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素朴な疑問です。「ある」について。
「ある」は特殊な動詞な気がします。 現代の日本語では未然形もないし、可能動詞もつくれません。 これはいったいどうしてなのでしょう。
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以下のように考えてみました。 (1)「ある」の未然形がないのではない。 文語では「あらない」という表現があること、また、現在でも「あらぬ疑い」とか「さにあらず」という表現あること、そして、関西では「あらへん」という表現があることから考えると、「ある」の未然形がないのではなく、「ある」の未然形が「ない」と結合しないのだと思います。 (2)では、なぜ「ある」の未然系が「ない」と結合しないのか? まず、「未然形」とは、実は、意味としては「否定形」ではないかと思います。すなわち、「まだ、起こらないこと」を表現するのではなく、単純に「動作の否定」を表現しているように思います。例えば、「行かない」というのは、「まだ、行かないが将来行く」の意味ではなく、単純に「行く」という動作を否定しているのではないかと思います。 この視点で考えると、「あらない」は「将来あるようになるが、今は、まだ、ない」の意味でなく、単純に「無い」という意味だと思います。そうすると、「あらない」=「無い」=「ない」なので、先頭の「ある」の存在意義が薄れてしまいます。そのため、経済原則から、自然に「あらない」の表現が衰退して、代わりに「ない」だけが使われるようになったのではないかと思います。その証拠に、関西弁の「あらへん」の「へん」は単独で「無い」の意味として流通しないので、「あらへん」のまま残っているのではないでしょうか。 (3)可能動詞が作れない理由 「ある」が可能動詞を作れないというのは、絶対的な原則なのかどうかわかりませんが、少なくとも不自然な感じがすることは確かです。なぜ不自然かというと、もともと「可能」という以上「希望や意志により実現できる」ことが前提のはずですから、「希望や意志により実現することが難しい」動詞を可能動詞化すると不自然な感じがするのだと思います。「ある」というのは、自分の希望や意志で「ある」のは難しいので、可能動詞「あれる」は不自然な感じがするのだと思います。同様に以下のような動詞も可能動詞化すると不自然な感じがすると思います。 分かる--->分かれる あせる--->あせれる 照る--->照れる 困る--->困れる 溜まる--->溜まれる 霞む--->霞める 降る--->降れる 起こる--->起これる 湿る--->湿れる
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- Ichitsubo
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「ある」の未然形"あらへん?" ある思うてたんやけど"あらへん"かぁ。 「関西弁は現代の日本語なんかやあれへん」なんか言わんといてな 別に私は関西生まれでも育ちでもないですけどね。
お礼
おお。そうでしたね。関西弁にはありました! ありがとうございました。
- Tacosan
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古文だとシンプルに「あらず」ってできますけどね. 「~にはあらざらめど」ってのが頭に浮かんだのはなぜだろう.
お礼
古文にはありますもんね。
- sanori
- ベストアンサー率48% (5664/11798)
事あるごとに私が主張していることなのですが、 日本語、外国語を問わず、 まず「先に文法ありき」で、文法という法律・法則に沿って世の中の言葉が出来ているのではなく、 世の中で使われている言葉の中から法則性を抽出したのが文法であるはずです。 「ある」は、文語では、ラ行変格活用の動詞「あり」で、 おっしゃるとおり、現代の日本語では未然形や可能動詞もありません。 その理由は、 「あるの未然形+否定の助動詞」の「あらない」(?)の代替として、単に「ない」という言い方が定着していること。 「あるの可能動詞」の「あれる」(?)の代替として、「あり得る」という言い方が定着していること。 ひとことで言えば、 「文法からではなく、習慣から」 なのではないでしょうか・・・ (と推測します。)
補足
早速の回答、ありがとうございます。 >「あるの未然形+否定の助動詞」の「あらない」(?)の代替として、単に「ない」という言い方が定着していること。 古文では「ない」にあたる自立語(でしたっけ?)はなかったのでしょうか。 >「あるの可能動詞」の「あれる」(?)の代替として、「あり得る」という言い方が定着していること。 質問しておきながらすみませんが、あとで調べていてわかったことをご報告しますと、無意志動詞では「eる」の可能動詞はできないらしいです。「ある」も無意志動詞なので、「あれる」とはならないようです。すみません。
お礼
いつもありがとうございます。 「あらぬ疑い」いいですね。これを「ない疑い」といっても意味が通じません。 「ない」は自立語でもあるから、付属語しかない「ず」「へん」と同じ使い方にはならない、ということですね。「ない」が特殊なのかと言う気がしてきました。