- ベストアンサー
イスラム教のスンイ派とシーア派ってので、
どこが、違うんでしょうか?コーランの表紙カラーが違うってな差異ですかね。 仏教で大乗仏教と小乗仏教があり、大乗は自己で悟りを開く、小乗は御仏の助けを借り現世での救済を図るって理解なんですが、あってますか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
簡単に言いますと、イスラムの開祖ムハンマドの死後だれを後継者とするかの対立から生まれました。 ムハンマドの死後イスラム共同体の長老でありムハンマドの娘アイーシャの夫であり、親友であった「アブー・バルク」を後継者とする人達がスンニ派で、ムハンマドの甥で、ムハンマドの娘ファティマの夫であり、ムハンマドの唯一の男子の孫を持つ「アリー」を後継者とするのが、シーア派です。 シーア派では、ムハンマドの血縁を重視し、ムハンマドの子孫が代々後継者を継ぐ事になっています。 それに対しスンニ派では、血族よりもその時の権力者を後継者として認める事になります。 そのためスンニ派では、最も重要な教義の変更が後継者にはできず、慣例(スンナ)を重視するために、スンニ派の名前がついています。 シーア派におきましては、ムハンマドの後継者(イマーム)は、コーランの教義の変更はできませんが、それ以外の教義の変更の権限を持ちます。 さのため、シーア派は、どのイマームの言葉を認めるかで、多数の宗派に分裂しています。 現在のシーア派の中心は、イランの国教である十二イマーム派です。 シーア派とスンニ派が決別したのは、3代目カリフのウスマーンが、アリー支持者により暗殺され、アリーが4代目カリフとなった事に対して、ウスマーンの一族でありシリア総督のウマイア家が反発し、戦争となった事に起因します。 戦争自体は決着がつきませんでしたが、ウマイア家、アリーの両方に不満を持つハワーリジュ派にアリーが暗殺さりたた(ウマイア家ムアウイーアの暗殺は失敗)め、カリフの地位はウマイア家に移ります。 カリフの地位を奪われたシーア派は、拠点をイラクに移しますが、イラクのカルバラでウマイア朝軍に破れ、一時的にシーア派は壊滅します。 この戦いで、シーア派に加わった人々がほとんど殺されたため、シーア派では、スンニ派に対し徹底抗戦の姿勢を貫きます。 イスラム世界では、最高権力者がカリフの地位を継承するため、最高権力者に対抗する勢力が、シーア派を保護しました。 アッバース朝成立時にも、アッバース家はウマイア朝を倒すのにシーア派を利用しますが、アッバース家がカリフの地位につくと、シーア派の弾圧を始めます。 ファティマ朝では、アッバース家に対抗するために、シーア派を国教とします。 イランでシーア派が優位となるのは、イランのサファビー朝が、オスマン・トルコに対抗して、シーア派を国教としてからです。 シーア派とスンニ派の違いは、ムハンマドの後継者争いから生じていますが、現在では教義や風習・戒律なども違ってきて、統一は難しくなっています。
その他の回答 (3)
- judas_2006
- ベストアンサー率56% (82/145)
私はこの方面の知識は全く持ち合わせていません。ただ「週間こどもニュース」でイラク問題が取り上げられたとき、たまたま見ていて「ほう、そういうことだったのか」と妙に納得しました。また「週間こどもニュース」つながりで前のお父さんの著書も分かりやすいと思います。 「週間こどもニュース」は、一応子供向き番組ということになっていますが、ある民放キャスターも良く参考にさせてもらっているとか。 ご参考まで。 ・「週間こどもニュース」より http://www.nhk.or.jp/kdns/_hatena/06/0304.html ・池上彰:大人も子どももわかるイスラム世界の「大疑問」 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062721279/sr=11-1/qid=1164495606/ref=sr_11_1/250-8311452-5466643
- j-mayol
- ベストアンサー率44% (240/540)
正統カリフ時代の最後のカリフ、アリーおよびその子孫のみを正統と認めるのがシーア派。それより前のカリフをも正統と認めるのがスンニ派と 世界史の授業で習ったとおもいます。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
多数派からみて、党派に偏っている意味で シーア(党派)派と呼んでいるのが、シーア派。自分らは、マホメット以来の慣習(スンナ)を守っているという主張をしている多数派がスンナー派。 本来、仏教はおのれの悟りを開くことを目的にした。 それでは、多数の人々を救えない、大きな乗り物の考えで衆生を救うべきだという考えで、自らを名乗ったのが大乗仏教。その大乗仏教のもの達が、小さな乗り物だと批判したので、小乗と言った。