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伴と部
工学部で材料学やっています。 考古試料から職能集団の追跡の研究をやっていますが、 文献を読んでも「伴」と「部」の違いがよく分かりません。 ご存じの方がいらしたら、教えて下さい。 また、この様な事が詳しく書かれた文献があればご紹介下さい。 よろしくお願いします。
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こんばんは。 「伴」は、大和朝廷の権力機構が充実し、宮廷の組織整備が必要となった 5世紀以降に登場しました。 朝廷内の様々な業務を、貴族の子弟に出仕させ、その仕事に従事させることが 目的です。(これが「伴」の誕生です。) その後、日本に渡来人がやってきて、専門的な技術を伝えました。彼らも 朝廷に仕え、職能を生かした仕事に従事しました。 その時彼らは、百済の官司制度も伝えましたが、これが、「伴」の制度に 大きく影響を与えました。本来の朝廷内の職務に関する職能集団は、本来 「伴」と呼ばれていましたが、百済の官司制度が「部」という呼称を用いて いたので、これまでになかった職能集団もあわせて「部」の字をつけて呼ぶ ようになりました。これが「部」の誕生です。 その後、朝廷に属する者たちだけでなく、大王や皇族・豪族が抱える民まで もを「部」と呼称するようになりました。 「部」には本来、以下の3つの種類があります。 (1) 大和朝廷(政府)に属するもの(品部《ともべ》) (2) 大王家(天皇)や皇族の私有民(名代部《なしろべ》・子代部《こしろべ》) (3) 豪族の私有民(部曲《かきべ》) それぞれ共通なのは、現代で言う「労働者階級」であるということです。 一種の役人であった「伴」が、百済の官司制度を取り入れた結果、 附属していた個々の民も「部」となっていきました。 つまり、「部」は、「伴」に起源をもちます。 わかりにくい場合、また補足します。
お礼
ありがとうございます。 返事が遅くなりもうしわけありません。 お礼のところに書き込もうとすると ブラウザが強制終了をしてしまうので 書き込みが出来ませんでした。 (今は別のコンピュータで書き込んでいます。) 書籍には「部」が日本古来の組織で 「伴」は渡来の組織制度と書かれていたのに、 「部」は「伴」の成立にともなって出来上がった と書かれていたので、前後関係で混乱しておりました。 つまり、「伴」の伝来以前に『「部」の様な』組織はあったが 「部」とは呼ばれず、「伴」の伝来以後に、 (貴族の子弟とは異なる)職能集団に「部」の名称が付き、 その後様々に変化していった。と考えてよろしいでしょうか。 もし、続けてお答え頂ければ幸です。
補足
ありがとうございました。 取り敢えず、概念は理解できたと思います。 もうすこし、文献などをあたってみようと思います。