- 締切済み
他人への評価が安定しない場合
私は友人や知り合いに対して、ちょっとした要因によって 彼らへの気持ちや思いがかなり上下に変動することがあります。 どういうことかと申しますと、例えば普通に仲の良い友人関係にあるのに、 びみょーにちょっと「ん?」と思うようなこと(=自分とは感覚が違うことを言われたり、行動されたりする)があると、「ああ、この子とはやっぱりある程度以上は仲良くなれないかなー」と思ってしまったり、 異様にその人の言った言葉尻を捕らえて(直接その人には言いませんが)自分の心の中でその人の行動に批判的になり、その言葉を反芻しては怒りを感じたりします。 そうかと思うと、別の日に会った時はやはり楽しくて 「ああ、やっぱりこの関係を大切にしたいな」などと思います。 前回は心の中であんな批判的なことを考えてしまって、そんな自分が恥ずかしいとも思ってしまいます。 反対にいつどんな時でも、全く評価(この言い方もなんか嫌なのですが、便宜上使わせていただきます)が変わらない友達もいます。 その人が何を言おうと、その言った言葉がどんなに自分の考えと違ったり、 感覚が違うなと思ったとしても、その人を尊重するというか全く私が彼らに対する気持ちがブレない人もいます。この違いって一体なんなんでしょう。 心の中で批判したり、気持ちが会うたびブレる人に対しては、無意識に私が見下してるのでしょうか。 何を問題にしてるかというと、そうやって人への評価が時と場合によって変わってしまう自分の心が苦しいのです。 完璧主義的傾向にあるのでしょうか。すべての人を受け入れたり、 反対に受け入れられるなんてことはないとは思いながらも、汚い気持ちを持ってしまうのが嫌なのです。 これを読んでくださってる方で、そういうことある、もしくはそんなことはない、はたまたこう考えれば良いなどのアドバイスがあったら是非よろしくお願いいたします。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- emim_kk
- ベストアンサー率22% (4/18)
そういう事は私もあります。 表現がすっごーく難しいのですが… 評価が安定している人=自分の中で、制覇した人 評価が安定しない人=自分の中で、まだ制覇しきっていない人 みたいな感じです。 この場合の「制覇」は、自分の中で相手の評価が確立している状況をさします。あくまでも「自分の考えの中で」です。 なので、まだ相手の評価が確立しきっていない人に対しては、自分の考えの中での葛藤(受け入れる・許せる)があって、見下しているというよりかは、もっと知りたい・わかりたいという欲求の裏返しのような気がします。 …上手く表現できなくてすみません。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
こんにちは。 「われらに罪を犯すものを、われらが許すがごとく、われらの罪をも許したまえ」 という有名な言葉があります。 あなたが他人をジャッジしてしまっているのは、残念ながらあまりいいことではありません。 しかし、それと同様に、他の人も、あなたをジャッジしたり、あなたにいやな思いをさせたり、ということはあると思います。 あなたの心の苦しみが解き放たれたいなら、 そのような出来事をも、許してさしあげてはいかがでしょうか。 そういったことを繰り返していくうちに、あなたは、やがて他人をジャッジすることが少なくなっていくことと私は信じます。
お礼
お礼が遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。 そうですね、自分がジャッジする苦しみを解き放ちたいなら、 他の人が私をジャッジするのを許す。 確かに自分はたくさんジャッジしているのに、 人からのジャッジは快く思いません。 その辺りを自分なりに繰り返し経験して、何かを得たいと思いました。 ありがとうございます。
あーあるです、あります。自分の事かと思ったくらい ちょっと仲良くおしゃべりしてても、たばこポイ捨てなんかされたら冷めますね 逆に喫煙者(ごめんなさい、個人的に嫌いなんです)でも、 ちょっとお年寄りに優しくしているところを見て「本当は良い奴なのだ」なんてエラソーに思ってみたり まあ実害はないので良いんじゃないでしょうか (心の中でやるぶんには) 友達としてのお試し期間みたいなものでは?
お礼
お礼が遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。 そうですね、確かに実害はない(笑 私もたばこに限らずポイ捨てはNGです。 お試し期間、いい言葉ですね。 ありがとうございます。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
誰にでも「多かれ少なかれ」ある気持ちなのだし、深く考えることも無いのではないですか?。 私にも、そういうことはたくさんありますし、また、ありました。 年をとってくると、そういう事柄にだんだん「鈍磨」になってくるもので、最近はあんまり気にならなくなりました。 後は、詰まる所「他人の評価よりも自分磨き」のほうが、楽しいし、重要であることに気づいたこともあります。 社会、というか世の中簡単には変わりません。変えることが出来るのは精々が自分の性格や考え方くらいです。 自分が「どう生きるのが面白いか」という議題を持つことは、人生の中盤を過ぎ、終末の影がちらちらと視界を横切り始めると、重要なことになってくるのです。 いろいろな「自分との対処の仕方」はあるのですが、あなたは精神的に「お強い方」(失礼!)と思いますので、ひとしきり自分自身と「戦って」みるのもいいかな、と思います。 「光明」は必ず見えますし、やってきます。 「なーんだ、こんなことでいいのかぁ?」と、簡単すぎるくらいシンプルなものが本当の「答え」です。 それを「つかむ」ことは貴重な人生の宝物です。いってみれば、その「機会」を神様からいただいている、と言えなくもありませんね。 「人に優しく」は「自分に優しく」と繋がる言葉です。 試練はあります、が、無駄にはならない、と理解してください。
お礼
お礼が遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。 力強いお言葉ありがとうございます。 私もシンプルなもの、答えを見つけたいです。それを見つけるための「機会」なんですね。そう考えると力が出てきました。ありがとうございます。
お礼
お礼が遅くなってしまい、申し訳ございませんでした。 制覇! ものすごく前向きで感銘を受けました。 もっと知りたい、わかりたいという欲求の裏返しとは考えてもみなかったです。むしろ気持ち的にはもう知りたくない、わかりたくないって感じに近いですから(笑 一人ひとり制覇していけば、苦手な人なんていなくなる図式に仕上がりますね。私も試してみます。 ありがとうございます。