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D.Hロレンスのいう人間性について
ロレンスの前の時代、たとえばG.エリオットの時代などはキリスト的な要素があり人間賛歌の考えを持っていましたが、ロレンスの時代の背景には特に『虹』が作成された時期には第1次世界大戦もありました。この時代の境目には、大きな変化があると思うのですが、ロレンスのいう人間性とは具体的にどのようなものなのでしょうか?どうか詳しい方教えてください。
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D.H.ロレンスで非常によく引用されるのが、彼が『チャタレー夫人の恋人』を構想中に書いたゴ-ルズワージー論の中の、この一節です。 (引用は『筑摩世界文学体系69 ロレンス』所収のレイモンド・ウィリアムズによる「D.H.ロレンス」からの孫引き 小野寺健訳) ------ 人間は、主観的意識と客観的意識とにあまりにもはっきりわかれるとき、彼の中の何かが分裂して、彼は社会的存在となる。みずからの客観的現実をまた客観的現実の世界を前にした自己の孤立を過度に意識するようになるとき、彼の同一性の中心部は割れ、核が破壊され、純粋無垢なものが失われ、人間はたんなる主―客観的現実となる。ばらばらのものが蝶番でつながっている、しかし、それぞれが厳密には個ではない、というものになるのだ。 ------ ロレンスは、そもそも人間は「世界との無垢な一体性」をもったものとして生まれてきた、と考えます。それが、教育と階級によって、あるいは戦争や闘争、貧困、機械文明によって、その一体性が失われた、と考えるのです。 ロレンスが終始追求しようとしたものは、人間の生命でした。生命を失った現代社会に生きる人間が、ふたたびそれを取りもどすにはどうしたらいいかという思想を、作品の中に結実させていこうとする試みが、ロレンスの小説であった、ということができます。 そこでのロレンスの問題意識は、人間の心理の深層を探求していく、ということではなく、どうしたら人と人とが心理の深層において結びつくことができるか、そうして、結びつくことによって現実を、新らしい社会を創造しうるかという点にありました。 当時、二十世紀初頭のイギリスには、ジョイス、ウルフ、ハックスリーといった、心理主義的な、前衛的な手法をとった小説家が多く登場していました。 ロレンスは、同じく伝統的な小説とは異なるものを書いていながら、彼ら前衛作家とも異なる位置にいたのはそういう点で、大きく異なっていたのです。 それは、ひとつには、多くの知識人が裕福な中流階級出身で、ケンブリッジで高等教育を修めていたことに対し、自伝的作品『息子と恋人』でもあきらかなように、炭坑夫の息子(ただし母親は中流階級出身の教員だった)であった、という背景があります。 ロレンスは教育や、知的な価値観というものを、現代を毒しているものと考え、そうしたものを拒否し、生命の根源にさかのぼって、人と人のつながりを築いていくことを模索します。 そうして、そのつながりは具体的には闘争という形をとります。 男と女、あるいは男同士が争いながら、互いに冒すことのできない関係を求めていく。その果てしのない闘争を通じて、人と人は結びつく、生命を取りもどす、と考えたのです。 ロレンスの求める生命とは、非常に大ざっぱにまとめてしまえば、そうしたものになっていくと思います。 もちろん、第一次世界大戦は、ロレンスに大きな影響を及ぼします。 彼の妻フリーダ(大学時代の恩師の妻で、六歳年長、すでに三人の子供をなしていたフリーダを、わずか六週間の交際期間で出奔させたことは、ご存じですね)がドイツ系であったこと、ロレンス自身も戦争に反対していたことから、第一次世界大戦中はスパイの嫌疑を受け、弾圧されます。そうして戦争が終わったときにイギリスを去ってイタリアへ渡り、そこから世界各地を転々としますが、ふたたびイギリスに戻ることはありませんでした。 > G.エリオットの時代などはキリスト的な要素があり ロレンスはキリスト教に対しても批判の目を向けます。 イエス・キリストを主人公にした「死んだ男」では、キリストを異教の女神と交わらせ、その戦いと合体を通じてキリスト教は蘇る。 「愛」だけがあるのではなく、「憎しみ」と表裏一体のものとして、「愛」と「憎しみ」の確執のなかに生命は生まれるという思想があったのです。 非常に複雑なロレンスの思想を雑駁にまとめましたが、これはごくごく英文学の常識レベルの話です。 これが課題であるならば >時代の境目には、大きな変化があると思うのですが という点の検討は重要になってくるでしょう。 『D.H.ロレンス批評地図』(キース・ブラウン編 吉村宏一、杉山泰他訳 松柏社)これはおそらく図書館にはあると思うので、ぜひ参考になさってみてください。
お礼
大変参考になりました! ありがとうございました。