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ハゲを恥とする感覚について
現代では男性のハゲは大半の人にとって忌避されており、 故にカツラや育毛関係の産業は商売になっていますが、 いったいにハゲが恥だという感覚はいつからあるのでしょうか? 江戸時代には多くの人が月代を剃っており、いわば意図的にハゲにしていたわけですから、 やはり明治以降になるのでしょうか? また江戸時代より前の時代におけるハゲの捉えられ方はどうだったのえしょうか?
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ハゲを嫌う風潮は、諸外国に較べ、日本が一番ひどいようです。 私は若い頃から相当のハゲでしたが、日本ではダメでも、外国では結構もてました。 一般に黒毛の黄色人種は、ハゲがすくなく、そのなかではげると、例外者として嫌われる? これに対して茶髪の白色人種にはハゲる人が多く、目立たないから嫌われることも少ない?。 江戸時代までさかのぼらなくても、ほんの数十年前までは、今のようにハゲが嫌われ、ごまかしのためのカツラをつけるなど、想像も出来なかった。 たいした肥満でもないのに、痩身がはやり、なんでもかんでも流行猿真似、これすべて商業主義に乗った業者の戦略。エコノミックアニマルと称される所以のように思われます。 ハゲを嫌う悪しき風俗は、拝金主義が終焉を迎えつつある現今、徐々に改まっていくでしょう。
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- javawater
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私も同様の質問をしていたので、こちらをご覧下さい。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3785018.html ハゲを恥としている指標の一つに「カツラ」が存在したかどうかがキーになっているようです。 また、ローマ時代のカエサルはハゲていたようで、上記の質問ではカエサル自身ハゲが「恥ずかしい」かどうかは分かりませんでしたが、少なくとも現代の塩野七生女史自身は恥ずかしいものとして捉えられているようです。
- takuranke
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いつから恥となったかは知りませんが、月代は意図的な禿ではないです。 月代は兜の造りの変遷により、兜を被ると蒸れ易くなったため、頭髪を剃ったのが始まりと言われています、鎌倉・室町時代では、戦がない平時のときは、みな総髪だったそうです。 江戸時代はファッションの一部だったとも言われています。 信長は秀吉を揶揄するのに禿げねずみと称したので、その時代でも禿げは笑いの種だったのかもしれません。 ヨーロッパではルイ13世(1601-1643)が22歳にして頭髪の後退が進行していたそうで、それを気にして鬘を着用することになったそうです、そしてそれを見た廷臣たちが気まずかったのかは判りませんが鬘を着用するようになったそうです。 一説によるとユリウス・カエサルは禿げを気にしていたそうです。 凱旋時、お抱えの第十軍団長が「市民達よ、女房を隠せ! 禿げの女たらしのお通りだ!」とパレード中に連呼し、凱旋時の通例だとしても、 (シュプレヒコールをするのが通例だったそうです) その内容はあんまりだからやめてくれと言ったと言う話があります、ただ、禿げを嫌がったのか女たらしを嫌がったのかは不明です、両方かもしれません。
- PENPENMAKKY
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この30年です。 私見ですが、カツラ業者が儲ける為に 「ハゲ=格好悪い」 とマスコミを使って煽ったとみています。 尚、カツラ自身は江戸時代にもありました。髷が結えないと職業上まずい方々がいましたので… 明治時代に入って上級武士は髷カツラから解放されたのが最高のヨロコビだったそうです。