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世界が心で出来ているなら・・・
世界が心で出来ているなら、死んで心がなくなると、世界も消えてしまうのでしょうか?
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No.13です。 > このように考えることも絶対者ではないから、幻かもしれないことになるんでしょうか? その通りです。 > 幻かもしれない言葉で、幻であると断定できない気がするんですが。 はい 断定は誰にもできません。 絶対者しかできません。 私は絶対者ではありません。 私が作る幻の世界においての絶対者にしかすぎない。 > 結局のところ、納得する考えを持てばいいと思うのです。 そう、幻だと思うとなにもできなくなります。 目の前にネギロトがあると認識して、それが幻であるかもしれない と思ったら腹がすいたままです。 (腹がすいたというのも幻かもしれませんが) 自分が作り出した幻なのかどうか確かめるには、食べてみる。 ひとまず「うまい」と満足すれば、それが実は人口のネギトロだったとしても、私は天然マグロだと思って、おなかもふくらんだと認識しさえすれば問題は無いわけです。 > そういうから、絶対者(=大宇宙)が永遠に存在するか、永遠に動くのかを納得できる考え、どうしても否定することができない考えによって予想すればいいと思います。 よく 意味がわかりませんが、反証により存在が可能だとできるかどうかですか? はい、可能だという認識はできます。 例えば ブラックホールは実在すると とアインシュタインは言いました。 「なわけない」として、観測すればアインシュタインのブラックホールの実在を否定できるとして、日食の日に観察しました。 光が曲がった・・・・・ ブラックホールがあるといった方に曲がった。 このことから、人間の知覚では認識できない 存在を認識できないブラックホールすら、存在するとできてしまいます。 これを否定するには、何故 光はそういう現象を起こしたのかを立証するしかない。 立証すれば、別のもので反証される可能性もあるが、大きく反証されない限り、それは常識になり、共通認識になるわけです。 人それぞれ詳しくすれば全く同一の認識の人は一人もいないわけですが、人間はこの共通認識というものによって、コミュニケーションが取れている。 たとえ、それが本当は幻で真実ではなくても、共通認識で幻としなければ、それは幻とはならない。 一番やっかいなのは戦争がらみです。 国によって理解が異なる。 共通認識にならないので、もめているわけです。 どちらも自分たちの認識の方が納得がいくとしている。 誰が真実を知っているのか? わかっていたら、戦後処理問題は今も続いていない。
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- mmky
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[世界が心で出来ているなら、死んで心がなくなると、世界も消えてしまうのでしょうか?] ですね。 「世界が心で出来ている」という考えは正しいんですよ。実際そのとおりです。したがって、至る過程は別において、心に「世界があれ」という思いがなくなれば、世界も忽然と消えてしまいます。 つまり、 [世界が心で出来ているなら、心が世界を否定すれば、世界は消えてしまう]というのが正しい過程での表現ですね。 「世界が心で出来ているなら、」と「死んで心がなくなると」が論理矛盾を起こしているだけですね。「世界が心で出来ているなら、」まず「死」というものは存在しないですね。心は物質ではないので死はないのですね。死の変わりに「ある、ない」なんですね。つまり心が「なし、つまり無」という状態であれば「何にもなくなる」ということですね。それでも心がなくなったわけではないですね。考えてないということでしょう。 インドの何とか仙人が、かくあれというと、あれ・サルがでてきた。 逆に、サルよ無しといえば忽然となくなるというような話ですね。サルの代わりに世界というだけのことですね。 前提も結論も正しいと思いますので、その間をつめていけばいいと思いますよ。
補足
確かに考え次第で、世界がなくなったり、あったりなってしまうんですね。 私としては、世界があってくれないと、死を超越できないもんで、世界があるという考えがあった方がいいですね。
- pennteru
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死んで心がなくなっても世界はなくなりません。 心とは意識のことですよね? 意識とは必ず、なんらかの対象に対する意識なんです。 なにかを考えるとき、必ず対象があるでしょ? 意識は意識のみで存在しません。対象があって初めて生じるんです。 だから、意識がある前に世界はあったんです。故に、意識の後にも世界は残ります。
お礼
納得しました。回答ありがとうございます。
あなたの心(感じる・考える→認識)で世界ができているとすれば、あなたの心(認識)の死によって、世界とあなたはつながりを失う。 あなたが認識できる世界はそこからなくなります。それは「世界の死」なのではないでしょうか? まさに、コギトエルゴスムですね。
補足
>あなたが認識できる世界はそこからなくなります。それは「世界の死」なのではないでしょうか? そもそも心が無からいきなり出てきた訳ではないので、心がなくなっても世界は存続し続けるように思いました。
- tiltilmitil
- ベストアンサー率22% (1871/8250)
仮定した条件に対して「どうなるのでしょうか」と訊かれても、その条件を仮定した本人がどうなるのか決めていないと、正しい答えは出ないでしょう。 その仮定を誰かがどこかでしているならば、それが誰でどこで主張されているかというのを明らかにすれば、誰か詳しい人が解釈してくれるかもしれません。 仮定をしたのが質問者様本人なら、その答えはご自身で見つけるしかないでしょう。
お礼
>仮定した条件に対して「どうなるのでしょうか」と訊かれても、その条件を仮定した本人がどうなるのか決めていないと、正しい答えは出ないでしょう。 確かにおっしゃるとおりですね。 世界がこころでできているならば、こころがなくなったら、世界もなくなってしまいますね。どうやら、世界がこころでできているというのが間違っているような気がしてきました。 回答ありがとうございます。
補足
問題は、世界がこころでできているのか、それとも、こころが世界によってできているかということにした方がいいようですね。
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お礼
>これを否定するには、何故 光はそういう現象を起こしたのかを立証するしかない。 立証すれば、別のもので反証される可能性もあるが、大きく反証されない限り、それは常識になり、共通認識になるわけです。 しかし、宇宙にある光すべてが、同じ現象を起こすとは限らないような気がするのです。誰も、すべての光を見たわけでもないんですから。 回答ありがとうございました。