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「経験者なくして経験はあり得ない」の意とするところを教えてください。
ご存知の方は宜しくお願いします。ご存知でない方は無回答でお願いします。 「経験者なくして経験はあり得ない」の意とするところを教えてください。その一文が何を意味しているか分かりません。 私は頭が弱いので、分かりやすくでお願いします。
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「内なる世界は、その内なる世界の主人たる人間の存在を前提とする。」 以下このように続きますね。ゴットロープ・フレーゲの言葉です。 存在の証明です。「我思う故に我あり」の逆の「我在り故に我思う」ですね。 感じるという現象(意識)はどのようなものか、「自分自身を経験者として経験させる」という事です。先ず前提に自分自身があり、次いで経験を経て、意識(喜び、悲しみ、願い等の感じるという現象)が在る。 人間が在るから経験が在る。といった事を言わんとしています。
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- tenntennsevengoo
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外界→身体(経験者)→意識(経験) のことを言いたいのだと思います。 個人的には 外界→身体→意識→外界→身体→・・・・・ 外界→身体→意識→身体→意識→・・・・・ という具合に人それぞれだと思いますね。
体験してみて初めて経験したといえるというようなことでしょうか?
こんにちは 私も「ご存知でない方は無回答で・・」に近いかもしれませんが(__) (だったら、お詫びします。) その言葉が、どこで知ったかは、わかりませんが。 >経験者なくして経験はあり得ない」の意とするところ・・ 私なりに考えてみると(__) 欲求等における苦しみ、楽しさ=快楽の本質(=苦楽の存在、心の働き)は、ある程度、智慧によって知る、又は悟ることは可能なのだが、本質的には、一度、経験し、それから離れる、超えることでしか、その苦楽の本質的な意味を知ることはできない・・という意味と思いますよ。 例えば、恋愛というものが、存在し、一見、パッと見ると楽しそうに見えます。でも、恋愛=男女間の執着、性欲ですよね。これって、男女の関係が、良い時もあれば、悪い時もあり、いずれは別れる結果となって、苦しみます。 これは、長くても人間としての死によって苦しみます。 で、悟りを背景とした場合、逆に恋愛の感情を持たなければ、その時の別れの苦しみは発生しないことと、なります・・頭の中で考えると。 でも、それの本質の楽しさ、苦しみというものは、それの苦楽を経験し、苦楽を超えることでしか、本質的にはわからないものと、私は考えます。 これを現世的な表現をしようして、言ってみると。 よくある、楽しいひと、苦しんでいるひとを見て、『ああ、あのひとの気持ち、わかるなー』・・とひとはよく表現しますよね。あれです。 つまり、学問などで勉強し、理解した状態と、実際に経験してみて、その難しさ、楽しさ、苦しみを知ることの違いでしょうね。 つまり、これを「経験者なくして経験はあり得ない」は言っているものと・・私は思うのですが。 冒頭のように、趣旨と違う、勘違い回答だったら、お詫びします。 以上
お礼
回答を有り難うございます。