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心を動かすには頭に訴えかけるべきでは。

人の心が動けば行動も変わると言いますが、その為には心ではなく頭に訴えかけるのが良いのではないでしょうか? 「お百姓が心を込めて作ってくれたお米です。感謝して食べなさい」 と言うよりも、 米作りの苦労や世界中で飢えている人がいることを説明した上で「感謝して食べなさい」と言ったほうが分かりやすいと思うのですが。

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回答No.9

どちらが受け入れられやすいかは、受け手(相手)の背景に対する理解度や、心の情態・状態によると思います。 頭と心という概念は、知と情、理性と感性といった広い意味での心の2面性に相当すると思います。 感情的にならずに知的・論理的に議論し、理解しあうのが正しいとか 血の通っていない理論・理屈よりも感性・情が優先され、大切だとか どちらか一方が正しい(分かりやすい)というのは、ある時、ある場所、ある人にとって意味があることでしょうが、一般論としてどちらが正しい(分かりやすい)ということには、決してならないものです。 一言で言えば「どちらも正しい」になるでしょう。 そもそも、感情を排して知的・論理的に論じようとしても、かならず背景には感情が隠されています。 ようするに、ある種の感情を正当化するための、論理的根拠を「後付的に」加えようとしてしまうものです。(今回の場合は「感謝しようよ」といった情動です) また、理屈よりも思いやりの心(情)で訴えようとしても、かならず「AだからB」「AはBだから、C」といった最低限の論理構成は保っているはずです。これらの論理構成が目なり耳なりの感覚を介して頭で理解されて、はじめて心が動かされるのです。 たとえば「心を込めて作ってくれたお米」→「感謝して食べる」といった事態を理解できるかどうかは、「米作りの苦労」を既に理解している場合に成り立つ事柄であり、「米作り」に苦労が伴っているなんて感じたり・考えたりできない場合には、無意味でしょう。 すべての事柄において、ストレートに情を表現するのを避けて、まずは理屈から入るというのはいかがなものでしょうか? 相手が何度も聞き飽きた理屈であれば、(情動的に)疎まれるだけかもしれません。 どちらかといえば、 1.ストレートに自身の感じるところ(情)を表明し 2.相手が共感してくれたならOK 3.相手が共感してくれないなら、情動の背景を理論的に説明 4.相手が理解し・共感してくれたならOK 5.相手が理解してくれたものの・共感してくれないなら「相互の思いを尊重しあう」ことを提案 6.同調してくれたならOK、反発されたなら(一時的に)離れる(話題を変える)などする。 といったところでしょうか?

noname#145002
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (10)

  • rfrfr111
  • ベストアンサー率14% (62/414)
回答No.11

脳の仕組みを解説するとだるいので、簡単に結論伝えます。 ●人間は感情の生き物である。 ●理屈なんかで行動しちゃあいない。 ダイエットするのに、どうしたらええ?あほでも、食事制限と運動思いつくわ。じゃなんでそのあほでも思いつくこと行動できねんだよ。 学校の成績あげるのに、家帰ってすぐ机に向かえばあほでも成績あがるわ。じゃなんですぐテレビ見ちゃうんだよ。 プラス思考で生きた方が、人生幸せに成功するんだってよ。じゃなんでいちいち不満たれて雨降ったら嫌な顔してんだよ。 ●人間が行動を起こす要因は、プラスの欲を満たすかマイナスの痛み(不安・不満等)を避けるかだ。 ちなみに、子供の頃それ伝えられて毎日感謝し続けて飯食ったか?今は?食ってねえだろ? 感謝するという行動を起こさせる要因がないんだよ。 ていうか、そもそも感謝させたいのかその親は。 あんま効果ないなどっちの台詞も。

noname#145002
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • satol2012
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.10

現代人は、人を、脳が、脳の知恵が育てると思っています。これが間違いです。人を育てるのは、情緒です。現代人は、脳を過剰に刺激したために、情緒不足になっています。逆に脳を休めて、情緒を補給する事です。脳が思考してる時は、脳が人の心と自然の情緒との交流を、遮断するので、心がストレスになります。脳が休むと、人と情緒が交流するので、心が癒されます。だから原因は、現代の娯楽や社会生活が、過剰に脳を刺激するから、情緒不足になっています。昔の日本人は、生活に間や情緒を入れて、脳を休ませる工夫をしていました。娯楽も脳を休ませて、情緒があるものばかりでした。日本の伝統文化は、脳を休ませて、自然の情緒、心の癒しを追及しています。だから学校教育に、伝統文化を入れて、情緒を補給する事です。人の知恵や教え、論理思考では、脳が情緒を排除するのでダメです。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。新しい時代は、情緒の心の時代です。脳の論理思考の時代は終わりました。

noname#145002
質問者

お礼

ありがとうございます。 思考重視とは私のことですねきっと。

回答No.8

心に訴えかけたら、反発を招きます。頭に訴えかけても、反対されてしまいます。『無意識なる人格』に訴えかける事が得策と思います。 歌を聴いて感動する訳は、自分の中の無意識の人格が『分らないながらも感動しています』その訳の分らない要求に従ってCDなどを買いに行ったり、借りに言ったりしています。 寒い時に暖かい所を探しに走るのは、『心でもなく頭でもない』人格からの要求と思います。

noname#145002
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.7

中には、1を聞いて10を知る人もあると思いますが、多くの人はそうではないですね。 言語情報のみで、状況を理解できる人は、とても想像力がある人だと思います。 写真やビデオ、またはその現場を実際に見ることでやっと実感のわく人もあるでしょうし、 自分自身が実際に体を動かすことで体感でおぼえる人もあると思います。 ただ、そのような知識が心を動かすのは、ある程度やさしい心をもった人だけだと思います。 心がかたくなになっている人には、まずやさしさが必要で、 自分が受けた優しさを、誰かに返したいと思う気持ちがいずれわいてくると思います。

noname#145002
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#194996
noname#194996
回答No.6

これは質問ではなく、意見広告のようです。 >人の心が動けば行動も変わると言いますが、その為には心ではなく頭に訴えかけるのが良いのではないでしょうか? そのため とは何のためでしょうか?ひとの心を動かすには?ということでしょうか。 一読 要はわかりやすく、頭に、つまり理論的に訴えることで人の心を動かせるのではないかというご意見のように思えます。 これは頭に訴えた、理論的な主張でしょうか。 わかりやすく訴える、ということはどういうことでしょうか。 頭に訴えることでしょうか。 例があります。 1)>お百姓が心を込めて作ってくれたお米です。感謝して食べなさい」 と言うよりも 2)>米作りの苦労や世界中で飢えている人がいることを説明した上で「感謝して食べなさい」と言う この例を見ると、1)は説明不足で、確かに必ずしも「心に訴える」モノではないと思います。 2)のように説明を丁寧にすることはひとを説得するのには最低必要な条件だと思います。 1)よりも 2)のほうがわかりやすいことは確かです。 でも1)とは基本的に変わらず、単に頭に働きかけている例ではないと思います。 ここで前にどって >人の心が動けば行動も変わる この言葉の意味ですが、人間は心が動けば、それに伴って行動するものだ ということでしょう。 心を動かさなければ行動を変えることはできない、ということだと思います。 わかりやすくいうことは重要です。 わかりやすくいうことで相手に趣旨を理解させるということでしょう。 でも、それで頭がそれを理解しても、人間は動かないものなのです。 >>人の心が動けば行動も変わる はそのことを言っているのだと思います。 心を動かすにはどうすればいいのか? わかりやすく言って、まず頭で理解させる、というのが第一段階だと思いますが、 どうしたらひとの心が動くのか、私にはわかりません。 そのあたりをもう少し突っ込んでください。

noname#145002
質問者

お礼

ありがとうございます。 質問ではないというのが分かりません。これで質問ではないといわれたら何も質問できなくなります。 理論的に訴えることで人の心を動かせるのではないかということであっています。 頭がそれを理解しても人間は動かないんですか。 私は頭で理解する→心が動く という前提があったため興味深いお話ですね。

  • hanniyagi
  • ベストアンサー率15% (14/88)
回答No.5

「智に働けば角がたち、情に竿さしゃ流される」は漱石の草枕でしたね。 しかし、知恵に働きかければ、角がたつ事を承知で。自分は棘である、と自認した。 のがソクラテスです。 ソクラテスは告訴され、切腹、ではありませんが、自分で死になさい、と毒杯を差し入れられる。 結果になったようです。 「悪法といえど法は守らねばならない」は棘の棘たるところでしょうが。 知恵者は嫌われるもの、人は自分より知恵のある者を憎む。でもあるのでしょう。 「理屈と飯粒はどこにでもくっつく」という言葉もありますが あなたも、理屈っぽくなると、女の子にはもてませんよ? ついでに、付け加えれば。女の子にもてたいと思うようでは、知恵は育ちませんよ? お米を造ったのは、太陽と水と大地であり、その恵みを上手に盗む?のがお百姓の知恵と手間 ではないでしょうか。 そう教えるのが、頭に働きかける、では?感謝すべきは、お日様と自然環境では? 度が過ぎると、宗教、になりそうですが。

noname#145002
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#145091
noname#145091
回答No.4

「感謝して食べなさい」と“押し付ける”のではなく、  自分が、「感謝して食べている」だけでも、伝わるものではないでしょうか? 本当に感謝しているのであれば、決して「感謝して食べなさい」などと言わないかと思います。  「感謝しないのか・・・。まぁ、その内、分かるか」とか、「感謝しないのか・・・。まぁ、放って置こう」 というのが“筋”ではないのでしょうか?(本人の意志・人格尊重)   親切の不親切のような気がします。 言われて感謝する性質のものではないかと・・。

noname#145002
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

人間の脳は、理性を司る部分と 本能や感情を司る部分から出来ています。 質問者さんのいう、頭というのは理性であり 心、てのは感情だと理解します。 そんで、どっちに働きかけた方が 人間を動かすことができるかですが、 私は感情だと思います。 理由。 1,結婚して家族ができる。  多くの人は、家族の為ならどんなことでも  と考えるが、それは感情の働きに起因すると  思われるから。  嫁さんや、子供がカワイイのは、  理性でカワイイ訳じゃない。 2,中国では道徳教育が日本より盛んである。  しかし、日本人の方が道徳はよく守る。  中国人は規範意識が少ない。  これは道徳教育、つまり理性に訴える教育  は効果が少ないことを現している。  だから、多くの国は道徳を教えるのに宗教を利用する。  宗教を利用すると、道徳を血肉に浸透させる  ことが可能になる。 (武士道 新渡戸稲造) 「お国では宗教教育をしてないと聞きますが本当ですか?」 「本当です」 「おお、それではどうやって子供達に道徳を教える  ことが出来るのでしょう?」 3,人生の最後に何をしたい、と聞くと、多くの人は。  これこれを腹一杯食いたい、とか、美女と・・・。  これなど、心の方が、理性より強いことを示している。  あのチンギスハンは、白い美女を得るためにあれだけの  大帝国を築いたのだ。

noname#145002
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#150036
noname#150036
回答No.2

ボクは,アキバ系でデムパ系な,ミルキーウェィ系に住む 宇宙人系のサラリーマンです.しょぼい意見ですが,投稿 します. 人の心を動かすのなら,味で勝負すべきである.味覚に訴 えれば,おのずと心は開かれ感謝という志向性を蘇らせる であろう.誰しも暖かなものに包まれたときの記憶をもって います.そしてそれには誰しも感謝していたはずです. 我が国のコメが,世界に類を見ない触感を備えている理由 がこの,誰しもが抱く暖かさを忘れえない国民性にある様な 思いがしてやまないのである.いつまでも噛んでいたい, そんな気にさせる包容力なのだ. 逆に,強制されて食べるものは不味く,卑,このうえない. そんなものは,食わずに死ねたら,むしろ本望である. ちょっと食えない回答かもしれない.

noname#145002
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • LHS07
  • ベストアンサー率22% (510/2221)
回答No.1

たいへん申し訳ありませんが、 私は心に訴えかけたほうが動かされると思います。 米作りの苦労や世界中で飢えている人がいる ことは心に訴えかけていることだと思いますが どうですか?

noname#145002
質問者

お礼

ありがとうございます。 心に訴えかけているんですか。

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