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何もない空間の木が倒れたときに音は発せられるか

何も無い空間があります。そこに1本の木があります。その木が何らかの原因で倒れました。木が倒れたとき、倒れた音は発せられたでしょうか? この質問は10年くらい前に友達から出されました。意味がわかりませんでしたが、木が倒れたんだから人っ子一人いない空間であれ、木が倒れたという事実はかわらない、なので物が倒れたときには音がでるはず、ということで音は発せられると友達に言いました。しかしその友達は、いや音は発せられなかったといいました。なぜか聞いても、哲学的には音は発せられないらしい、自分もなぜかはわからないが友達から聞いたと言っていました。 質問の意味がわからないかもしれませんが、10年くらいずっと疑問に思っています。何かよい知恵があればお教えください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.17

私たちが「音」をどういった意味で使っているかが問題なのでしょう。 恐らく問題は「誰もいない所で木が倒れたとき、音はするか?」でも変わらないでしょう。 そもそも木が倒れたときに発せられる音とはどのようなものなのか? 現代社会では木が倒れるのを目の当たりにする機会は少ないです。でも私たちはその音を想像できますよね。 テレビで見たことがあるのかもしれませんが、それも音声をすり替えることが出来ます。 ではキコリはどうでしょうか、毎日木を切り倒しているとしても全てが同じ音でしょうか? 私たちはその木が倒されたときの実際の音は分かりません、しかし何か音はするだろうなとは想像できます。 このような意味で音という言葉を使うとき、音とは人間が感じるものという条件があります。 ですから人間がいないのならば、音もないですよね。 これは哲学の一分野の考え方です。 これに対して物理学では同じ「音」という言葉が違う意味で使われています。「物体を通した縦波の力学的エネルギー」と定義され、人間が聴き取れない音波も含みます。 ですから人間にかかわらず音があると言えます。 ただし全ての哲学者が上のように考えているわけではありません。 言いたいことは、あなたが何をもって「音」だと定義するか次第で音は聞こえるとも聞こえないとも言えるのです。

その他の回答 (16)

  • kigurumi
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回答No.16

No.8です。 >何もない空間と書きましたが、たぶん木以外に地面も存在してありとあらるゆものが存在します。 >誰も見ていないし聞いてもいない木が倒れた事実はあります。 >その時音は存在していたか・・ ナゾナゾではなく、やはりそちらの方でしたか。 じゃ まともな答えとして 「音は発せられた。」です。 常識というか、、、 友人がある人の「みて、月がとても綺麗」と言ったところ、ある人は「どこそこ?」と窓から下を覗いたそうなんですね。 ありえない・・・・ それを見た友人は唖然としたそうです。 何故ある人は窓から下を覗いて月を探そうとしたのか。 山に登っていたので、高いから月は下にあると思い込んだらしいです。 で、月がその場合特殊な出現をしたのではなく、そのある人の思考が常に特殊で世間の常識とはかなり食い違っているのが下に月を探した原因。 知的、、、にも問題があったかもしれませんが、学習能力が著しく低く、人が100を常識としてなんなくこなすことが、全てにおいて間違いを犯してしまう。 くらいの常識が欠けている人でした。 だから、山に登ると月は下界に見えると思いこみ下を探したらしいです。 理屈はわからなくはないですが。 万有引力の法則は、既にあった自然の摂理を、あらためて注目したわけですが、その前はりんごは時々枝から離れると上空に上っていたか? タイムマシンに乗って確かめなくても、我々は自信をもって、「んなわけない」と答えることができます。 確かめてもいないのにわかる事例です。 今回の場合、観察者が居ない状態の時でも、木が倒れると音がするか  だと思います。 観察者がいなくても、月はずっと存在していることは疑いもないのと同様、音はする。 記録映像で木を切り倒す場面。 撮影現場に我々はいません。 放映された時間に過去を観るわけです。 伐採現場の記録映像で、木が音もなく倒れていく映像を我々は見るでしょうか? もしそうなら「あの・・・ 木を切る電動ノコの音はしますが、どうして木が倒れる時 音しないんですか?」などおかしいと思うはずです。 「月は美しい」と思う人もいれば「ぶきみだ」と思う人もいる。 主観の違いで、印象は観察者の捉え方に依存する。 でも、木が倒れる時 音がするかしないかは、観察者の主観に依存しない。 人が音を知覚できない生き物なら、そもそも音という概念は存在しない。 ほとんどの人が音を聴覚で捉えることができるので、木が倒れた時音は発せられる は常識としていいと思います。 というか常識です。 この問いは、聴覚障害の人について論じていないので、音は発せられた でいい。

  • onioncat
  • ベストアンサー率30% (185/601)
回答No.15

NO.1です。みなさんの回答を読ませていただきました。 つまり、簡単にこの質問への回答だけを述べると、 「誰も聞いてなかった音を、存在したと証明することは誰にもできない」 つまりそれは、「存在しなかったと同じ=存在しなかった」ということですね。 証拠不十分というわけです。 たとえば、誰も知らないところで、小さな惑星Aが生まれて、消えていったとしても、誰もその惑星Aが生まれたことをしらないから、その惑星Aはなかったということになる。 今、私は仮定として「惑星Aが存在したかのように」話していますが、 私自身は知らないし、他の誰も知らないという設定ですから、誰もその惑星Aの存在があるかどうか知らないわけです。 つまり、惑星Aは存在したと証明することは出来ず、「惑星Aは存在しなかった」と結論づけられるわけです。 音もこれと同じ発想だと思います。どうでしょうか。

  • nisekant
  • ベストアンサー率11% (13/112)
回答No.14

「誰もいない森で木が倒れました。音は発したでしょうか?」みたな感じですと哲学書に載ってましたが? 全てがある空間とは、更に意味不明だと思いますが?何故なら、我々は全ては認識できませんし、世界は変動していますから!

  • nisekant
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回答No.13

真空とは、人間認識において「何もない」とされるのであって、真空は何もない空間ではない。

mellow91
質問者

お礼

まあそうですが、問題なのでご勘弁を。

  • magga
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回答No.12

私見です。 何も無い空間に木はないでしょう。 しかも我々は何も無い空間を認識できませんし知りません。 よって成り立ちません。 お役に立てたらうれしいです。 ~あなたが幸せでありますように~

mellow91
質問者

お礼

まあそうですが、そういう問題と思ってもらえれば・・・そうしないと問題がなりたたないので・・・

  • baritsu
  • ベストアンサー率10% (40/366)
回答No.11

うろ覚えですが、私が聞いたのは何も無い空間ではなくて、『森の中で木が倒れた時に、その音を聞いた人間がいなくても、音がしたといえるのかどうか』という感じだったかと思います。 この例え話は、誰も認識できていないという事は、何も起きていないことと同じというような事を論ずる為ための話だったと思うぞ、多分。

mellow91
質問者

お礼

そう言われれば、森の中の木が倒れたときにというような質問だったような気がしてきました。誰も認識できないのは何も起こっていないのと同じ事・・・言っていることはわかりますが、起こった事実はかわらないのだから、やはり音は存在していたと私の脳みそが解釈してしまいます。 例えばビッグバンが実際にあったことと仮定すると、ビッグバンを確認した生物というのはいません。しかし実際ビッグバンが起こったときに、ものすごい音がしたと思います。なので観察者はいないが、音はその時確かに存在していたと解釈してしまいます。 難しいですが、なんとなくわかりました。ありがとうございます。

回答No.10

自然科学は論じられないが、何も無(な)い空間とは勿論、伝達するいかなる物質もないということで、時間もないということになろう。時間を伴わない空間ということで、それが、日本語では虚空、ヒンドゥではアカシャが該当するとすれば、いろんな説明者がいるが、そこには全てが存在しながら、針一本がおちる音もない。だからそういう創造以前の原初の空間には何らの音、大木の音もない。

mellow91
質問者

お礼

時間は存在していると思います。何もないというのは間違いでした。全てが存在します。木も地面も空気も。ただ観察者、聞く対象者がいないのです。

  • pojipoji
  • ベストアンサー率32% (53/161)
回答No.9

引用のみですが、このような考え方もあるかと思います。参考にしてください。 『そこに含まれている語の意味が明らかにされることに解決されるような言葉の上の議論である。 ここでは、鍵となる語は「音」である。もしあなたが、機械に録音することができるような音波(空気の交互の圧縮化と希薄化)について話しているのなら、その木が倒れるのを聞く誰かがそこにいるかいないかに関係なく、音はあるといえよう。 だがもし、音に関する経験―音の感覚―を意味しているとすれば、論争している両者は、音を経験する誰かがそこにいなければ、音に関する経験はあり得ない、ということに同意するであろう。「音」という語が二つの異なった意味で使われているのだということがひとたび明らかにされれば、論争は解決されるのであり、議論すべきものはもはや何も残っていないということになる。』 (分析哲学入門1意味論 ジョン・ホスパース氏著 斉藤哲郎氏監修 西勝忠男氏/中本昌年氏訳 法政大学出版局)

mellow91
質問者

お礼

わかったようなわからないような・・・言っていることが難しすぎて自分の脳みそが理解してくれません。でもなんかこれが解答のような気がします。ありがとうございます

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.8

その質問が、ナゾナゾだとすると、簡単に答えられます。 「音はしない」 宇宙戦争映画で、宇宙空間で、どっかんどっかん戦っているのを見て、我々は光と音のスペクタクル映画を満喫しますが、ん?とふと思います。    音は空気によって伝わるはず・・・。 「真空の宇宙において、何が振動を伝えて、人間が聞える領域の音を鳴らしていると、この映画は設定しているのだろう????」 うるさい視聴者ですね~ 汗。 「イメージ イメージ そんなこと気にしないで雰囲気を楽しもう」と言われそうなので、映画を見ていても言いませんが。 何もない空間。 誰も観察者がいないって意味じゃなくて、何も無い、つまり音を伝える物質の無い場所に、木を「えいーー」って投げ込んで、「さいならーー」ってロケットで立ち去ったとき、、、、、 あら? 、そのまま 木は放出された方角に永遠と・・・・・・ 倒れるとかの問題じゃないですね。上下も無い世界。(さらにうるさい) と屁理屈はこのへんで、、、、 木は音を発しない。 何故なら何も無い空間は真空だから。 真空では音は伝わらない。 どの友達が、不確定原理について言っているのだったら、また違った回答になるかも。

mellow91
質問者

お礼

確かに真空で音は伝達されないのでスターウォーズみたいな真空で音がしないのは当然ですよね!当然だけど今言われて気づきました。何もない空間と書きましたが、たぶん木以外に地面も存在してありとあらるゆものが存在します。もちろん空気も。どんなタイミングで木が倒れたかはわかりませんが、誰も見ていないし聞いてもいない木が倒れた事実はあります。その時音は存在していたか・・やっぱり自分はいくら考えても存在していたと思ってしまいます。

  • 8942
  • ベストアンサー率13% (188/1414)
回答No.7

ならば哲学的には木も倒れない事にならないか?  てか木が存在してよいのだろうか? 木が倒れた事には哲学的にはOKで 音がでる事には哲学的にはOKでない?

mellow91
質問者

お礼

それを言ったら問題が成立しないのでご勘弁を・・・

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