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自分の心と周りの世界についてどう思いますか?
- 自分の心と周りの世界についての考え方についての質問です。
- 自分の心で思っていることが、自分が見ている世界だという言葉をよく聞きます。
- 自己啓発本などでもこの考え方が取り上げられていますが、虐待や紛争地域の子供たちの場合はどうなのか疑問に思います。
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>自分が見ている世界が全て自分の心を投影しているとしたら、幼いころから虐待されている子供や、生まれたときから紛争地域にいて、難民として暮らさざるをえない人々なども、すべてその人たちの思いが投影されているのでしょうか? 「自分の心で思っていることが、自分が見ている世界だ」とありますが、「自分の心で思っていることが世界だ」ではなくて「自分が見ている世界だ」ということだと思います。 自分の心を投影した結果、虐待されたり、身の回りに紛争が起こってるんではなくて、その身の回りの世界を「見て」自分の心の中に持ってくるときに、自分が心で思っていることが投影される。ということではないでしょうか。 結局人々にとって自分の外の世界は、自分の目を通して、自分の主観で判断することでしか、見ることが出来ないのですから。物理的な世界が自分の心に影響されるのではなくて、自分の捉え方に従った「自分の見ている」世界では、自分の心が投影されていますよ、ということだと思います。 あなたのとらえ方で「あなたにとっての」世界は良いものにも悪いものにもなりますよ。というようなことではないかと思います。 なんだか分かりにくい文章で申し訳ありません。なんとなくでも伝わりましたでしょうか。 参考になれば嬉しいです。
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- tumaritou1
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自分が世界を支配しているわけでは在りません。世界の中に自分が存在しています、ただそこに自分が存在しています。 そういう世界で自分が自分の私見を脱ぎ捨てて、世界から自分の存在を見る場合、自分の人生は自分が作ってゆきます。つまり自分の人生は自分が作っています、言い換えるなら自分の責任は自分で取る以外は無いと言う事になります。 自分の人生は自分の自由になってそうしてその責任は自分が取る以外はないという意味です。不可抗力であってもなくても受入れる意外はないという意味です。どんな世界でも成功する人と、そうならない場合があります。その原因は何処に在るのでしょうか? ..
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
自分が世界を支配しているわけでは在りません。世界の中に自分が存在しています、ただそこに自分が存在しています。 そういう世界で自分が自分の私見を脱ぎ捨てて、世界から自分の存在を見る場合、自分の人生は自分が作ってゆきます。つまり自分の人生は自分が作っています、言い換えるなら自分の責任は自分で取る以外は無いと言う事になります。 自分の人生は自分の自由になってそうしてその責任は自分が取る以外はないという意味です。不可抗力であってもなくても受入れる意外はないという意味です。どんな世界でも成功する人と、そうならない場合があります。その原因は何処に在るのでしょうか?
お礼
皆さんがおっしゃっているように、自分が「見ている」世界に投影されているのですね、ありがとうございました。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
具体的な書名をあげると、「原因と結果の法則」などは、自分の見ている世界全てが自分の内側に存在している、と述べています。 ○ 因果の法則を小さく捉えているのですね。これではあなたの疑問には答えられませんね。 因果の法則は時間的な因果律と空間的な因果律の総体を言うのですね。これは全ての者に当てはまりますから各人は集合の総体が織りなす時間と空間縁起の交わるとことに存在しているのですね。だからあなた自身が見ているものはあなたであってあなたではないのですね。この意味はあなた自身が考えていること行なっていることは必ず誰かに影響を与え、あるいは与えられているからですね。 例えば、あなたの指摘の事項についても集団の因果律に影響されているということですね。貧しい国で紛争や貧困に苦しむ様を観て、心を痛めてもその国の多くの人々が豊かさを求めて努力しない限り良くはなりませんね。つまり、一人ではどうしようもないこともあるわけです。それは決してあなたや、個人の原因ではないこともあるわけですね。この空間的な縁起を仏教では諸法無我といいます。私がないという意味ではなく、諸般の事象は多くのものが交わって生じているという意味です。例えば私の本ですといっても、その本には作家がおり、出版者や印刷、販売といった目に見えない無数の人々のおかげでできたもので、たまたまあなたが興味を持って購入しただけのことですね。この本は私の物というのは本当は間違いですよというのが諸法無我ですね。これと同じことなのです。あなたの見ている世界は、あなた自身の世界でもないのですね。網の一節が私の考える世界が編み全体だといえば笑われてしまいますよね。網を使う人が観れば網の一節が変なこと考えているのだなあと思いますよね。 というように因果の法則はもっと壮大なのですね。だから根本法則なのです。 因果の法則は「天網恢恢疎にしてもらさず」ですから、小さく捉えることは間違いですからね。間違い本では疑問に答えることはできませんので、それが間違いの証明ですね。
お礼
確かに、かなり小さな範囲で考えていました。 自分だけで世界が成り立っているわけではないですよね。 ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
>自分が見ている世界が全て自分の心を投影しているとしたら、 >幼いころから虐待されている子供や、生まれたときから >紛争地域にいて、難民として暮らさざるをえない人々なども、 >すべてその人たちの思いが投影されているのでしょうか? 「その人たち」は、存在しないのですよ。 あなたの中にある非情さや残酷さの射影が、そのような世界を 映しているだけであって。 どうしても、自己の心とは独立した世界があって、自己の行いが 悪かったりすると、そこに“悪い因果”とかで悪影響が投影される、 といった、それまでの素朴唯物論との混血のような世界像に 陥りがちですが、物理だけは「原理主義」を貫きましょう。 最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される事 によって生じています。 自我仮説に対する相補的な時空仮説における、相殺点こそが存在。 疑問として派生した世界における、「本当は無いんだけどね」という 無の射影(ミンコフスキー空間におけるライトコーン=界面原点 =無の相対化)。 全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った) 補完なのです。
お礼
物理学方面からだと、また違った考え方になるのですね。 ありがとうございました。
世界は心の投影ですけど、 心が世界に影響を与えている訳ではありません。 葉っぱの上の水滴が緑色に見えても、 水滴自体は無色透明であり続ける様に、 人の目に世界がどの様に映ろうが、 それが世界の真の姿になる訳では無いのです。
お礼
なるほど、わかりやすい例をありがとうございました。
お礼
とても分かりやすかったです、ありがとうございました。