- 締切済み
なぜ菩薩にはいろいろ種類があるのでしょう
仏教に関して質問させてください。 菩薩は「悟りを目指して修行中の人」「あえて成仏せず衆生を救う者」と聞きます。つまり「菩薩」は固有名詞ではなく、成道前の地位とか、階級みたいなものを指す言葉に思えるのですが、実際には「普賢菩薩」「文殊菩薩」など、ほとんどそれ自体が固有の信仰対象のような存在になっており、しかも非常にたくさんの種類があります。さらに観音菩薩にいたっては、これまた変化観音のバリエーションがたくさんあります。 これはどういったことなのでしょう。いつから、どういった経緯で「成道前の人」を指す言葉であったはずの「菩薩」が、仏の仲間入りをしたのでしょうか。大乗仏教が進むにつれて、菩薩の解釈が変わってきたというようなことなのでしょうか。 仏教についての本をいろいろ読みましたが、たいていは「菩薩にはさまざまな種類があります」という説明からはじまっていて、「なぜ、そうなのか」を書いているものはあまりないように思えます。ご存知の方がいたらお教えください。よろしくおねがいします。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- kagawa406
- ベストアンサー率16% (26/155)
回答No.4
- Executione
- ベストアンサー率43% (182/418)
回答No.3
- 4017B
- ベストアンサー率73% (1341/1821)
回答No.2
- alice0202
- ベストアンサー率58% (7/12)
回答No.1
お礼
kagawa406さん、お答えいただきありがとうございます。 「ボーディサットバ」は、サンスクリットの「菩薩」の語源ですよね。 私が不勉強で申し訳ないのですが、そのボーディサットバが、「修行者の具体的な名前」ということの意味が、ちょっと理解できませんでした。まことにすみません。 無量義経徳行品第一なる教典ではじめて、それまでの「成道前の修行者」とは違った意味の菩薩、つまり「菩薩なる名前の仏」が、登場したということなのでしょうか? それとも原語と漢訳とで、「ボーディサットバ」の意味合い自体が、ちがってきているということでしょうか。 いただいたお答えを参考に、また調べてみたいと思います。ありがとうございました。