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こころの深みへ
- 気持ちが沈むという言い方を使うことがあります。しかし、誰もそこに長くとどまりたいとは思いません。自分の深いこころに沈んでいく時間を求めることもあります。それは瞑想や座禅を行ったり、芸術活動をすることで実現されることもあります。
- 薄暗いバーで、静かに流れるジャズを聴きながらお酒やタバコを楽しむことも、深いこころに沈んでいく方法の一つかもしれません。山に登ることも、高い処に行きながらこころが奥深い自然の中に沈んでいく感覚を味わうことができるかもしれません。
- また、スキンシップやセックスといった肌の触れあいが心を鎮める作用があると言われています。セックスはこころの高揚や鎮静をもたらすのか、それは個人の感じ方によるかもしれません。自分にとって心の深いところへ沈んでゆくための方法や理由は、人それぞれ異なるでしょう。
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お礼ありがとうございます。 もちろんパリ在住ではありません 笑。 私は掃除が好きなのですが、 お風呂場の戸の溝なんか 綿棒で掃除していると落ち着きますね。 「神は細部に宿る」とか言いますけど、 細かいところが綺麗になると、 心が安らぐ感じがします。 (意味が違うかな?) 暢気そうに見られる私ですが、 やっぱり色々あるので。 状況は変わらなくても 部屋は綺麗になるので いいですよ。
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- 2012tth
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50代♂ 軽い対人恐怖症に色々と精神疾患の持病持ちなので?そんな考え自体が 危険な事なので一切、考えないし…その様な状況は避ける毎日です。
お礼
こんにちは。 わたしも52才、男性、精神科通院歴22年で、精神障害者のようです。(苦笑) そんな考え自体が危険とは、どういうことか伺ってもよろしいでしょうか? 再度のお返事を待ちつつ、ひとまずお礼を申し上げます。 ありがとうございました。
- show1968
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趣味ですが、長年詩を書いているものです。 「心象を揶揄して書く」作品が多いです。 作品を作り上げる作業はいずれも浮上です。 気持ちが沈んでしまったから書くときと、 わざわざ沈めてから書くとき、 ほぼ正常というか、平静から浮上していく時の 三種類です。 書く事で心を整理するのです。 一旦沈んで、反動つけてあがりたい時が多いです。 「われながら上手く書けた」もたいていそうです。
お礼
こんにちは。 心象を揶揄して書いた詩、どういうんだろう? 心象って、イメージですか?もっと他のものですか? >気持ちが沈んでしまったから書くときと、 わざわざ沈めてから書くとき、 ほぼ正常というか、平静から浮上していく時の 三種類です。 へえ! よかったら、幾つか紹介していただけませんか? おもしろいお返事をありがとうございます。
補足
読みたいというのは本当ですよ。 でもここで公表するのは無理ですか?
- sqqrcxvx
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こんにちは。 >「気持ちが沈む」「落ち込んでいる」という言い方をします。 誰もそこに長くとどまっていたいとは思わない。沈んだ場所から「陽の当たる」海面へ浮上しようとします。 私などはニュートラルな状態においては自ずと気分がウツ的になって行く人間です。思えば人為的に楽しい気持ちを創り出す方法があれば是非知りたい。自分は中々これが出来ません。 嫌な事はすぐに忘れ常に楽しい気分でいられる人。私に言わせれば頭の良い人であり羨ましい。多分に生来のものでしょうが。 >一方で、自分のこころの深いところへ沈んでいく時間も求めているように思います。 それは、例えば「瞑想」によって、「座禅を組む」ことによって、或いは「画を描くこと」、「俳句」や「詩」をつくることによって。 須く芸術はこの様にして生まれるのでしょう。18~19世紀のクラシックを生み出した作曲家は内面の悩みを抱えていた人が多い。 また米国が生んだブルースは、アフリカンアメリカンの境遇とジャズとの融合でした。素晴らしい芸術性がありますね。 そういえば戦前戦後の演歌も庶民の恵まれない人生の捌け口でした。自身は高校へ行かなかった遠藤実がイメージだけで作り上げた高校三部作。高校3年生・修学旅行・学園広場。実際に勉強はしたくないけれどいやいや高校へ通った凡百よりも百倍臨場感があります。 >薄暗いバーの片隅で、静かに流れるジャズを聴きながら、お酒とタバコで気分を「鎮める」=「深く沈める」こともそうかもしれません。 体質的にお酒が飲めないのでこの気持ちは分かりません。想像の中で分かるような気はします。ただ、これは例えば新橋の飲み屋でサラリーマンたちが群れている様子とは違います。その程度は分かります。あれはやるせない勤めの不条理を嘆き発散させているのであって、飲まなきゃ堪らない。 >山に登ることは、物理的には「より高い処」へと行くことですが、こころは奥深い自然の中に沈んでいくことのようにも思えます。高い処に行くことで、世界や自己に対してより深い視点を手に入れることができるのかもしれません。 ちょうど偶然に今朝の某紙でエリック・ホッハーの名前を久方ぶり眼にしました。サンフランシスコでしたか?の港湾労働者として働きながら執筆もした在野の哲学者。著作を読んだことはありませんから偉そうなことは言えないのですが、その生き方に一種の正当性を感じていました。肉体と精神のほど良い調和。 そういえば、昼間は大学教授で夜はコールガールという米国女性もいましたね。昼は精神労働で夜間は肉体労働? 苦笑する以外にない、と言っておきましょう。 >あなたは、どんな時に、どんなふうにして、「心の深いところ」に沈んでゆきたいと感じますか 止揚も高揚もそして鎮静も、全部上手く行ってません。だから人生なんです。
お礼
こんにちは。 >私などはニュートラルな状態においては自ずと気分がウツ的になって行く人間です。思えば人為的に楽しい気持ちを創り出す方法があれば是非知りたい。自分は中々これが出来ません。 好きな音楽を聴くとか、好きな詩を読むとか、そういうことでは駄目ですか?まぁ「楽しい気持ち」とまではいかないかもしれませんね。「慰さめ」という感じでしょうか?もっと積極的に「楽しい」というと、セックスですかね?でもこれは「愛情」の前提がないと?と???? >嫌な事はすぐに忘れ常に楽しい気分でいられる人。私に言わせれば頭の良い人であり羨ましい。多分に生来のものでしょうが。 確かに、羨ましくはありますね。そして確かに生来の気質なんでしょうね。 >また米国が生んだブルースは、アフリカンアメリカンの境遇とジャズとの融合でした。素晴らしい芸術性がありますね。 ブルース。いいですね。歌詞が理解できれば本当の「味わい」もわかるのでしょうね。 >そういえば戦前戦後の演歌も庶民の恵まれない人生の捌け口でした。自身は高校へ行かなかった遠藤実がイメージだけで作り上げた高校三部作。高校3年生・修学旅行・学園広場。実際に勉強はしたくないけれどいやいや高校へ通った凡百よりも百倍臨場感があります。 ああ、そうでしょう。夜間高校とかね。 わたしは「高校まで」は楽しかったですね。(苦笑) >体質的にお酒が飲めないのでこの気持ちは分かりません。想像の中で分かるような気はします。ただ、これは例えば新橋の飲み屋でサラリーマンたちが群れている様子とは違います。その程度は分かります。あれはやるせない勤めの不条理を嘆き発散させているのであって、飲まなきゃ堪らない。 わたしも、あまりいけるくちではありません。 バーのカウンターで独り、ジャズとか紫煙、というイメージもある意味凡庸ではありますね。 新橋や有楽町のガード下の屋台で、勤め帰りのサラリーマンがどんなことを言って憂さを発散しているのか、興味があります。 映画『会社物語』では、クレージー・キャッツの面々がサラリーマンで、やはり有楽町のガード下あたりの飲み屋で、ジャズ談義をするシーンがありました。それを見て、「ああ、いいなあ」と思った記憶があります。 >肉体と精神のほど良い調和。 これは本当に難しいですね。 全部うまくいっていない、だから人生・・・おもしろい哲学ですね。 とても面白く読ませていただきました。 どうもありがとうございました。
精神統一という意味かと思って聴いたアルバート・アイラー これが、どうみても「叫び」としか思えないものでこれを聴きながら 瞑想にふけるのは困難でした。コルトレーンのほうが多少は メディテーションっぽくはありますが https://www.youtube.com/watch?v=hykgV1Ms-hM&list=PL1C2283F146F94D0F たとえば、ジャッキー・マクリーンのアルトサックスで レフト・アローンを聴いたほうが心が鎮まります。 https://www.youtube.com/watch?v=SpYnjoM2bJg https://www.youtube.com/watch?v=rhLLKakG1Bw https://www.youtube.com/watch?v=vZ2OB52iQN0 ちょっとくどかったですね。 テンポのいいJAZZでもベースのアルバムだと心の底に沈んでいくことが できます。 クリスチャン・マクブライドなんかいいですね。 https://www.youtube.com/watch?v=Dhsi_p-KSG4 >あなたは、どんな時に、どんなふうにして、「心の深いところ」に 沈んでゆきたいと感じますか? https://www.youtube.com/watch?v=V39lXlaj830&ebc=ANyPxKpt8UOAf-rH6Nt8CezcjtbVb9OfXyPIrMtVNm380DPYHzjwOQ9P4z3-MualJRjZFmrNOxZzd_4TL2PvAanrUCVB0Cw9Jw 自信を失いかけたとき、道に迷ったとき、このままでいいのか不安になるとき 好きなもの、自分らしさを見失いかけたとき 好きなjazzの音の海に浸ると、ああ、これだよ、これが俺じゃないか と、過去の自分「精神の団結=スピリチュアルユニティ」を感じます。 >それはどうしてですか? 迷うからです。弱いからです。臆病だからです。 誤解を恐れずに言えば、「神と繋がっていたいから」ですね。 心の深いところに、本当の自分、本質的な精神が存在して、いつでも 直観的な叡智を授けてくれる。 そんな風に思っているからでしょう。 それと、なにより心地よいから、癒されます。 過去の記憶と融合して、いまここにいる自分でなく、ビレッジ バンガードで聴いたピアノトリオだったり、渋谷のJZBratで 大好きな女性ピアニストのCDにサインをもらった日のことだったり 下北沢の地下のバーであったり、かなり時間の離れた演奏の記憶が 混然として蘇ります。時間を超越した「心の深いところ」につながる 感じです。 いや、これを書きながらクリスチャン・マクブライドを聴いてますが いいですね。こういうアーチストが居てくれてとても幸せですね。 あ、お前俺の好きなもの、なんで知っているんだ、という感じ。 自分の好きな場所、好きな絵画、好きな音楽、好きな陶器、好きな飲み物 を味わうとき、自分らしさ、自分の居場所を違和感なく感じるのでしょう。 すると、五感は少しずつ現実感を失って時間が消えて浮遊した感覚、軽い トランス状態になっていくのかもしれません。 刹那に集中しろ、とか林修のように「いつやるの。今でしょ」と言われると それが正しいがゆえに、現実から距離を置きたくなるのではないでしょうか。 現実逃避ではなく、現実を正しくとらえるためにも、先の不安や、過去の後悔 ばかりしている自分の意識を、リフレッシュするための「瞑想の時間」は 大切なのだと思います。 私は、時々両親と弟の位牌に手をあわせます。これも心を鎮める重要な時間ですが まだ習慣になっていません。
お礼
こんにちは。 このコルトレーンは、昔はともかく今はちょっと受け付けませんね(苦笑) レフト・アローンはマル・ウォルドロンだと思っていましたが、時に(with)ジャッキー・マクリーンだったんですね。 >自信を失いかけたとき、道に迷ったとき、このままでいいのか不安になるとき、好きなもの、自分らしさを見失いかけたとき ということは、「自信があるとき」、「確かな道を歩んでいると思う時」、「平静なとき」、「自分らしいと感じるとき」、があるということですね? わたしはそういう時がないもので。 お話を伺っていると、過去の自分が、現在の自己を支えているように聞こえます。 こころの深いところの過去と繋がる、この辺りは過去にいい思い出を持たない者としては、なかなか実感として摑みにくいところですね。 >自分の好きな場所、好きな絵画、好きな音楽、好きな陶器、好きな飲み物 を味わうとき、自分らしさ、自分の居場所を違和感なく感じるのでしょう。 すると、五感は少しずつ現実感を失って時間が消えて浮遊した感覚、軽い トランス状態になっていくのかもしれません。 そうですね。わたしの場合は自分を離れる時間かもしれませんね。 「自己の身体」って必ずしも居心地のいい場所ではありませんから。 というよりも、あれこれと「自分について」考えなくなっている状態かなとも思います。 やはりそれは本来の「自分の居場所」といってもいいのかもしれません。 >刹那に集中しろ、とか林修のように「いつやるの。今でしょ」 「集中」といわれても、「何に?」としか言えないし、 「今・・・何をやるの?」としかいえません。 わたしにとって、こころの深いところは、「オクトパス・ガーデン」ではありませんが、現実世界からの離脱ですね。 「現実を正しくとらえる」ってどういうことかと考えています。 つまり「正しい」と「現実」という二つの単語の間に接点が見当たらないのです。 >私は、時々両親と弟の位牌に手をあわせます。これも心を鎮める重要な時間です。 素晴らしいことですね(ああ、陳腐な表現!) いつもながら違っていて、興味深いご意見を聞かせていただきました。 ありがとうございます。
補足
一票いれました。
こんにちは(^-^) 一日の終わりにバスに揺られて 窓から運河や遊園地の観覧車を眺めながら ぼんやり自分の来し方行く末を思います。 夜のバスはいいですね。
お礼
こんにちは。 へえ、バスから運河や観覧車が見えるんですか? 何処にお住まいでしょう?パリ? >ぼんやり自分の来し方行く末を思います。 素敵ですね。取り立てて用意された時間ではないけれど、帰り道にそういう時間が持てるって羨ましいです。 いつもやさしいお返事をありがとうございます。
補足
是非おききしたいことがあります。 東京のバスはとてもうるさくてわたしは20分も乗っているとストレスで参ってしまいます。 昔はそんなことなかったんですが、 「危険物の持ち込みは固くお断り・・・」 「走行中の座席の移動は大変危険ですので・・・」 「不審物や不審な人を見かけたら乗務員または最寄りの警察署へ・・・」 こういうアナウンスがエンドレスで流れています。 バスが好きという人をたまに見かけますが、 こういうのは東京に限ったことなのかといつも不思議に思っています。
- KoalaGold
- ベストアンサー率20% (2539/12475)
ディスカバリーチャンネルを見ていて、工場で製品が作られていく様、エンジニアのアイデアの数々、熟練工の技、こういうのを見ていると心が騒ぎ出します。 出来上がった車がテストドライバーによって高速運転されると突然どうでもよくなりました。走る快感は自分にはどうでもいいのです。 ぼーっと見ているようでも脳内では自己の認識と欲望、興味の対象と価値観の違い、ものを扱った番組に触れることでさらに掘り下げられて自分が見えてきた瞬間でした。
お礼
こんにちは。 モノづくり、といっても、手仕事、陶芸とか庭造りではなく、工場での生産ですね。 大きな工場で、ライン生産に携わっているひとたちって、どんな気持ちでいるんだろうと、そういうシーンを見るたびに思います。 熟練工の技、わたしは大田区で生まれ育ったのですが、ああいう小さな町工場で働いている人たちの職人芸、名人芸はやはり一朝一夕に出来上がるものではなく、毎日毎日の小さな積み重ねが「技」となっていくんだろうなと感心します。 人間はただコンピューターの画面を見てキーを叩いているだけでは、「技」の蓄積など望むべくもありませんね。 出来上がるまでの工程、過程に関心がある、というよりも、その番組を見ていた自分が、モノが完成するまでのあいだで、どういうことに、より関心を持っているのかが分かったということですね。 興味深いご意見をありがとうございました。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
「日本人は本当に幸せですか?」 ホセ・ムヒカ氏のスピーチを何度も繰り返し見ています 「貧しい人とは少ししか物を持っていない人ではなく、もっともっといくらあっても満足しない人のこと」 あまりにも奥が深すぎて耳も胸も痛いです
お礼
こんばんはmichiyoさん。 ムヒカさん。いいですね。わたしは新聞で読んだだけですが、 市場主義社会には=現代の社会には、哲学がないというようなことも云っていたように思います。つまり「経済」や「金を儲けること」がすべての判断・行動の基準になってしまっているということでしょう。 勿論日本に限ったことではありませんが、特に日本はその傾向が強いように思います。 いつもお返事をありがとうございます。
お礼
>「神は細部に宿る」とか言いますけど、 細かいところが綺麗になると、 心が安らぐ感じがします。 ああ、きっと仰る通りだろうと思います。 >状況は変わらなくても 部屋は綺麗になるので いいですよ。 部屋がきれいになった。というのも、やはり状況の変化なんでしょうね。 そういう「細部」への心がけで日常生活って維持されてゆくんですね。 とても素敵なお答えをありがとうございます。
補足
「神は細部に宿る」って、ずっと、音楽や、詩も含めて、芸術に関する言葉として考えていました。 「人生」という「全体」に対して、「日々の生活」こそが「細部」である。 また「日々の生活」の中で、「部屋を綺麗にする」という行為が細部である、というのは素敵な哲学だと思いました。 この考え、頂きます(笑)