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なぜ残虐な刑は禁止されているの?
現在、江戸時代に行われていた「市中引き回し」のような残虐な刑は禁止されていると聞きました。 それはどのような理由で禁止されているのでしょうか? もしそれが人権に関わるものだとすれば、なぜ命を奪う「死刑」は認められているのでしょうか? 私は個人的な意見として「極刑が死刑」という制度に反対で 現在において死刑に値するようなひどい犯罪者はどうせ死刑にするぐらいなら その犯罪者が「死んだほうが100倍マシだ」と思うような厳しい罰をそいつが寿命を全うするまで与え、心から自分の行った行為を悔いるようにしてもらいたいです。宅間守のように「俺は反省なんかしない。早く殺せ。」といったような態度で望んで死刑を受ける奴もいる事を考えると、必ずしも今の極刑が被害者の方が本当に望むものではないとも思います。 過激な意見だったかもしれないですが、回答の方よろしくお願いします。<m(__)m>
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私もあなたと同じようなことをよく考えたものでした。 はっきりいって、犯罪者サイドから考えれば、絞首刑など、あまりにも楽な刑だ、といえるケースは、いくつもあると思います。 残虐刑が禁止されている背景の一つには、「犯人にも人権がある」の考え方があるからでしょう。 ならば簡単なことです。「人権剥奪の刑」を与える。犯人の人権を奪う。人としてあつかわなくてもお構いなし。それによって死亡しても、対象は人間ではないのだから、咎めはない。 …そのぐらいの刑を与えたい凶悪犯もいます。が、やはりそれは、第2の江戸時代、同和の再発につながるようにも思えます。 また、刑を執行する人の気持ちも、察して余りあります。逆に、下手に残虐刑に、ねじれた快感を抱く人でも現れたものならば、人間のモラルが危ない。(いたぶることに対して快感を持つ人、一般の人に向けて残虐行為をしたくなってしまう人、など。) 死刑も人権を奪う行為であることには変わりありませんが、かろうじて執行人の人権は保たれるかもしれないというものです。 また、被害者関係の人たちにとっても、「どうにもこうにもにくいが、今、あいつがこの世にいないと思えば、少しは心も慰められる。」という気持ちになるのではないでしょうか。 だって、生きていて、どんなつらい残虐刑にあっても、償いの心情につながらないような、人格障害者のような人もいるでしょう。 勝手な思い込みですが、麻原某とか、カレーで騒ぎを起こした人とか、宅間某のような人は、そのような人物に思えます。どんなに苦しい仕打ちを受けても、自らを悔いるほうに思考回路は至らない。 それを見ている私たちも、そこまでいってしまうと、ざまあ見ろという心情にさえなれない。 宅間某などは、自分が、すでに人間としての思考回路が遮断されていることを自覚していたのではないでしょうか。それがわかっていたから、自ら「早く死刑にしてくれ」と。彼にどれだけ残虐なことをしたとしても、彼の中に、犯罪を悔いる思考回路は決して生まれない。 麻原某などは、聞くところによると、現在ひどい退行現象を起こしてしまい、脳を使うことさえ拒んでいるような状態になっているといいます。 「これは、死刑以外に、選択肢はないな。」ということは、確かに、あると思います。
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- planetes_e
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既出であれば、ご容赦を。 教育刑論という考え方ではいかがでしょう? 「犯罪を犯す奴は、病気なんだから、刑務所の中で再教育するんだ!!」 という考え方です。 刑罰=教育、と考えるわけです。 とすれば、残虐な刑罰を行うのは、教育によくないと。 んで、死刑は「コイツは教育しても治らないな」という奴に科していると。 いかがでしょう? 残虐刑は、「ほらほら、お上の力はすごいだろう?こわいだろう?」っていう公権力による抑圧を見せびらかす機能もあると思いますから、抑制的なのだとは思いますが。 私としては、宅間守に残虐刑を科しても、彼が反省するとは思いませんが。
お礼
でも更正可能かどうかの判断って難しいですよね。 また刑務所の中での再教育をもっとしっかりして再犯率が下がるようにしてもらいたいものです。 皆さんの回答で残虐刑を行うデメリットは理解できました。 回答ありがとうございました!!<m(__)m>
- mambo_no5
- ベストアンサー率22% (51/231)
何を持って残虐というか、国民の総意は固まっていないと言う事でしょう。 例えば私の個人的見解では、無為の子供を次々と殺すような犯人を撲殺することを残虐だとは感じません。一方、死刑そのものが残虐と感じる人もいます。 司法制度では「国家の定める犯罪を犯したものに、国家が刑罰をあたえる」という建前ですので、被害者や被害者家族の心情などは考慮に入れません。(最近は多少考慮に入れるよう方向転換したようですが) しかし、国民にとってみれば「あだ討ちが禁止されている以上、国家が私に代わってあだ討ちしてほしい」という至極当然の感情があり、司法制度はこの感情を押し殺してきました。 建前から言えば、殺された人や家族の感情を司法の場に持ち出す事は、慎まなければならないが、あだ討ちする権利を取り上げられた国民の感情は置いてけぼりをくらっている、というところに近代の司法制度のひずみが出ているように思います。
お礼
被害者や被害者家族の心情などももっと考慮してほしいと思う時もあります。 回答ありがとうございました!!<m(__)m>
- nep0707
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どうしても、こういう質問に対しては感情的な回答が先走りますが、 法律問題を考えるときには、感情を考慮するのは大切ですが、 感情的になることは何も生み出さないことは知っておいていいと思います。 んで、 >残虐な刑は禁止されていると聞きました。 >それはどのような理由で禁止されているのでしょうか? 主として人道上の問題ですが、早い話、デメリットばかりたくさんあって、 メリットはといえば「民衆の溜飲を下げる」くらいしかないからでしょう。 「犯罪を犯した奴なんぞ人間扱いしなくていい」とは耳ざわりのいい主張ですが、 過去、そういう論理で不当な人権弾圧が繰り返されてきているわけです。 犯罪者の人権を考慮しない国家とは、とりもなおさず 「国家にとって都合の悪い人物の人権を考慮しない」ことに他ならず、 そんな国は、通常住みたいとは思わない国でしょう。 >なぜ命を奪う「死刑」は認められているのでしょうか? まぁ「何が残虐か」というのは価値観の問題ですから、 合う合わないはどうしてもあるでしょうね。 判例では「不必要な精神的肉体的苦痛を内容とする人道上残酷と認められる刑罰」 とされています(昭和23年6月30日最高裁判決)。 現行の死刑は、火あぶり、はりつけなどのように 「その時代、環境において人道上の見地から一般に残虐性を有すると認められる場合」 には相当せず、残虐刑に当たらないとされています。(昭和23年3月12日最高裁判決) 見てのとおり、この判例は58年前のものです。 今の日本、価値観はこのころと変わっているかどうか…どうでしょうね?
お礼
絞首刑による死刑はOKということは 苦しめることはダメだけど、苦しませずに命を奪うことはOKということなんでしょうか。 回答ありがとうございました!!<m(__)m>
- rad-sato
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死刑という選択肢はさておき、今後、このような事件で遺族感情というのが刑罰に考慮されてくるようなことはニュースで見た記憶があります。ですので「必ずしも今の極刑が被害者の方が本当に望むものではないとも思います」というのは今後多少は改善するのかも。 (例えば、被害者が死なずに罪を償ってほしいと思えばそれは僅かだが考慮されるらしい) 死刑についてはいろいろな議論があるので、本などを見てみると良いと思います。そのような死刑制度などのスペシャリストが考えても意見が分かれるのに、我々に正しい判断は無理です。勝手な意見は述べられますが...。 ちなみに、死刑制度は 「廃止した国・地域」 「制度はあるものの20年以上実施していない国・地域」 「制度もあり、まだ実施している国」 の3つに大きく分類されます。 当然日本は3番目です。 私の個人的な意見は、死刑廃止です。 法律で禁止している残虐な刑罰にあたると思います。
お礼
確かに死刑問題は難しいですね。 回答ありがとうございました!!<m(__)m>
- himahimer
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我が国では国民の主権によって国家権力が発動していますので、国民の規範意識に合わない国家権力の発動は憲法によって制限されます。 残虐刑を黙認するような主権者(国民)は国際社会から非難を浴びることになりますので、仮に残虐刑を認めるのが国民の総意だとしても、建前の上では認めることはできないでしょう。 死刑についても、国際的に死刑廃止の風潮が高まっているため、(他人の意見に流されやすい)日本人の規範意識も死刑を抑制する方向に動いていると言われています。そのため、数十年後には死刑制度が違憲になるとも考えられます。
お礼
回答ありがとうございました!!<m(__)m>
- hiro0164
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まず、その「死んだ方がマシだ」と思わせるような刑の執行する人の負担も考慮してもらえたらと思います。 さて、残虐な刑の禁止は、ご指摘のように人権の問題を少なからず含んでいると思います。そうなると、死刑の規程が矛盾するのではないかという指摘については、それを理由に死刑に反対される人たちもいます。 ただ、何を残虐というかは解釈によるものであり、今のところ死刑(絞首刑)は残虐ではないとされています(判例)。 世の中には様々な人がいて、絞首刑では物足りないと感じるケースがあるのも分からなくもありませんが、あまりにもむごい刑を実施するのは、人道的にも容認できないし、現代となっては、国際的な批判も避けられないものとなるでしょう。 現代の日本では考えられませんが、歴史的には残酷な刑が執行が、国民のちょっとした反発を防ぐためのだけの目的であったこと。そして、そのことが国家の滅亡に繋がったことも忘れてはならないと思います。 残虐な刑を認めることは、最終的に我々の自由な活動を奪うことに繋がりかねないことを忘れてはならないと思います(ニュースでそのような例を見ると思います。)。
お礼
絞首刑による死刑は残虐ではないというのは理解が難しいですね。 単純に、死刑によって命を奪うのは許されるけど、命は奪わずに残虐な刑を行うのはダメというのは少し矛盾を感じたりもします。 しかし残酷な刑を行う弊害はよく理解できました。 回答ありがとうございました<m(__)m>
実際には江戸期も中期からは残虐な処刑はやらなくなったのですよ。 江戸期に一番の重罪として、主人殺しに対して行われた、鋸引きという刑があり、罪人は首だけ出して地面に埋められ、その横に鋸を置いて、被害者の家族や復讐したいと思う方は、自由に鋸を引くことが出来たのですが、元禄年間には形式になり、役人を置いて引かせないようにしていました。 それで3日間晒して、市中引き回しの上磔で殺したのですけど、現在でもイスラム圏で行われる、石で投げて殺す処刑や鞭打ちで殺す処刑に比べると、随分優しいと思いませんか。 斬首も余り寝覚めがよくないので、首切り役に浪人の山田朝衛門が頼まれて引き受けていましたし、やる方が嫌だという事情があるのではないかな。 ご質問者は幾ら極悪非道な罪人でも、自分が指名されたら喜んで処刑台スイッチを押しに行きますか。 役目とは言え、嫌なものらしいですよ。 被害者の家族としては、同じ殺すにも釜茹でとか五寸刻みとかやって殺したいと思うでしょうが、やれば心が晴れるより、自分の心も生きながら地獄に落ちたような気分になると思います。 結局、残忍な処刑は、まともな神経の人間では執行できないのでは。
お礼
確かに刑を行う方の事も考えなければいけないですね。 回答ありがとうございました!!<m(__)m>
- atukumi
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死刑論というのは以前より反対派と賛成派で対立していますよね。世界においても死刑は実施していない国もあれば中国などはすぐに死刑になりますよね。 私はどちらかと言いますと死刑は賛成派なんですよね。もし自分の身内が殺されて、犯人が死刑にならなかったら納得いかないですしね。遺族の側に立つと犯人が生きているだけで許せないのです。いくら一生刑務所に留置させても犯人の命が消えないのが腹立たしいのだと思います。そのために死刑とはあるのではないでしょうか。自分の死をもって償えと。 残虐な刑は禁止されているのは道徳的なものじゃないですか。北朝鮮などは例外ですが。。 今の時代、先進国で公衆の前で見せしめ的な刑はマズイですからね。
お礼
公衆の前で見せしめ行為はさすがにちょっととは思いますが 死刑が認められるなら、刑務所の中で死なない程度に肉体的精神的に苦しめ続ける刑もあってもいいのではと思いました。 回答ありがとうございました<m(__)m>
- ioaaaoa
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自分の最愛の人間を無作為に意味なく殺されたら、あなたの言うところの「反対」・・・なんて感覚は吹っ飛びますよ。終身刑は、私も賛成します。死刑がかなわぬなら、被害者の方が本当に望むものの一つですから。
お礼
早速の回答ありがとうございます。 終身刑でも現在のようなゆるい状況の刑務所での終身刑ではなく もっともっと厳しいものにしてもらいたいと思った次第です。
お礼
何かすごく理解できました。 回答ありがとうございました!!<m(__)m>