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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:私の日蓮宗、曹洞宗の認識について、皆さんは、)

日蓮宗と曹洞宗についての認識

このQ&Aのポイント
  • 日蓮宗は大乗仏教で他力本願を求める宗派であり、宗教的改革の影響を持っています。
  • 曹洞宗は禅宗の一派であり、座禅だけでなく日常の活動も禅と呼ばれます。
  • 般若心経は幻という考えを伝えるための経典であり、流布される理由は諸説あります。

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回答No.2

>どの様に思われるのだろうか? 全く的外れの認識です。 >だれでも、仏性があり悟りを得られる説いたため、 大乗仏教本来の教えであって、日蓮は敢えてこのようことを説いてはいません。 >宗教的改革に近い 法華経を唯一無二の法典としただけで改革は行っていません >他力本願に新興大乗仏教が複数生まれた時代 他力本願の思想は既に平安時代に盛んになった浄土教でも既に説かれている思想です。 新興大乗仏教などというものはありません。 敢えて言うのであれば密教がそれに近いと言えます。 >生まれた背景は自力では解消出来ない大きな問題、元寇や、 元寇の数年前にすでに守護国家論、立正安国論を執筆しています。 元寇などよりも前に日蓮の思想は完成していたということです。 >日蓮自身は、他宗教と他仏教を浄化し、 他宗教を浄化するという考えは持ってはいませんでした。 他宗派を非難批評はしてもそれを浄化するという考え方は持っていませんでした。 >日蓮宗を国の国教に位置付けようとしたため、弾圧された、 守護国家論、立正安国論が幕府に対する政治批判であるとされて捕らえられただけです。 国教云々で弾圧された訳ではありません。 >禅とは、簡単にいうとヨーガの東アジアでの呼び方。 違います。 禅はサンスクリット語の dhyāna(ジャーナ)を漢音に訳した禅那を略した語です。 心を集中させるdhyāna という方法は大乗仏教以前の部派仏教でも取り入れられていました。 ヨーガは漢訳で瑜伽と呼ばれる瞑想方法で厳しい身体的鍛錬をともなう瞑想方法です。 身体的鍛錬をともなわない禅とは別ものです。 >座り方で様々な流派がある 座禅の際の足の組み方に簡易な方法があるというだけでそれで流派が分かれるということはありません。 >いわゆる上座仏教 曹洞宗は大乗仏教です。 >上座仏教は、自力本願で救いを求める閉鎖的な宗教。 (自分が救われればあとはどうでもよいということ). 自力本願で救いを求めるものでも閉鎖的なものではありません。 上座仏教というのは、仏教教団初期の部派仏教の一つです。 自力本願、他力本願という考え方は日本仏教特有の考え方です。 >悟りを得るには出家するしかない、出家しない人は救われない出家した人を聖人君子のように、崇め奉ってしまう弊害が生まれその弊害を解消するために大乗仏教が産まれ、、 大乗仏教はこのような経緯で生まれたものではありません。 タイをはじめ東南アジア諸国では現在も部派仏教(上座仏教)が奉じられていますが、出家による弊害は起きていません。 タイではむしろ男性の人生の通過儀礼として一時期出家することが求められています。 出家を終了してはじめて一人前として扱われます。 社会的にも認められていて企業でもその期間は休職扱いとなります。 >般若心経はこの世は全て幻であり、この世に正しいものは一切なく、あなたや私自身も幻である、ことを、二人の登場人物の対話形式で読み手に理解せるためのもの 般若心経は「空」を説いていますが「空」と幻とは全く別ものです。 従って「この世に正しいものは一切なく」などとは説いていません。 「あなたや私自身も幻である」などとは説いていません。 彼我の存在は認めます。その存在が「空」であると言っているだけです。 >中世では、呪詛(呪いのことばで、相手を呪い殺す行為)が流行ったその際に般若心経の最後の文語のぎょうてい、ぎょうてい、ハラソウギョウテイ、ホウジソワカ、(サンスクリット語とされている?)が呪詛の言葉としてよく使われたらしく、その影響も、あったか、よく広まったらしい、(本当のことは誰にも分からないが) 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦は「往ける者よ 往ける者よ 彼岸に往ける者よ さとりよ 幸いあれ」という意味です。 呪詛の言葉ではありません。 般若心経冒頭の般若波羅蜜多(般若の知恵)を完成させ涅槃の境地に達した者への祝福です。 般若心経の全編を理解し会得した者への祝福です。誰にも分らないわけではありません。 >呪文の言葉は、本来仏教ではあり得ないため、 密教では邪気払いの儀式として悪魔降伏・怨敵退散・七難速滅・七復速生秘を唱えることがあります。 その際に般若心経を唱えないだけです。 >殆どの仏教宗派では、重要視されないし、異端書扱いを受けている、 異端扱いはしていません。 阿弥陀仏に帰依することを教義とする浄土真宗で読まれていないだけです。 仏教の神髄を纏めたものとしてどこの宗派でも読み継がれ研究されています。 この意味では日本の浄土真宗以外全ての宗派の共通の経典と言えます。 チベット仏教であれタイ仏教であれ通用します。 共通の経典であることから儀式の際に自派の経典が優先されるケースが多いだけです。 >一部の東アジア仏教が呪詛として未だに、利用しているが このような事例は寡聞にして知りません。 >般若心経の読み方は宗派で全て違うので、正しい読み方がない。(読み方でつ込まれるのが面倒) 読み方が違うということはありません。 原本がサンスクリット語で書かれていましたのでこれを漢訳しその漢音を日本語の発音で読んでいるだけです。 漢訳の際に単語を漢語に置き換えた部分と意訳した部分と音訳した部分が混在しているだけです。 この意訳の際に鳩摩羅什訳と玄奘三蔵の訳とに多少の違いがあるだけです。 日本では玄奘三蔵訳が用いられています。 同じ漢字でも日本では呉音、漢音、唐音があります。 日常的には漢音が多く用いられていることからいきなり漢音で音読すると呉音のものとは違って聞こえるだけです。 チベットへ行けばチベット語にタイへ行けばタイ語に訳されています。 英文に訳されたものもあります。

hayyuji9401010
質問者

お礼

ご回答のほど、 ありがとうございます。

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その他の回答 (1)

  • 177019
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回答No.1

「他力本願」というのは間違っています。「他力本願」とは「阿弥陀仏の本願によって救済される」という意味で、日蓮系は自らの修行の功徳によるもので、阿弥陀とか他の仏像を拝む事は一切ありません。「日蓮は他宗教と他仏教を浄化し、国教に位置づけしようとした。」「国柱教等」、日蓮は他宗教を浄化したのでなく、「立正安国論」を見ても分かるように、様々な仏典の中から引用され、ここにこのような事が書いてあるから今び世の中にこのような現象が起きるのだ、だから間違っていますよ。と諌暁、警告しているのであって、浄化とは言いません。だから他宗派を信仰している者から弾圧されたのです。そしてやがて日蓮の仏法が日本国、世界に広がって行くだろうと言ったまでで、「国教「国柱教」とかは一部の振興宗教団体が言い出した事です。

hayyuji9401010
質問者

お礼

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