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政治体制と経済体制について(高1です)

 いつも大変お世話になっております。  質問したい内容ですが、  1.民主主義は政治体制?  2.資本主義、社会主義、共産主義は経済体制?  3.自由主義とは政治体制?経済体制?  4.民主主義と自由主義の関係は?  以上です。ネットや教科書で調べたのですが、はっきりしません。  特に、3と4がよく理解できていません。  よろしくお願いします。

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回答No.2

政治と経済の2軸で社会体制の枠組みを捉えるというのは、よく使われるモデルですね。 80年代までは、左派と右派、資本主義と共産主義、保守と革新、というように、2項対立で捉えることが多かったのですが、冷戦が集結して以降、特に保守と革新という対立項が意味をなさなくなる場面が多くなりました。 日本でも、旧社会党や共産党を革新と呼んだりしますが、もっとも占領体制以降の戦後体制を頑なに守ろうとする保守的な思想を持っている人たちですよね。 一方で、日本維新の会は思想的には伝統を重んじているように見えますが、戦後体制を破壊し尽くそうとしているという意味で、革新と呼んでいいと思います。 そこで、経済と政治的立ち位置の拠り所として、ポリティカル・コンパスというようなものが使われたりします。 http://sakidatsumono.ifdef.jp/draft3.html ここでは、政治的右派とは、家族や伝統を重んじ個人の自由よりも公益を優先します。体罰が好きだったり夫婦別姓に反対します。自由とは際限なく認められるものではないと強調します。政治が個人の行動に干渉することで社会が良くなると考えるため、道徳教育を重視します。 政治的左派は同性愛や伝統的でない家族形態を許容し、公益よりも個人の自由を重んじます。日本ではあまり論争になりませんが、キリスト教圏では堕胎を容認します。個人の自由が抑圧されることを嫌い、言論・思想の自由を大事にします。体制とは個人の自由と対立するものなので、政治権力はもっと弱まるべきと考えます。 経済的右派とは、市場原理を重んじます。富裕層への重課税は経済発展を阻害すると考えています。規制を緩和し、個人が自由に経済活動を行うことによって、社会に活力が生まれると考えます。経済に政治が介入し、結果の平等を重視するより、機会を平等に与えた上での自由な競争が大事だと思っています。人々は能力に応じた報酬を得られる、と考えています。税金はなるべく少なく、公共事業も少なくしようとします。 経済的左派は、大企業や市場が力を持ちすぎると、弱者から搾取する傾向にあり、国民は不幸になると考えます。自由な経済活動よりも、福祉を充実することで社会がより良くなると確信しています。機会平等の競争社会からこぼれ落ちた人を救う必要があると考えています。究極的には、人々は必要に応じて国からものが貰える、という共産主義に行き着きます。いわゆる、大きな政府を志向し、税金を増やすことが好きです。 さて、3のご質問ですが、政治的左派は政治的自由を重んじ、経済的右派が経済的自由を重んじます。 4の質問ですが、けっこう難しいですね。民主主義とは、国民に主権があり、自由主義だろうが共産主義だろうがそれを選ぶのは国民が決めればよいという考えです。一方で、独裁政権が経済的自由主義に基づいた社会体制を築くこともできます。 ただ、国民主権にもとづいた自由を拡大していくと、国民だろうが外国人だろうが誰でも政治参加の自由を認めてしまうことになり、結果として国民って誰?ということになって社会は混乱したりします。 また、民主主義でとても良いことのように思いますが、民主主義に基づいた選挙で選ばれた人で構成された議会で他の国に核ミサイルを撃ったり他の民族を根絶やしにすることも決めることができたりします。 第2時世界大戦後の先進国における政治体制は、どこかの間でバランスを取ることによって、いずれも極端にならないような努力をします。この努力は、議会制民主主義によって担保されます。 つまり、極端な自由主義を推し進めて脱落者が増え、貧困率が増大した場合、貧困者が投じる票によって、自由は押し留められ、増税と福祉の拡充が行われます。 逆に、福祉や増税、政府機関の膨張が過剰になることによって経済成長が鈍化することで不満が募ると、社会保障費のカットや減税を謳う政党が票を伸ばします。 こうした関係を、古くは17世紀の政治哲学者、ホッブズはリバイアサンという本で、こんな感じのことを言っています。 「人間は自然の状態では争い事が絶えず、混乱してしまう。この自然状態は誰からも本来妨げられることのない自然の権利だが、争い事を避けるために、人々はこの自然権を国家に渡し、そのかわり社会の安定を求めるべきだ」 これが、社会契約説という有名な学説です。自由を制限することで、少々窮屈な思いをしても、他人からいきなり殺されたりする社会はイヤでしょ?といっています。実は、この時代は絶対王政の時代であり、王様の権力を正当化するために使われているのですが、現代でも、国家と個人の関係は似たような感じですよね。 それより以前はどうだったかというと、王様の権力は神様からもらったんだから根拠なんか必要ねえ!という乱暴なものでしたので、契約という正統性を付与する仕組みを考えたという点で画期的なものだったのです。ホッブスの時代は契約も何も勝手に決められていましたが・・・今はもうすこし穏当な方法、つまり投票という方法で王様、つまり政府を選んだりできますね。 さらに、18世紀に起きたフランス革命では、人権という概念が広まりました。人間には本来天賦の人権というものが備わっていて、誰からも侵すことができない、盗ったり盗られたり原理的にできないものだという考えです。実際はそんなことはないのかもしれませんが、こういう概念を導入することで、王様からむやみに税金を盗られたり土地を奪われたりしないということが認められるようになって来ました。 こうした考えが力を持つ背景には、王様一族が無理やり奴隷からものを搾取するよりも、個人の自由を拡大し、奴隷から市民になってもらって商売相手になってもらったほうが儲かるという市場経済の存在があります。絶対王政の時代には、豪遊しているのは貴族だけで残りは貧民、ただ税金を納めるだけの悲惨な状態でした。でも、市場経済で最も重要なのは、市場の拡大です。奴隷が毎日の労働で疲労困憊するよりも、彼らが好き勝手に遊んだり飲み食いすると市場が広がり、儲かるのです。 この原理にもとづいて経済活動を行なってきた人たちが、政治権力を握り、軍事力を握っていったのが近代の歴史であり、彼らは自由を愛します。なぜなら、儲かるからです。儲かる人は、傭兵を雇ったり市民を味方につけることができたのに対し、生産力の基盤を持たずただ人民からお金を巻き上げていた人たちは次第に力を失っていった、というわけですね。 長々と適当に書きましたが終わる気がしませんのでここらへんにしておきます。頑張って勉強してくださいね。

kunkunken
質問者

お礼

guess_managerさん  ご回答いただきありがとうございました。  (お礼が遅れ大変申し訳ございませんでした。)

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その他の回答 (1)

  • raski
  • ベストアンサー率34% (140/403)
回答No.1

 教科書が一番だとは思いますが、  これらの事は数々の研究者が議論してきたことなので、  信頼性が確立している、文献に当たる事。です。  とりあえず広辞苑、ブリタニカ百科事典とか、  wikipediaもこの方面の事はとっかかりになると思うけど。何十年も使われ続けている辞書や事典で裏付けを取ってくださいね。  1.民主主義と民主制は違います。政治体制なら「民主制」  2.「主義」は「体制」ではない。  3.もう少し頭の中を整理してください。辞書くらい引けるでしょ。iPhoneでも引ける。  4.民主主義がいつ生まれて、自由主義がいつ生まれたかすぐ調べられるでしょ。   そうしたら両者がどのような歴史的経緯で発展してきたものでどのように影響をあたえあって来たか 理解できますよ。  便利すぎて、何が信頼できる情報かわからなくなっているのでしょうか。  少しわかってきたらもう一度教科書に戻るといいです。    僕の言ってることだって信用してはだめです。必ず裏付けを取ること。  

参考URL:
http://www.yamakawa.co.jp/product/detail/172/
kunkunken
質問者

お礼

raskiさん  ご回答いただきありがとうございました。  (お礼が遅れ大変申し訳ございませんでした。)

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