武田軍団が織田軍を破ったとしても『天下人』にはなれなかった。と思います。
何故なら武田軍団のみで織田勢力の領地を統括する事は物量的に無理がある。と判断するからです。
何より武田の本拠地は甲州で、京とは距離が在り過ぎます。
信長の様に京周辺で事態が起こった時即座に対処出来ません。
つまり、信玄が京都に居る間は周辺の小勢力は大人しくしているでしょうが、一旦京都を離れたら武田には従わなくなる事が予想されます。
信玄が本拠地を甲州から動かす事は主力となる軍勢を捨て新たに軍団を再編成しなければなりません。
そうなると他勢力に対抗する為の力が0になるか、もしくは畿内での小勢力を拠り集めて力を再建するしかありません。
旧来の武田軍団の「鉄の結束」が畿内勢に適用出来るとは思えない故に信玄は「天下人」にはなれない。
成れたとしてもその地位を維持出来ない。と推測します。
仮に信玄と信長の直接対決が成ったとして戦場は美濃の岐阜城周辺
全軍団を美濃に集結させられない程敵に囲まれた信長とは言え、不要な戦闘は避け、動員出来るだけの兵と鉄砲で岐阜城に立て篭もれば信玄とて足踏みせざるを得ないハズ。
そうやって時間を稼いで北条や上杉に武田の背後を脅かす様にもっていけば、事態は信長有利に働きます。
ましてや武田軍は遠征軍ですから兵站の確保に難があるのは明白。
三河で家康に止めを入れていないのですから兵站の運ぶにも障害が0%になった訳でもありません。
信長も苦しいでしょうが、信玄も一気決戦に持ち込めない場合は相当に厳しい状況に追い込まれます。
また、信玄が信長の首を上げたとしても、信長包囲網の一翼を担った「将」の立場であり、足利義昭が信玄を如何に扱うか?は推して知るべし。です。
つまり、武田軍団としては犠牲は多いものの信玄自身が即天下人になれる保障はどこにもない。と言う訳です。
小生が武田信玄の一番優れていると思う点は「工夫により」破綻寸前の後進国甲斐一国から『戦国時代最強』と言われる軍団を作り上げた手腕です。
信玄が甲斐の事実上の宗主になった時の国の実情は相当に厳しいモノでしたが、天下に認められる程の軍団を創出するに至りました。
クセのある軍団ではありますがその強さは天下屈指。
信長の様に経済力で押し切るのではなく、様々な工夫を凝らし軍団を運営増強していった所は素晴らしいと思います。