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世界大戦の軍事的及び政治的意味とは
2つの世界大戦における軍事的意味と政治的意味について調べています。 軍事的意味はなんとなくわかるのですが(総力戦、大量破壊兵器、など)政治的意味は何でしょう。 考えてみたのは、植民地支配から経済面での支配への変化、民主主義拡大の動きなどですが… 何か教えてくださるとありがたいです。お願いします。
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- 畑山 隆志(@deltalon)
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個人的な見解ですが、当時はそれまでの封建国家が行き詰まり、血筋や親の七光りではなく、すべての人間の平等なスタートラインが想定され、今に言う近代国家への助走段階での戦争だったのではないかと考えています。 第一次ではプロシャの貴族制が粉砕され、みんな平等の意識から、共産主義運動への同調が始まり、世界中へ拡散します。それまでの仏でのギロチンによる貴族弾圧や、露の革命、英でのフェビアン協会などによる、平等への動きが活発化しますが、これらが今我々の知る平等と違うのは、どの社会にも中心になる力が、当時ははっきりと存在した事でしょうか。そのため近代国家と称される国々は、すべからく強い求心力で国民を統合してゆく事になります。これが延長され、想定された究極の政治形態が「統一政府(世界政府)」でしたが、今では話題にも登らなくなってしまいました。 やがてそれぞれの中心からのマネジメントの領域が重なるにつれ、境界面での摩擦が発生してゆきます。最近たびたびニュースになる、国境線画定の源流です。人口も増え(これが大元という意見もある)、今後の食料、エネルギー不足への不安が、より多くの土地を求める政治的圧力となって政権を作り、動かすようになってきます。当然、相手と一体化しようとするには、同じ制度を押しつけるのが手っ取り早いので、見方によってはシステム同士の覇権の取り合いという面もある。 特に独は、今で言う公共投資を航空機産業に集中する事で、景気浮揚と再軍備を同時に成し遂げ、さらに宣伝技術で周辺国を煽る事で緊張を高め、軍拡という名の投資活動で欧州をヒートアップさせます。 一方、太平洋では明治以来負け知らずの押せ押せ帝国軍と、海洋国家として太平洋の完全管理を目指す国が衝突します。太平洋を中心に見れば、やっと明治に始まった太平洋航路上、初の大戦争ということになります。 最期に、中国は日本から見れば、不景気にもかかわらず膨れ上がる人口のはけ口を、欧州の植民地政策の真似で解消しようとし、一方米国も、植民地的なイメージ(資源と市場の宝庫)と見ていたため、日米の狭間での混乱と思えます。 ちなみに私見ではありますが、米国の最終目標=ユーラシア全域の管制、制御はこの頃から始まっていた様な気がしています。
- bossnass
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先に海外植民地を持った国(イギリス・フランス)と領土拡張を成し 遂げた国(ロシア)。 その国々に、後から国力を伸ばして植民地を得たい国(ドイツ・ オーストリア)が、挑んだ戦いが、第一次大戦。 第一次大戦のリベンジと、東方への領土拡張と共産主義打倒を求めて 軍事行動に出たドイツと、その野望阻止を目論むソ連・イギリス・ アメリカの戦い。 そして、その争いに、国益を中国に求めた日本が乗っかった状態が 第二次大戦。 政治的な観点や、経済的な観点、イデオロギーなどから見たら 色々な側面があるのですが、要素を削りに削ったら残るのは そんなところではないでしょうか。 第二次大戦の前半は、ほぼヒトラーの戦争でした。 日本は、その勢いに乗っかって次々に戦略目標を増やしていきました。 後半は、米ソの主導で進みました。 イギリス・フランスはそこに必死にしがみついて既得権の延命を 追求するのみとなりました。
- fujic-1990
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太平洋戦争に限って言えば、植民地の自立というか、アジア人の自立へのきっかけになったのではないでしょうか。 これまで「絶対に勝てない、彼らが主人で自分たちは従僕だ。もう決まったことなのだ」と信じて疑わなかったヨーロッパ人が、同じ肌の色の日本人に敗北、降伏する姿を見て、自分たちにもやれると思ったアジア人、特に指導者層の人は多かったようです。 戦後、再びアジアを支配統治しようとしたヨーロッパ人は、目覚めたアジア人支配に失敗しています。 それに対して、第一次世界大戦の、アジアにおける意味あいは薄い、というか、ほとんどないんじゃないでしょうかねぇ。パットは思い出せませんねぇ。国際連盟の抱いた理想なんて、全然影響があったようには思えないし。 日露戦争あたりだと、むしろ日本の勝利にトルコあたりが大感激して、自分たちもロシアに勝てるという自立心を高めたように聞いていますけど。(トルコには今でも、東郷ビールなんてビールあったり、トーゴーさんという姓の人がいたりするらしい・・・ らしい) ヨーロッパ史は全然詳しくないのですが、第二次世界大戦におけるドイツ敗北によって、戦後の資本主義対共産主義の対立が決定的になったのではないでしょうか。
- EFA15EL
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ものすごく大雑把な話をすれば(そして現在の地点から見れば)、近代化がもたらした地球の縮小化に対する新秩序を得るまでの騒乱であった、と言えるのかも知れませんね。 この戦争前後で衰退した国、急成長した国、それぞれの大戦の対立軸、冷戦への流れを見れば答えが見えてくると思います。