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武田信玄が捕虜の身代金を
戦国時代ならいざ知らず、現在のわが国には身代金も奴隷もありませんと、とある漫画にありました。 織田信長や豊臣秀吉は戦争で捕獲した捕虜の身代金をとってたんですか? マンガだからてきとうですか?
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- eroero4649
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18世紀くらいまでは世界中割とどこでもよくあることでした。戦国時代も「こうこうこういう人を預かってんだよね」という手紙が残っていたりします。ただ、そういう身代金対象になるのは小物というか、低くはないけれどそんなに高いわけではないって人だったようですよ。あまり身分が高すぎると家臣に対する悪影響が大きいですからね。そこまでの人物なら「切腹して家の名誉を守れ」ってことなんでしょうね。 城が落城したときに、その城に逃げ込んでいた非戦闘員の女たちを女郎屋に売り飛ばすってこともあったようですね。これは周辺地域への恫喝も含めているでしょうね。「我々に逆らって落城して捕まると、女郎として売り飛ばされるぞ。嫌ならば我々の軍門に降れ」ってね。 今だって例のISが身代金を要求して、一部解放された人たちがいますよね。誰も「身代金を払った」とは口にしませんが、身代金を要求したISが人質を解放したのは事実です。 ちなみに日本では誘拐されたら犯人と家族が交渉するということはあり得ませんが、中南米のように警察が腐敗していて体をなしてない国もありまして、そういう国では誘拐ビジネスが横行しているそうですよ。その身代金は日本円で30万円程度ってこともあるそうです。
- m-twingo
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信玄、謙信などと信長、秀吉は考え方が違い、どちらかと言うと信玄、謙信は最後の中世の武将。信長、秀吉は近世の最初の武将と言えるのじゃないかと思います。 ですから信玄、謙信などは負かした敵の重臣、名の通った武将クラスを捕虜にしたのなら、講和後に返還する条件として身代金を取った可能性はあるでしょうね。 これが足軽程度の雑兵や女性などでしたら、奴隷としてうっぱらっていましたし、器量のいい若い娘などは、武功を上げた部下に恩賞として与えていました。 一方、信長などは戦の相手は一族郎党根絶やしにするくらいに苛烈な合戦をしていましたから、捕虜を取るなんてことはほとんどなかったのじゃないでしょうか? 逆に秀吉は敵対して打ち負かした相手でも、自分にとって必要な才能があると思えば、自分の家臣に取り立てていまし、秀吉がキリシタンの禁教令を最初に行った時の直接の理由が、博多で南蛮船の視察を行っているときに若い農民の女性の奴隷が船内に拉致されているのを見つけて激怒し、それによって禁教令とパードレの即日国外退去を命じたと言う例がありますので、信長、秀吉以降の近世ではそういったことは徐々になくなっていったのではないかと思います。
- doraneko66
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身代金目的か、情報の引き出しか、目的によると思います。 織田や秀吉なら、優秀な忍者もいただろうから金を取りに行くかも知れません。 徳川家康なんかは、幼少期から織田の捕虜や今川の捕虜としていた時、やはり身代金を取られていたと思います。