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土壇場の絵?

土壇場の絵? 土壇場は刑執行後に試し切りする為の土壇と思い、現在の使い方と大きく異なると思っていました。刀屋さん曰く、又辞書では穴の横に土壇を作り、その上に罪人を座らし執行するとあり、刀屋さんは写真見たと言います。改めてNETで探しても、試し切りの為土壇に乗せられた、首のない罪人や首のある罪人の絵ばかりで、穴の横に土壇がある様子の絵は出てきません。通常の土の上やムシロの上に座っています。 絵または写真?ご存知の方教えて下さい。 個人的には、生きたまま土壇場で試し切りしたケースもあり、それが現在の使われ方になったのでは?又1枚土壇場で縛られた首付きの罪人の絵もありました。

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回答No.2

見つかりませんねー。 斬首の首が落ちる穴は、四角く掘って木枠をつけ普段は蓋をしていたりと毎回穴を掘るようなものではなかったので、当初はともかくその内に土壇はなくなったのかなとも思いましたが、次のようなものも見つけました。 この雑学シリーズはあまり信用のならないものが多いのですが、どうでしょう。 http://matome.naver.jp/odai/2141584213137119201

441moe
質問者

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有難う御座います。 土壇に生きたまま乗せ、2人で切る絵が「生き胴」なので、土壇場ではまだ生きてるおり、 現在の使い方と矛盾しません。生き胴の存在、絵が分かりました。辞書の穴の横の土壇云々はどうやら過ちのようです。

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  • fumkum
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回答No.3

『古事類苑』の「法律部」に「死罪」という項目があって、その中で「死罪方法」との小項目に次のように出ています。 囚人の名を聞、答候得バ直に場所凹之前、俵こもの上、草履をぬがせ据ゑ、手伝人足之腰之小刀をもつて、切縄之背結び目より襟の下江上げ、咽喉縄切捨、着もの引下ゲ、肩を出させ、手を添へ首を延させ、手を引、首討役町同心討レ之、 この文章の右に絵図があって、囚人が今にも斬られる姿があります。その説明文に次のようにあります。 穴について=此所ヲ血溜ト云 平常ハ蓋ヲスルナリ 囚人について=説明は無く、上記の囚人の様子と同じようですが、顔に紙のようなもので目隠しされ、穴の前のムシロに座らされており、手伝人足三人と書かれた人物三名に、後ろから押さえられています。ただし、ムシロのある地面は盛り上がっていません。 「様斬」の小項目に次のような記述があります。 当日御様し場江土壇弐ケ所築、検(本文はテヘン)使場江薄縁敷検使場より御様場迄砂を敷、検使場脇物置、山田朝右衛門並手代弟子共居所にいたし、例剋前揃ニ而、御仕置相済、一同詰所々々江来ル、右之内、死骸御様場内江入、首を添置、 『アルベール幕末日本図絵』の絵は次のようになっています。 説明文=囚人の処刑として、小伝馬町の牢屋敷で行われた斬罪。刀を振るうのは牢屋同心。左方の俵には処刑された屍体をいれてある。 人足は2名ですが、囚人を左右やや後方から押さえつけています。鉢巻状のもので目隠しされ、首切り同心は囚人後方で刀を抜こうとしています。この同心の位置では首を落とせないと思いますが、絵画的な構図かとも思います。囚人は地面に直接座らされていて、ムシロは無いようです。また、地面は平坦で土壇ではありません。穴はムシロのように描かれています。また、説明文にあった俵も描かれています。 その他の絵を見ても、首を切られる囚人が座っている場所が、土壇になっているものは見ていません。そこで、注目されるのが穴について「此所ヲ血溜ト云 平常ハ蓋ヲスルナリ」とあることです。つまり、首切り場が常設されていることを示します。また、幾種類かの牢屋敷の図を見ても、同じ場所に四角で示され、「死罪場」「土壇場」と書かれており、常設だった可能性を裏付けています。何年かに一度は作り直されるのでしょうが、最初に穴を掘ったときは、掘った土を盛り上げて土壇にしても、その内に平らになってしまうのではないでしょうか。そうなっても土壇場という名称だけは使われたのではと想像します。江戸時代も長いので、時期により変化もするでしょうが。 なお、えぐい話ですが、首を切った後に手伝人足は、囚人の首を穴に向けて下にし、体をもんだり、振ったりして血を出させるので、様斬の場所ではほぼ血が無い状態で、様斬場では土壇を築いても、穴は掘りません。 以上、参考まで。

441moe
質問者

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有難う御座います。 土壇に生きたまま乗せ、2人で切る絵が「生き胴」なので、土壇場ではまだ生きてるおり、 現在の使い方と矛盾しません。生き胴の存在、絵が分かりました。辞書の穴の横の土壇云々はどうやら過ちのようです。

回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 土壇場・・・。 あなたは、どこかで勘違いをされています。 刑場で穴を掘り、やや一段高く土を盛り、筵を敷き、斬首の刑の罪人が座らされる場所を「土壇場」と言います。 筵に座らされた罪人が暴れたりする場合は「非人」が数人で罪人を押さえつけて刑が執行されます。 その筵の上に座らされたら、どんなにあがいても逃れられないこと、つまりは、もう後には引けない「切羽詰まった状態」や「最後の決断を迫られること」を土壇場と呼ぶようになりました。 また、試し切りのために、わざわざ別の穴を掘ることはしませんし、それを土壇場とは言いません。 試し切りは、通常、斬首された罪人の胴体を丸太の棒を立てて、そこへ吊るして試し斬りをします。 場合によっては、罪人が斬首されると「死後硬直」が始まりますので、首を斬り落とした穴に橋渡しにして行う場合もありました。 従って、Webサイトなどで検索したとしても、あなたの勘違いされている絵図は出てこないと思います。 >>又1枚土壇場で縛られた首付きの罪人の絵もありました。 その絵が土壇場なのですよ。

441moe
質問者

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有難う御座います。 土壇に生きたまま乗せ、2人で切る絵が「生き胴」なので、土壇場ではまだ生きてるおり、 現在の使い方と矛盾しません。生き胴の存在、絵が分かりました。辞書の穴の横の土壇云々はどうやら過ちのようです。

441moe
質問者

補足

言葉では穴の周りあるのですが、質問に記載の通り、罪人の座っている下が土壇になっていないのです。試し切りの土壇場は80cm程の土壇が築かれています。 穴の周りに土壇を築いた絵を探しています。 辞書が間違っていると思うのです。元々穴の周りには土壇は無く、試し切りの土壇があり、面倒なので刑の執行と試し切りを同時にしたケースがあり、現在の使い方になったのではないかと思います。後世生きたまま試し切りするのは残酷なので、穴の残土も土壇としたのではないかと想像してます。辞書の通りなら穴の周りの土壇の絵が直ぐ出てくると思います。それを探しています。

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