌に言って、人々を洗脳することが比較的容易に出来たのです。事実、上でも書いたように、明治政府も江戸時代を大変遅れた非民主的、非文明的な時代として大宣伝をして、その結果、学者も含めて昭和の初期中期まで多くの日本人をそのように思い込まされておりました。しかし、戦前当たりから外国の学者達が明治以降の日本の驚異的な発展の根源を探り始め、その原因が江戸時代の先進性にあったことを指摘し始めました。そのため、その外国人達から教わった日本人の学者達が、戦後になって江戸時代の先進性に気付くようになっております。従って、その外国人達の努力のお陰で、現在の日本の学者さん達も以前とは大分意見が違って、江戸時代の先進性を高く評価するようになりました。 その辺りの事情は、戦前に書かれた 『日本における近代国家の成立』 (岩波文庫) E.H. ノーマン著 や、戦後間もない頃に書かれた、 『徳川時代の宗教』(岩波文庫) R・N・ベラー著 を参考にして下さい。

blackhill
質問者

お礼

 丁寧な回答をありがとうございました。  また、参考に挙げられた文献、どれも60年近くの昔、大学院受験のため読んだ記憶がよみがえり、懐かしくなりました。なかでもノーマンの著作は高校時代に出版され、その鮮やかな分析に大いに影響されました。その後、ノーマンと親しかった先生の薫陶をうけ、さまざまな逸話をうかがったこともありました。  私自身の専門が移ったため、60年代以降の「士農工商」見直しについて知識が欠けています。やはり確実な典拠を知りたいものです。この問題については『身分と格式》(日本の近世第7巻)所収の朝尾直弘論文を読みましたが、明治以降については触れられていないので、あえて質問した次第です。

blackhill
質問者

補足

 たとえば、網野善彦氏は、江戸時代を士農工商という身分秩序が支配したとする見方を、明治政府が作り出した虚構であると一蹴しています。しかし、具体的な指摘はありません。上杉聡氏は、士農工商の初見は明治7年であることを見出していますが、その後、この見方を流布したのがだれか不明です。  部落史の研究者である中尾健次氏は、学校教育で士農工商が取り上げられるのは、融和教育が始まった昭和初期だと指摘しています。確かに、ここまで時代がさがると幕末のことを記憶している人は少数でしょう。  私自身は、農本主義と関係がないのかと考えています。残念ながら、退官して田舎暮らしを始めたので、資料に当たることが困難です。農村にすむと、農本主義の残滓がいたるところに現れるので、関心を抱くにいたりました。まだ確かめたい点が多いので、もう暫くこの質問をオープンしておきたいと思います。 

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