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素朴な質問が複数あります。
昔(江戸時代から以前)の15歳の人はなにをしていましたか? やっぱり家庭の事情とかで農業とかやっているのでしょうか? もうひとつは、昔(↑と同じ年代)のひとは歯は磨いていたのでしょうか?だとしたらどうやって磨いていたのでしょうか? 最後に、この「お金、または現金で商売をする」というシステムはいつ、どこのだれが作ったのでしょうか? この三つです。最後の質問はおバカな質問ですがよろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
(1)武士の子供は元服しても家督を継ぐまでは学問や武芸の修練をしていましたが、本当は遊んでいたのでしょう。商人の子供や農民の子供や職人の子供はもっと小さい頃から働いていました。 (2)房楊枝というもので歯を磨いていました。茄子のへたの黒焼きなんかを磨き粉にしていたようです。房楊枝はブッダが推奨していたとされています。 (3)商売は、亡国の民である商(殷)の人々が行ったので、商人となったといいます。貨幣は貝でした。
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- nemosan
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回答No.2
>15歳の人はなにをしていましたか? 昔の農村や漁村などの集落(共同体)では、15歳位になると実家を出て「若者組(若者衆)」に入ります。 そこで男女別々の合宿所(若者宿や娘宿)で共同生活をしながら、先輩から村のルールや仕事を学び、 結婚が決まったり年齢が過ぎると独立します。 http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%BC%E3%BC%D4%C1%C8/detail.html?LINK=1&kind=epedia
質問者
お礼
回答ありがとうございます。 若者組というのがあったんですか。ある意味学校みたいな感じですね。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 (1)やるべきことはしてるけど結局は遊んでいたのですね。 (2)房楊枝ですか・・・ふさようじと読むのでしょうか?茄子のへたの黒焼きって今ではぜんぜん考えられませんね。ブッタって仏教のゴータマ・シッダールタのことですよね。 (3)中国の殷ですか。中国の文化などを日本が取り込んで商売が始まったのですね。貨幣が貝とは!貝によっては光ってるものもあるのでそれかな? 回答してもらった内容でいろいろググってみたらいろいろわかってきました。ありがとうございます。