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『鋸挽きの刑』 本当に通行人が挽いたのか?
江戸時代の一番厳しい刑罰は『鋸挽きの刑』だと云われています。 私は残酷なことは好きな方ですが、自分や家族をヒドイ目に遭わせたわけでもない罪人の首を、挽く気にはとてもなれません。 ほんとうに道行く人が、首から下が土に埋まっている罪人の首を挽いたんでしょうか。
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いつもお世話になっております。 私も何かお役に立てないものかと色々調べてみましたところ、ものの本に以下のように書かれたところを見つけました。 『主殺しなどに適用された極刑で、罪人を一日引き回した上で首のみ出した形で箱に入れて埋め、刀傷による血を付けた竹鋸を側に置いて二日間晒した後に刑場で磔にされた。古来は往来の者に「首挽候真似」をさせていたが、慶安年中に実際に挽くものが現れたため、その後は鋸に血を付けて晒すことに、さらには単に鋸だけを側に置くようにした。』 どうやら慶安の頃に不届き者があったようですね。ある程度平穏な時代が続くと、いつの世も少し感覚が麻痺したような人々が出現するものなのかもしれません。 何か少しでもお役に立てれば幸いです。
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- amosnoopy
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鋸挽きで処刑されたというと信長を狙撃した杉谷善住坊が有名です。 ドラマ「黄金の日日」で、彼の処刑が取り上げられてました。 それによると、通りがかりの人は1挽きづつしなくてはならなく、それを断ると同罪になるので仕方なく、弱弱しく挽いていったそうです。 しかも、皆その道を避けるようになるから、通行人も通らなくなり、体力も消耗し少しづつ、少しづつ首が切られるのはまるで蛇の生殺し。 ドラマでは、彼の友人が思いっきり挽いてとどめをさしてあげました。 下記はWIKIPEDIAの記述です。 鋸挽き(のこぎりびき)とは罪人の首を鋸で挽く公開処刑の刑罰。中世および近世の日本で行われた。 復讐刑としての意味合いも強く、縛り付けた罪人の首に浅く傷をつけ、その血をつけた鋸を近くに置いて、被害者親族や通行人に一回か二回ずつ挽かせ、ゆっくりと死なせる刑罰であり、江戸時代より以前には実際に首を鋸で挽かせていた。 だが、江戸時代になると形式的なものになり、土の中に埋めた箱に罪人を入れ、首だけが地面から出るようにした上で3日間(2晩)見せ物として晒した(穴晒)。その際、罪人の首の左右に鋸を置いていたが実際に鋸で首を挽くことはなく、晒した後は引廻しをしたうえで磔とした。元禄時代に罪人の横に置かれた鋸を挽く者がおり、慌てた幕府はその後、監視の役人を置くようにしたという。 江戸時代に科されていた6種類の死刑の中で最も重い刑罰であり、主人殺しにのみ適用された。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 杉谷善住坊については下記をご参照下さい。 http://www.k3.dion.ne.jp/~ninken/06sugitani.htm
お礼
江戸期より前は、通行人もひと挽きしなければ、同罪になるんですね。こりゃ大変です。 江戸期に入るとかなり形式化されたようですね。 よくわかりました。ありがとうございました。
- 風車の 弥七(@t87300)
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戦国時代から本当に有った刑罰です。 竹で出来た鋸で通行人が首を引きました。 引かないと通行人も咎に問われたみたいです。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 タケの鋸は切れにくいですから、余計厳しいものになりますね。 挽かないと通行人が叱られるとなると、その道は避けなければなりませんな。 ありがとうございました。
お礼
わざわざお調べいただきありがとうございます。 「首挽候真似」ですか。常人ではやっぱり挽けんでしょうな。 私は家で飼っていた卵を産まなくなったニワトリを、自分でつぶして食べたことがあります。他人がさばいてくれた肉は旨いですが、自分が殺した奴は、さすがに食欲はもう一つ湧かなかったですね(笑)。 そんな残酷人間ですが、鋸挽きはチョッと挽く気がしませんので、質問させていただいたわけです。 慶安の頃に挽いた奴がいるとすると・・・。 酒に酔った乱暴者が数人で通りかかり『お前、挽く度胸あるかい?』、『そんなもの、挽いてやろうじゃねえか』・・・こんな調子でやっちゃったのかも知れませんね。 ありがとうございました。