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If the sun rose in the west, I wouldn't change my mind. ---(1)と書いてもいいのか
仮定法の文でIf the sun were to rise in the west, I wouldn't change my mind. というのがあります。この文を If the sun rose in the west, I wouldn't change my mind. ---(1)と書いてもいいのかという質問を生徒から受けました。自分にはわからないから調べておくと言ったまま、1ヶ月が過ぎ、ついに春休みになってしまいました。どなたか教えて頂けるとありがたいです。 ちなみに、グーグルでIf the sun rose in the west every morning, I would get younger day by day. というのがありました。この文が正しいのは納得できます。仮定的な状況を設定して、そうした状況にどういうことが起きるかということを言おうとしているわけですから、問題はないと思います。 又、こう言うのもありました。What if the sun rose in the west? この文も上の文と同様に問題はないと思います。 ところが、(1)の文では太陽が西から上ることは最初からあり得ないこととして、いわば、議論のための飾りのようなものとして使われています。それでも(1)の文は正しいのでしょうか。
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feedersさんへ ~~~論理関係については触れないことにします。~~~ ~~~私自身はもうこの問題は考えないことにします。文法書に詳しく触れられていないからには、区別の必要がないということだと思います。~~~ そうですね。それがベストだと思います。 ~~~又、上のEven if the sun were to rise in the west.が決まり文句のような働きをしていることは明らかですから、その場合、学校英語においてはとっておきの手があります。これは熟語だ、あるいは慣用表現だと言ってしまえば納得してもらえるという習わしのようなものがあるのです。どうしてもと言う時にはこの手を使います。~~~ ~~~恐らく、太陽が西から上ることがないのと同じように、私の決心が揺らぐこともない-という意味なのだと思います。 I never change my mind any more than the sun rises rise in the west.(あまり良い文ではありません)くらいの文を添えて説明すれば、多少、教育的効果があるかなと考えているところです。~~~ wakkarahenさん(おそらくseegrammarも)の回答は、「(Even)if the sun ROSE ~」もOKだということだったと思います。もう一度、原質問に戻ると、その生徒さんの「(1)はOK?」という問いに対しては、私は「Yes」が正解だと思っていたました。 あと、そのいわゆる鯨公式は生徒さんを混乱させるように思います。それはNO13あたりで出た議論に関係しているのではないでしょうか?もしそうなら、これは「“因果関係”の有無による区別は、それほど重要ではない」という説明に使う方便だと思います。 ですから、「論理関係」について、生徒さんがそもそも疑問に思っていない以上、必要ない説明になるのでは? ただ、これはfeedersさんの判断が優先されるべきだと思います(当然ですが)。また、私の勘違いかもしれません。 あえて言えば、「太陽が西から昇っても、決心は変わらない」ということですから、「同じように~ない」ではなく「I'll change my mind less than the sun'll change its direction to rise in.」ではないでしょうか。 (すいません、冗談です)。 ★以下は、「(Even)if the sun ROSE in the west, ~」に対する私の考えです。参考になれば幸いですが、もうお腹一杯の場合は無視してください。 では、頑張ってください。 ============== これは【現在】についての仮定だと思います。ただし、この【現在】は「One and one IS two.」における【現在形】のようなものではないでしょうか。つまり、「1+1=2」というのはいわば、時間を超越した「真実」です。それを現在形で表しているわけです。 したがって、「ROSE」も同様に考えれば、「時間を超越した」という意味で「WERE TO RISE」の「未来永劫」的なニュアンスは出るのだと思います。 If I WERE a bird, I could fly to him. この文が【現在】のことを意味しているからといって、「将来、私は鳥になるかもしれない」ということを含意しているわけではないのと同じです。「One and one ISN'T three.」であるように、「時間に関係なく」私は鳥ではないということだと思います。 ===========
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feedersさんへ では、もう少し続けてみます。ただ、もうだれも見ていないような気もします。 ~~~確定・未確定の問題ですが、ここで仮定法から少し離れたところで話をさせて頂きます。~~~ ~~~つまり確定・未確定の問題は単に時間的なことだけでなく、話者の心の問題とも関係するのではないかと思うのです。~~~ ~~~その意味で、Even if the sun were to rise in the west, I wouldn't change my mind. は話者の意識の中で、絶対にそんなことは起こらないぞ、といった確信があると思うので、だから、確定・未確定の議論に消極的だったわけです。~~~ これは、やや「議論のための議論」になっているような気がします。私が《未確定》《確定》という用語を使ったのは、NO19からです。目的は「were to rise」と「rose」の違いを説明するためです。 たしかに、未確定、確定というのは日常用語ですから、定義があいまいです。したがって、無頓着に使うと議論が混乱して、お互い誤解したまま議論が続くおそれがあります。 ですから、《 》をつけて、「これは、日常用語ではなく、限定された意味で使っています」というのを示唆したつもりでした。 NO28のディープインパクトの話も、「確定」「未確定」の【本質的な意味】を議論しようとしたわけではありません。そのような資格も能力も私にはありません。 あくまで、NO19の【私が意図するところの《 》付きの】《確定》《未確定》の意味を伝えるためです。 もう一度説明します。「if the sun were to rise」を「if the sun rose」にしてもよいか?と生徒から質問があった場合に、私ならどう回答するのか、についての説明です。 まず、「roseでもよい」と答えます。「ただwere to riseのほうがいいと思うよ」「そのほうが【未来】も、決心を変えない、という話者の気持ちが明確になるからね」と続けます。あとは、もし生徒が「were to」が未来の仮定であることを理解していなければ、それを説明します。 以上です。以下は、feedersさんに向けての説明です。 たしかに、【未来】のことについても「確定的」に思っている場合はあります。菊花賞以前でも、「もうディープが勝つことは決まっているようなものだ」という人もいました。JRAもディープが勝つことを前提にイベントを組んでいたりしました。 そのような人が「WHEN Deepimpact wins the race, ~」と話すこともありうるでしょう。あるいは冗談っぽく「もうすでに『勝った』ようなものだ」と『過去形』として語るのもありだと思います。 しかし、その場合でも話し手は【未来】の話をしていることは理解しているわけです。ですから、(ダービー後)菊花賞以前において、以下の2つについては、『勝った』の意味が違います。 (1)ディープはダービーを『勝った』 (2)ディープは菊花賞を『勝った(も同然)』 当然です。(1)の場合は既に「真実」ですから。もうこれは「100%」などという「可能性」の問題ではないわけです(←これを《確定》と言いました)。 一方、(2)についてはたとえ「100%」の確信を持っていても、あくまで【未来】のことを話しているわけです。いまだ菊花賞の結果はわかっていないわけです。そのことを話者も当然知っています(←このことを《未確定》と表現しました)。 (1)if the sun rose in the west, ~ (2)if the sun【were to】rise in the west, ~ 上の2つは、話者の気持ちにおいてそれほど大きな違いはないと私は思います。それはwakkarahenさんの指摘するように、内容自体が「まず将来的にもありえない」ことが明確だからです(feedersさん的に言えば、「確定的」とということです)。「ディープが菊花賞に勝つ」といったような内容とは全く違うわけです。 それでもあえて違いを言えば、(2)については話者は【未来】についての仮定であることに「自覚的」だということです。【were to】が【未来】についての仮定を表すということは、動かしようがありません。この点について疑問をさしはさむとすれば、それは知識不足です。 (話が混乱しそうなので、もう《確定》《未確定》という用語は使いません) ~~~私の方で、因果関係の追求にばかり意識が集中しすぎていたことも確かです。~~~ (1)と(2)の違いについて、feedersさんは【未来】のことを話していることに自覚的か否か、ということよりも因果関係の有無の違いを強調されていました。しかし、この因果関係の有無の差については、(1)(2)の英語の違い以前に、そのような差自体の存在について、 非認識派:認識できない人 認識派:認識できる人 の2通りの人がいます。feedersさんはもちろん認識派ですが、私は最初非認識派でした。go urnさんもそうでした。ここに来なければ私は一生認識していなかったと思います。 ところが、認識できたとしても、その差が英語の表現形式に影響を与えるほど重要か否か、具体的には(1)(2)の違いへ結びつくか?については、 否定派:結びつかない 肯定派:結びつく の2通りの人がいます。私は否定派です。率直に言って、肯定派はfeedersさんだけだと思います。ネイティブも文法学者も(そして質問した生徒さんも)否定派、もしくは非認識派です。おそらく、圧倒的多数派は「非認識派」だと思います。 NO22で私が理解できないと書いたのは、そのことです。なぜそれほど因果関係の有無に拘るのかが理解できなかったのです。NO16の補足で、 ~~何か大変なことが起きれば私は自分の希望をあきらめなくてはならないことになるかも知れない。でも、それでも、何とか希望を捨てずにがんばってみよう--というふうに論理的なつながりがあるように思います。~~~ と書かれていますが、「これって、結局feedersさんの匙加減ひとつ?」と思いました。もしかすると私も非認識派かもしれません。 ★「考えなさすぎ」で英語がわからなくなる生徒もいますが、逆に「考えすぎ」て英語がわからなくなる生徒もいると思いませんか? もちろんfeedersさんは教える立場ですし、「should」についての書き込み等を読めば、しっかりした知識を持っていらっしゃることはわかります。 それでも、未だ知識が不完全な生徒には「考えすぎ」が理解の障害になることもあるように思ってここまで拘って書いています。何度も言いますが、私も考えすぎる傾向があるので余計気になったわけです。
お礼
全くその通りだと思います。文法指導というものは、必ずしも論理的な理解のみを求めるものではありません。現代英語においてこうなっているぞと説明して、なぜそうなるかはわからないというのでもよいわけです。実際そう処理するしかないことだってありますから。 これからは、論理的な理解を求める部分を絞り込んでいこうと思います。ありがとうございました。それでは。
- go_urn
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go_urnです。feedersさんが生徒さんにご説明するきっかけを得られたようで、よかったです。このスレッドも、もう相当長いですしね。 If the sun were to rise in the west, I wouldn't change my mind. のwere to riseをroseに書き換えても一応意味が変らない文章になり得る。しかしなるべくなら、どっちにせよ、Even if~にしたほうが意味の紛れがない。 were to を使うと、roseよりも可能性が出てきてしまうのではないか、という疑問には、datelummyさんの《未確定》理論が極めて有効でしょうね。 shouldについても少し議論が聞きたかったですが、もう十分複雑ですし、生徒さんもそこまでは要求しないでしょう。 以上、僕も大いに得るところがありました。有意義な議論をお聞かせ下さって、有り難うございました。
お礼
こちらこそありがとうございました。
たびたび細切れですいません。 もう一つ追加します。2007年現在の段階で、「もしディープインパクトが【二】冠馬なら」と言いたい場合は、これは【現在】の確定した事実の反対ですから、仮定法になりますね。 IF Deepimpact WERE the double crown winner ~ しかし、やはり次の表現はできません。 ×IF Deepinpact SHOULD BE the double crown winner ~ ×IF Deepimpact WERE TO BE the double crown winner ~ 【未来】のことではないからです。 ★「double crown winner」というのは私の造語です。否定文を避けるために捏造しました。見逃してください。 ★hijackしたような感じになるので、feedersさんの返事があるまで控えます。では。
お礼
were toが特に未来に特化した表現であることを生徒達に説明するのはかなり有効かと思います。Even if the were to rise in the west, I wouldn't change my mind. は、今から先のいかなる未来の時点においても-という永久的な未来において成り立つことだという言い方をしてみようと思います。 論理関係については触れないことにします。 又、上のEven if the were to rise in the west.が決まり文句のような働きをしていることは明らかですから、その場合、学校英語においてはとっておきの手があります。これは熟語だ、あるいは慣用表現だと言ってしまえば納得してもらえるという習わしのようなものがあるのです。どうしてもと言う時にはこの手を使います。 私自身はもうこの問題は考えないことにします。文法書に詳しく触れられていないからには、区別の必要がないということだと思います。 恐らく、太陽が西から上ることがないのと同じように、私の決心が揺らぐこともない-という意味なのだと思います。 I won't change my mind any more than the sun doesn't rise in the west.(あまり良い文ではありません)くらいの文を添えて説明すれば、多少、教育的効果があるかなと考えているところです。 何度もお手を煩わせました。感謝しております。この質問は5日の晩に締め切らせて頂こうと思っています。 興味のある方はこの書き込みを見ておられることと思います。皆さんどうもありがとうございました。
補足
すみません。お礼に書いた文を間違えてしまいました。 I won't change my mind any more than the sun doesn't rise in the west.は間違いです。doesn't riseはrisesでなければなりません。 I never change my mind any more than the sun rises in the west. とすべきですね。それでは。
NO28について、 大切なことを書き忘れていました。 2007年現在の段階で、ディープインパクトが三冠馬であることは《確定》しています。したがって、【今の時点】で、 ×IF Deepinpact SHOULD BE the triple crown winner ~ ×IF Deepimpact WERE TO BE the triple crown minner ~ ということはできません。【未来】のことではないからです。 一方、【レース前の時点】ならば、 ○IF Deepinpact SHOULD BE the triple crown winner ~ ○IF Deepimpact WERE TO BE the triple crown minner ~ ということも可能です。【未来】についての仮定だからです。ただし、この場合は「ディープインパクトが三冠馬になる《可能性》」がほとんどないと考えているわけですから、かなりの穴馬党です。それでも、それは話し手の気持ちの問題ですから、話し手の自由です。 競馬をやったことがある人なら、実際にこのような人が少なからず存在することをわかってもらえると思います。 go urnさんへ 《確定》《未確定》は私の説ではありません。【現在・過去】と【未来】の仮定法における実質的な違いを言っているだけです。 実は、この区別ができていない人が意外に多いような気がしています。go urnさんはどうですか?NO23やNO22の補足を読むと、feedersさんもあまり区別していないような気がします。 おそらくどの参考書にも、 「If S should do」も「If S were to do」も【未来】の仮定を表す と明記されています。Forestのような高校生向けの参考書ですらそうです。ところが、「If S did」も【未来】を表すことが可能であるため、このことをあまり意識しない人が多いような気がします。 私の経験では、仮定法については、【過去】と【現在】についてはとても明確に説明できます。 「あのとき、それを知っていたら【過去】」や「もし私があなたなら【未来】」などは、内容が【確定】しているので、よほど屁理屈をこねない限り「仮定法」で表現すれば問題ありません。 しかし、「もし宇宙人に遭ったら」のように【未来】の話になると、これを「仮定法」で表現するかどうかは、話し手の気持ち次第ですよね?それは、「宇宙人に遭う」が【未来】のことで、《未確定》だからです。 IF I ENCOUNTER the third kind ~ IF I ENCOUNTERED the third kind ~ IF I SHOULD ENCOUNTER the third kind ~ IF I WERE TO ENCOUNTER the third kind ~ 上のいずれの表現もありうるはずです。矢追純一のような人なら「WHEN I ENCOUNTER the third kind in the near future, ~」と書くかもしれません。
補足
feedersです。datelummyさんの最新の回答に対するお礼の中で、5日に質問を締め切ると言いましたが、確定・未確定の問題もありますし、もう少し、締め切りを延ばして見ようと思います。 今、何通かの回答を見ていっているところなのですが、うっかり、一番最新のdatelummyさんの回答に返事を出すことから始めてしまったのです。中途半端ですみません。 確定・未確定の問題ですが、ここで仮定法から少し離れたところで話をさせて頂きます。 例えば、I don't care whether you come or not tomorrow. とか、It doesn't matter whether you come or not tomorrow. という文があります。未来のことなのに主節は現在時制で書かれています。これは、未来の出来事であっても、現時点で態度を決めてしまっているからです。 又、スケジュールで決まっていることをI leave Japan next month.とも言えます。つまり、現時点で話者が確定していることとして意識している時、現在時制が使えるわけです。 日本語でも、「私の父が帰ってきたら」の「た」「たら」を確定叙述と呼んでいます。参考書では「完了」という言葉で説明しているそうです。父が帰ってくることは絶対100パーセント確実なことではないのに話者の心の中では確実なこととして扱っています。 つまり確定・未確定の問題は単に時間的なことだけでなく、話者の心の問題とも関係するのではないかと思うのです。 その意味で、Even if the sun were to rise in the west, I wouldn't change my mind. は話者の意識の中で、絶対にそんなことは起こらないぞ、といった確信があると思うので、だから、確定・未確定の議論に消極的だったわけです。 もう一つ考えたことがあります。If I were youという表現は、普通は、聞き手に対する助言や提案を行う時に使われるのではないかと思います。 例えばIf I were you, I wouldn't accept the proposal. は、You shouldn't accept the proposal. だとか、It would be advisable for you not to accept the proposal.と同じ表現なのではないかと思います。確定・未確定の問題というよりむしろ慣用的な言い回しにすぎないのではないかと思います。もっとも、慣用的なclicheであれば時間的な問題は越えているのではないかと思います。 その意味で言うと、Even if the sun were to rise in the west, I wouldn't change my mind. におけるEven if the sun were to rise in the west, もそのようなものとしてとらえるべきではないかという気がしていたのです。 ただし、私の方で、因果関係の追求にばかり意識が集中しすぎていたことも確かです。以前、あるネイティブスピーカーに何かの問題で理屈を展開していたところ、彼からI feel dizzy. と言われてしまいました。 いい加減にすべきなのかも知れません。
- go_urn
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datelummyさん 何度もすみませんでした。では、因果関係の話しは、feedersさんのほうから、説得力のある理由が出るまでは、僕は加わらないで、No. 28でお書きになっている、確定/未確定の議論のほうに注意を注ぐことにいたしましょう。(ただ、feedersさんのご質問は、生徒に対する説明が主眼です。英語をどういうふうに理解し、人にどのように説明するかは、この場の目的になんら抵触しないと思いますので、最終的には、(分からない、を含めて、)このような説明が望ましいというそれなりの結論を求めなければなりません。) それはともかく―― 確定/未確定は、なかなか有望な仮説かな、と見ています。仮定法、特に were to と should を使った仮定法未来の理解に役立ちそうです。 datelummyさんとfeedersさんが議論されるのを少し桟敷で聞いていようかと思いますが、この視点は、datelummyさん独自のものですか、それとも何か典拠があるのでしょうか、feedersさんへのご返答の中ででもお触れ下さい。
feedersさんへ ~~~《未確定》というのは主節の出来事を指していたわけですね。早とちりをしてしまいました。~~~ むしろ「従属節」の出来事についての《確定》《未確定》を述べています。 競馬で説明します。 多分ご存知かとおもいますが、ディープインパクトという強い馬がいました。この馬の菊花賞の単勝オッズは「1.0倍」でした。これは、ディープインパクトが一着でゴールすると予想し、それに1億円賭けて、実際に当たっても「1億円」しか戻ってこないということです。このような倍率になることはめったにありません。 つまり、レース前にこの馬が「一着になる」と思っている人がたくさんいたということです。それは客観的な裏打ちもありました。血統、皐月賞、ダービーなどそれまでのレースの実績、タイム、何よりも走りっぷり… 競馬ですから、何が起こるかわかりません。しかし、この馬が一着になる可能性は客観的にもかなり高かったと思います。その結果、人々の気持ちも「この馬がおそらく勝つだろう」ということになり、その結果がレース前の「1.0倍」というオッズだったわけです。 しかし、【レース前】においては、「ディープインパクトが勝つ」というのは《可能性》の問題です。仮にそれが100%だと【確信】していても、《確定》はしていないわけです。《未確定》の状態です。 ではいつ《確定》するのでしょうか?それは実際の菊花賞のレース後です。もう少し厳密に書くと、JRAが《確定》を発表した時点です。 レース直後は、競馬場やWINSやテレビでも「レース結果が確定するまでは、勝ち馬投票権はお捨てにならないようにしてください」とアナウンスされます。なぜなら、騎手の重量結果やレース中の不正行為の審議結果によっては、失格馬や降着馬が出て、入着順位が変わる《可能性》があるからです。 そんなわけで、オッズボード(?)に《確定》の赤ランプが点った時点で、ようやく《確定》になります。馬券の払い戻しも始まります。 仮定法の話に戻ります。今、私は2005年の菊花賞でディープインパクトが一着だったことを《知っています》。その事実が《確定》しているからです。ですから、この馬の菊花賞のことを英語で話す場合、 WHEN Deepimpact WON the race ~ IF Deepimpact HAD LOST the race ~ Deepimpact IS the triple crown winner ~ IF Deepimpact WEREN'T the triple crown winner ~ などのようになります。ちなみに、 ×IF Deepimpact SHOULD LOSE the race ~ ×IF Deepimpact WERE TO LOSE the race ~ とは言えません。【未来】の仮定ではないからです。 では(ややこしいですが)今が2005年の菊花賞以前だったとします。この場合は、「ディープインパクトがレースに勝つ」ということは《未確定》ですから、《可能性》の問題になります。以下のような表現が考えられます。 WHEN Deepimpact WINS the race ~ IF Deepimpact LOSES the race ~ IF Deepimpact LOST the race ~ IF Deepimpact SHOULD LOSE the race ~ IF Deepimpact WERE TO LOSE the race ~ 「WHEN ~」の話し手は、この馬が勝つことを【確信】しています。以下の「IF ~」も、それぞれ微妙に【確信】度は異なると思います。しかし、いずれにせよレース以前に《確定》はしていないわけです。話し手も《未確定》であることを前提に話しているわけです。 《確定》《未確定》は、そういう意味で使っています。 ★またtoo longになりましたが、おわかりいただけたでしょうか?下手をすると、話が脇にそれて滅茶苦茶になるおそれがあるので、とりあえず今回はここまでにしておきます。私の話がうまくfeedersさんに通じたかどうかを確認して、続きを書こうと思います。
補足
よくわかりました。
go urnさんへ ~~~で、わたしが知りたいのは、これに決着がついたとして、どういう教育上の工夫に対する利点があるのか、ないしは、仮定法に対する理解を深める上で、どういうメリットが想定されているのか?ということです。~~~ まず、端的に答えると、私は何の利点もメリットもないと考えています。feedersさんは、それがあると考えているのかもしれません。 ただ、ここは質問者が質問をして、それに答えるという場所です。教育上のメソッドを語ることは、少なくとも主目的ではありません。 あえて書くと、feedersさんの悩みは、私は「考えすぎ」だと思っています。ただ、feedersさんが心の底から悩んでいることは理解できます。それを「教育上の何の意味もない」と書いても、悩みは解消されないと思うのです。 僭越ながら、私としてはfeedersさんが悩みから解放されるといいなと思って書いています。それは結果的に、feedersさんの教授法に好影響を与えるような気もしています。それは、私自身が以前は「考えすぎ」だったからかもしれません。
補足
確かに考えすぎだったような気がします。 今後どのような説明をするかは最新のdatelummyさんの回答に対するお礼の中で書いておきました。
- go_urn
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datelummyさん 何度もすみません。No. 21よく読みました。 「太陽が西から昇っても、私は決心を変えない。」は因果関係がないんですね? で、わたしが知りたいのは、これに決着がついたとして、どういう教育上の工夫に対する利点があるのか、ないしは、仮定法に対する理解を深める上で、どういうメリットが想定されているのか?ということです。 僕の関心は、教育上の工夫と仮定法に対する理解にあります。同じ関心で、この「因果関係」の議論は行われているのですね?
go urnさんへ ~~~なんだかまだ分かっていない可能性がありますので、議論に加わる前に、この理解でいいかどうかお尋ねします。もし、言語学上の難しい理論が絡んでいるようでしたら、僕の頭では無理ですので、この「因果関係」の議論には触れないほうがよさそうです。~~~ 残念ですが、その理解は誤りです。ただし、「言語学上の難しい理論」は全く絡んでいません。私にそのような知識がありません。feedersさんも同じはずです。 おそらく、実際以上に難しく考えすぎているような気がします。書かれていることは「え?そんなことだったの!」というぐらい単純なことです。 他の情報を読むと、何かしらの先入観が生じて混乱するかもしれません。一度頭を白紙状態にして、NO21だけを読めばわかると思いますよ。
- go_urn
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go_urnです。補足説明(feedersさん)、ならびに懇切なご説明(datelummyさん)ありがとうございました。「因果関係」についてこだわられている理由がやっと少し呑み込めました。 確認ですが、feedersさんのおっしゃっているのは、仮定法過去の文をつくるのには、「今現実に~なので、・・・である」という事実が存在していなくてはならないのではないか、というご主張ですね?つまり、生徒に説明するときにそれが役立つだろう、という問題意識なのですね? 教育上よく行う、直説法⇔仮定法の書換え―― (a) Since it is raining now, I will not go out. という「因果関係」があってこそ (b) If it were not raining now, I would go out. という仮定法過去の文が成立するのではないか というですね? なんだかまだ分かっていない可能性がありますので、議論に加わる前に、この理解でいいかどうかお尋ねします。もし、言語学上の難しい理論が絡んでいるようでしたら、僕の頭では無理ですので、この「因果関係」の議論には触れないほうがよさそうです。
補足
(a) Since it is raining now, I will not go out. という「因果関係」があってこそ (b) If it were not raining now, I would go out. という仮定法過去の文が成立するのではないか というですね? --(b)が成立するための根拠のようなものだと思います。(a)は(b)の含意だと言えるのではないかと思います。 もちろん(a)=(b)というわけではありません。 又、仮定法の文はどのような文であってもこうした含意が存在しうるわけではないのですが、少なくとも典型的な仮定法過去の文においてはこうした含意があるのが普通だと思います。 こうした含意を含まないパターンだってあります。教室で教える限りにおいては、できるだけ論理的でありたいと思うわけです。 ですが、レトリックやclicheのような場合はそうした含意は不要なのではないかと思い始めているところです。
補足
同感です。feeders