平成不況時の金融政策について。
私は経済学の勉強をしているのですが、「平成不況時の日銀の金融政策」で分からない事があるので教えて下さい。
日銀は平成不況時において、ゼロ金利政策と量的金融緩和政策を行いました。(ゼロ金利(1)1999年2月~2000年8月(2)2001年2月~2006年7月、量的金融緩和2001年3月~2006年3月)
(1)ゼロ金利政策では「無担保コールレートオーバーナイト物をできるだけ低めに推移するように促す」という目標を掲げましたが、なぜ無担保コールレートオーバーナイト物を目標にしたのでしょうか?金利には色んな種類がありますが、経済学的には一つしかない為によく分かりません。
「なぜ銀行間の貸し借りの金利にしたのか、なぜ一晩なのか、どうすれば銀行間の金利だけを動かせるのか(名目貨幣供給量を増やせば、様々な金利が下がってしまうのでは、と思います)」出来るだけ金融の初歩にも分かりやすい言葉教えてほしいです。
(2)量的金融緩和について。日銀は市中金融機関の日銀準備を増やすことを目標にしましたが、どのような手段で行われたのでしょうか。(例えば、買いオペによって銀行に貨幣を供給し続けても、銀行が貸し渋りをしてしまえば、現金は市中に出回らない。市中に出回らないと預金も増えない。預金が増えないと預金に対して一定率で預ける日銀準備はなかなか増えていかないのでは?と思いました。)
(3)インフレ・ターゲットについて。インタゲは「物価上昇率に対して中央銀行が一定の目標を定める事」と定義されています。そして、平成不況時には、日銀はインタゲを採用しなかったと言われています。しかし、古典派の世界で考えればM=kPYより、M(=貨幣供給量)を増やせばP(=物価)は上昇してしまうのでは?と思いました。
つまり、量的金融緩和をする事はM↑よりP↑を起こし、インタゲ設定していなくても、結果として物価上昇を招くのではないかと思いました。私の考えは古典派の貨幣数量説に基づいてると思いますが、当時の日銀は違う派の理論に基づいていた為に見解が違ったのでしょうか?
以上の3点について、出来るだけ噛み砕いて説明していただけるとありがたいです。お願いします。