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江戸っ子の食事
江戸の一般の町人は日常的に白米を食べていたのでしょうか? 米以外の雑穀を主食とする人も多かったのでしょうか。 おかずはどんなものが定番だったのでしょうか。
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江戸に入る食糧の記録は少なく、正確なのは「重宝録」にある安政3年の値だけです。 これを参考にすると、食糧の玄米が249万石、大麦が17万石、粟1万石、(玄米には加工用も含む)他に加工用小麦13万石、粟1.8万石、蕎麦5.7万石で150万人と推定される当時の江戸の町人、武士は白米が主食です。 これは幕末の話ですから、中期特に前期は貧乏人は米麦飯、米粟飯を食べていた事でしょう。 なお労働者には一日6合(年2.2石)食べる人が多かったようです。
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NO.1さんのおっしゃる通りだと思います。 おかずはどんなものを食べたかというと、下のURLで『日用倹約料理番付』というものを見つけました。 http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/75_food.pdf 判読しにくいですが、少し書いて見ます(間違っていたら御免)。 『精進物の部』ハンペン豆腐、昆布油揚、きんぴら牛蒡、煮豆、切干煮付け、油揚げ付焼き 『魚類物の部』目ざし干物、剥き身と切干、芝海老空いり、たたみいわし、いわしの蒲焼 江戸の庶民は以上のようなヘルシーなものを少量食べていたと推測します。 私が食べて旨いと思ったのは、七輪で目刺しを焼き、その焼き立てをおかずにして、アツアツの飯を食う・・・これが最高でした、まさに貧乏人の特権。 にぎり寿司や蕎麦の店ができ、寿司は今のように高いものではなく、庶民のものだったらしいです。 http://hitosugi.hp.infoseek.co.jp/keizai.html→与力
お礼
きんぴら牛蒡は江戸時代もあったのですね。 七輪で目指しは良いですね。煙で軽く燻されて良い感じだと思います。 寿司や屋台でつまんでいたって聞きますね。 そばもちょっと美味しい所は一枚で2千円近くとられたりしますが、江戸時代は庶民のものだったのですね。 与力のサイト、拝見しました。 家族・家来合わせて20人というのは結構な大所帯だったのですね。 三千両もの役得があった与力の記載がありますが、三千両といえば一万石の大名家の総収入にも匹敵する額ですよね。ちょっと想像つかないものがあります。 言わば与力は公務員なのに給与の数倍の役得があったというのもすごい話です。 話は変わりますが現代でも、裁判所の執行官の給料は歩合制で、裁判官よりも高給取りなケース(年収数千万)が結構あると聞きます。 出勤の際に5人の供回りを連れていたというのも意外でした。もう少し身軽な立場なのかと思っていました。 ありがとうございました!
- 6dou_rinne
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江戸時代といっても前期と後期では大きく違いますが、後期になればほとんどが白米でした。 おかずについては原則的には一品の一汁一菜で魚や野菜の煮付けなどが定番でしたが、初鰹の季節には見栄をはって買うというのもありました。 もちろん豪商などの食生活はもっと豪華でした。
お礼
そういえば6dou_rinneさんには以前、将軍の食事について大変詳しくご回答頂きましたね。その節は大変勉強になりました。 後期になれば白米がほとんどだったのですね。その頃になると新巻鮭なんかも庶民の口にも入っていたのでしょうか。 江戸っ子は初鰹が好きだったのですね。現代の感覚だと松茸(国産)を秋に食べるようなものだったのでしょうか。 ありがとうございました!
お礼
大半が米だったのですね。 江戸に関してはなかなか食生活も悪くなかったのですね。 1日6合ってかなり食べすぎ?と思いましたが当時としては普通だったのでしょうか・・・ ありがとうございました!