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記憶の捏造

今日、十年ぶりくらいに見た映画で、 「確かこんな場面があったはず」 というのが、かなり記憶と違っていたので驚きました。自分としてはかなりはっきりと、 「こういう名場面だった!」 と強く印象付けていたんですが、かなり記憶の捏造が入っていました。 もしかしたら違う映画の場面を合成してかってに記憶を作っているのかもしれません。 そう考えると、 「前に確かにこういうことがあったはず」 「これだけは確かな記憶だ」 と思っているものも、捏造とまでいかなくても実際は違った形で起こったことだったのかもしれません。 これは、感覚として不思議です。 なぜこんなことが起こるのでしょうか?

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  • hakobulu
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回答No.5

確かによくあることで、その時はおっしゃるとおり愕然としてしまいますね。 おそらく記憶というものが、細分化されて格納されるためではないかと思います。 人の顔ひとつとっても顔全体として記憶されるのではなく、印刷される時のドットのように、ひとつひとつに細分化されて記憶されるのではないでしょうか。 また、その映画を見た時の感情(クオリア、あるいは主観)も共に記憶されるはずです。 人間は体験したことの全てを記憶領域に格納していると私は思っていますが(ある場合には落葉が積むように重層的に)、 それを引き出す(再現する)際の、記憶したドットをピンポイントで抽出する機能が不完全なのではないでしょうか。 そのために、あるドットを再現しようとすると芋づる式に関連するドットも引きずられてくる、というわけです。 ただ、この不完全性はあらかじめ意図された機能であるのかもしれません。 全ての記憶が完全に再現できるとした場合、その追体験によって受ける再刺激の繰り返しに脳が耐えられない場合もあることを想定した仕組みになっているような気もします。 記憶の捏造、あるいは記憶の歪曲。 表面的にはどうあれ、本質的には自らに都合の良い(無意識的に望んでいる)記憶の再現になると考えられます。 私たちが見る夢の仕組みの一端がそこに覘いているのかもしれません。  

noname#32495
質問者

お礼

身体にとって合目的的であるのかもしれません。 でもドットのようにデジタルな素子で記憶が成り立っていると言うお考えは実に新鮮で面白いです。

その他の回答 (4)

  • taked4700
  • ベストアンサー率37% (777/2050)
回答No.4

映画は、特にそういうことが起き易いと思います。つまり、現実の体験に比べて、視覚と聴覚でしか情報を受け取らない、そして、映画館というそれまでの環境とは違った、経験の継続性のない環境での記憶ですからね。 現実の体験ですと、いろいろなものが結びつくので、記憶が総合的に残るわけで、変化が起きにくい訳です。 結局、記憶も、ある意味、その人にとって有利なように無意識の内に操作することをしてしまいます。心とは、結局そういうものであり、だからこそ、自分にも人にも、そういう傾向があるという自覚を持って対処していく必要があるということですね。 まあ、どちらにしても、記憶は、ある意味、あいまいで、そういう意味でも、記録に取るということは重要です。

noname#32495
質問者

お礼

映画は特にそうなんでしょうかね。 現実の記憶が本当に正しいかと言う事を確かめる手段って映画以上ほどないですよね。一度人との会合を録音していた事が会って結構そのあと考えていた印象と違ったこといってました。 それが本当に自分にとって都合がいいようになっているのかどうか。

回答No.3

意識変容があるからだと思いますよ。

noname#32495
質問者

お礼

あるんですね。

  • wuyan
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回答No.2
  • koko_u_
  • ベストアンサー率18% (459/2509)
回答No.1

まったくの想像で。 正確な記録よりも bossamba さんが映画を見て感銘を受けた上で得た、教訓なり人生観を記憶することが重要だと脳が判断しているためでしょう。 複数の過去あった事実を脳内に記録するよりも、そこから得られた知見を整理して記録した方が記憶容量の節約になるし。

noname#32495
質問者

お礼

どうもそんな傾向があるようですね。勝手にストーリーを作ってしまうということはあります。