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人の評価を気にしないようにできるか

自分で良かれと思っていることを90パーセントくらいの意識度で、人の評価を10パーセントくらいの意識度でという具合にいかないでしょうか。そうすれば随分らくだと思います。「キレ」るやつ(私もその傾向がある) はどうもそういうことがうまくいかないのではないでしょうか。 また、その考えはやはりまずいでしょうか。普通に人の評価を70パーセントくらいの重要度で生きる事が、大局的に見て必要でしょうか。

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  • chitta1
  • ベストアンサー率32% (274/834)
回答No.2

人の評価を気にしないことはパーセンテージではかれるモノではありません。 仕事や経験から自信や確固たる確信をもって取り組む。 馬耳東風して成果をあげることにより、周囲を納得させる。 そうなってくれば、一時的に評価されることが、人生の通過儀礼の一つで、誰でも同じ経験をすることを知ります。 人の評価を聞き流されず、ムキになって怒ったり、気をとられてやることをやらないなら、全く成長しないし「あいつはやっぱり・・・」と更に低く見られます。 評価に流されず、今出来ることをやれば、その人たちも理解してくれる ・・・人生ってそんなものです。 経験を積んで悟る事が、他人の評価を気にしなくなる近道です。 切れる人は、精神的に赤ちゃんのままで、社会的に自分がどう振舞えばいい生き方ができるのか自己分析できないのだと思います。 怒る、ちょっと荒々しい言葉を使うことで権勢をはったり、カッコイイと勘違いする人もいますが、それは幼く理知でじゃない人ってことかも。 知識と経験、言葉で自分の心を伝える能力があれば、切れる必要は何もないはずです。

noname#32495
質問者

お礼

結局は、自分のみ自分を評価できるということになってしまうのかもしれませんね。その自己研鑽が結局は他人の評価となっていくのでしょうかね。

その他の回答 (5)

noname#194289
noname#194289
回答No.6

目的によると思います。人それぞれ自分の世界に生きていますから意見が同じだといっても、あるいは評価が一致してもひとは常に孤独です。また評価が低いからといってそれに特別の理由があるわけではないと思います。評価が高くても同じことが言えますが、なぜかひとは評価が低いときだけを気にします。あなたの言う%というのが私にはよく分かりません。

noname#32495
質問者

お礼

評価の低いことを必要以上に気にしてしまう!この落とし穴にはまらないようにしたいです。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.5

回答になっていなかったらごめんなさい。 目的と手段をきちんと理解しておく必要があるのではないでしょうか。 努力は目的でしょうか。それとも手段でしょうか。これをきっちり分けることは人間には難しいのですが、目的をきちんと把握しておけば他人の評価もプラスに考えることができると思います。他人の評価をきちんと分析して受け入れる所は受け入る、とすればパーセンテージはそれほど問題にならないようにも思います。 言うほど簡単じゃないですけどね。

noname#32495
質問者

お礼

自己管理的な目標設定と行動計画ですね。それって、やはり大事なんでしょうね。心理的な楽になるためにも。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

「>自分で良かれと思っていること」の「思っている」というのが問題になるはずです。 その考えにどの程度まで自信を持っているのか、という点を明確にすることが(自身でも)なかなか難しいということが一点。 もう一点は、他人から全く評価されないのであればまだしも、他人から疎まれるような事柄をも良かれと思って実行できるものなのかどうか、ということです。 本当の信念に基づいているのであれば、「>自分で良かれと思っていること」99.99%で突き進むべきでしょうし、そのために「キレる」ことが必要な場合だってあるでしょう。 (当然、キレないほうが得策という場合もあるわけですから、その判断は必要になりますが) ただ、信念は固まっていないが人の評価だけは受けたいと思っている場合も、焦りが生じて「キレ」につながることもあるように思います。 結局、「キレ」は理解してもらえないことへの苛立ちですよね。 一概には言えませんが、信念は一挙に貫く性質とは縁遠いもののような気がします。 「本当に必要なこと」を達成するための見通しをある程度立てる必要があるかもしれません。 よほどの慢心が無い以上、人の評価は一参考意見としてゆとりを持って受け入れられるでしょうし、何%ぐらいなどと気にする必要はなくなるように思います。 自信をもって歩んでいればこそ他人の(悪い)評価を100%認めることも可能になるのではないか、という気がします。 無論、必要がなければ1%だって気にすることはないのですが、その必要性自体が自身の成長と共に変化していくわけですから、いずれにしても臨機応変な柔軟性は求められることになるのでしょう。   

noname#32495
質問者

お礼

土台は、自己完結作業みたいなもので、それにある程度可塑性を持たせつつ進んでいくという姿勢ですか。自信があるない確信があるないの割合で持って、行動と心構えを変化させていく、難しいですね。

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.3

目標を自分で決め、達成方法を自分で考え、行動を自分で起こし、進捗を自分でチェックし、必要なら自から判断して修正する。そうすれば、他人の評価に影響される度合いは10%以下にできると思います。

noname#32495
質問者

お礼

自己完結作業ですね。それがやはり大事ですか。

  • papiyonys
  • ベストアンサー率30% (53/174)
回答No.1

結果を分析してみる必要があるのではないですか。 自分が良かれと思って行なった結果に問題があるなら、人の評価を聞く必要もあるでしょう。問題がないなら気にする必要はないでしょう。 多分、人の評価が気になるのでこの質問をして来ているのでしょうから、 気にするなと言っても難しいのでしょうか。 それなら、悪い評価を受けてもポジティブに解釈するように考えてみてはどうでしょうか。切れやすいという評価であるなら、物事に対して情熱的だとか、繊細な内面をもっているなどと解釈してはどうですか。 性格は直すのは難しいが性格のよい面を伸ばすのはそれほど難しいことではないと思います。

noname#32495
質問者

お礼

自画自賛というか、自尊心というか、健全な範囲で持たないとやっていられませんよね。よくわかります。

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