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人間の尊厳とは?
- 人間の尊厳とは世界の歴史や状況において守られるべき重要な課題です。
- 時代や国によって人間の尊厳に対する価値観は異なるかもしれません。
- しかし、現代の私たちにとって人間の尊厳は絶対的な重要事項だと考える人もいます。
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>人間の尊厳とは? どんな時代背景や状況下でも守るべき重大課題でしょうか? 『人間の尊厳』とは、当時の人間が許容しえる根本的人権と看做されるものである。 これは、流動的かつ個別的判定が行われるものであって、○○権という話ではない。 例えば、『人間の尊厳』として消極的安楽死(尊厳死)が許容される場合もあるが、一方では、それが許容されない場合もある 簡単な話、人間の尊厳とは確立したものではなく、主観的かつ流動的かつ個性のありえる概念であって、それが権利である保障さえないものである。 >しかし時代によっては、殺人が合法であったり当たり前の日常、弱い人を虐げる事それを楽しむ風潮などがあるのも事実です。 人間の尊厳という観点で見ると、戦争で英雄として上げられているナポレオン、カエサル、中国では毛沢東、日本では戦国武将など多くの人命の上に築き上げた地位は賞賛する価値があるでしょうか? 『人間の尊厳』の意味次第である 命・名誉が人間の尊厳の根底にあるとは断定しきれないし、当人がもっとも重要視する価値観が『人間の尊厳』でありえることを想起すれば、指摘については、人間の尊厳の意味を個人レベルで精査した上で回答するしかない。 少なくとも小生の『人間の尊厳』でいえば、賞賛・批判もどちらでもありえるだろう。 >宗教的観点でみるなら、その人達は重たい罪を犯しているのでは? 宗教次第である。宗教によっては、異教徒を改宗するための殺人行為を厭わない場合もあるのだから・・・ >現代に生きる私はもちろん人間の尊厳とは人類の絶対的な守られるべき重要事項、絶対課題だと考えます。 小生は、『人間の尊厳』を尊重したいと思う しかし、その『人間の尊厳』が、他者の尊厳や公益性を著しく貶めるものであれば、絶対的な尊重の価値はない、と考える。 >しかし国や時代によってはこの人間の尊厳とは意味を成さないものなのでしょうか? 『人間の尊厳』は当時社会の認容次第でもあるから、意味を為さないとは言えない。 ただし、意味を為す保障がありえるわけでもない。独善的なものであることも当然ある 国・時代・社会にとっては意味を為さないことはありえる独善的なものでもありえることを踏まえて思慮するべきであろう。 『人間の尊厳』とは、それほど難解かつ主観的かつ抽象的なもので、当人しか捉えることが出来ないものである。もっといえば、当人でさえ流動的なものであって不安定なものであろう。 厳然とした『人間の尊厳』などという概念があるとすれば、それは尊厳の意味が軽いしか思えないのだが、仔細を論じれるほど確定的かつ固定的なものではない、というべきだろう 以上
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- tiltilmitil
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>宗教的観点でみるなら、その人達は重たい罪を犯しているのでは? 聖書を読めば、神がいかに大量の人間を殺してきたかぐらいはお解りになるかと。一度は人間一家族と動物雄雌一組ずつのみ残して世界中の生物を滅ぼしてます。宗教的観点から見るに「逆らうものは殺してしまえ」はむしろ正しいと言っていいのでは。
- alterd1953
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その人間の愛情が及ぶ範囲で決まると思います。 博愛主義者なら全人類に尊厳を認めるでしょうし 国粋主義者は他国の尊厳を認めないでしょうし 人種差別主義者は多人種の尊厳を認めないでしょうし 学歴に価値を置く人間は学歴の無い人間の尊厳を認めないか 少なくとも軽く見るでしょうし 収入に関しても同じだと思います。 また、自分しか愛してない人間なら、他人の尊厳は認めないでしょう。 自殺する人は自分の尊厳すら失っている場合があるのではないでしょうか。 (尊厳を守るために死ぬ場合もあるかもしれません) 要は、千差万別だと思います。
- hekiyu
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”人間の尊厳という観点で見ると、戦争で英雄として上げられている ナポレオン、カエサル、中国では毛沢東、日本では戦国武将など 多くの人命の上に築き上げた地位は賞賛する価値があるでしょうか?” ↑ 質問者さんは、人間の尊厳=人間の生命 と考えているのではないですか? 原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、いのちを賭けて戦いました。 その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、人は知能を磨き 力を養い、心と体を鍛え、一面で道徳律を築き上げたのです。 その結果、文明が築かれ文化が創られました。 人間の尊厳は 人間には生命よりも大切なものがある、 ということを知っていることだ、と思っています。 生命が一番大切だというのでは、動物 と同じです。 これでは動物の尊厳に過ぎません。
- 小林 哲夫(@kobatetu01)
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「殺人は悪いこと」という道徳は、「どんな時代背景や状況下でも守るべき重大課題だ」と思います。 「時代によっては、殺人が合法であったり・・・」という事実はありますが、それは合法であっても、「悪いこと」には違いありません。 ナポレオン、・・・・毛沢東、・・・、すべて賞賛する価値はありません。 「その人達は重たい罪を犯している」と思います。 >「国や時代によってはこの人間の尊厳とは意味を成さないものなのでしょうか?」ということは無いと考えます。 と言っても、そんなことは通用しないのが現実の世界である、と言う面もあります。 戦争になったら、敵を殺すことが賞賛される世界に我々は住んでいます。 日本が戦争に巻き込まれて自衛隊員が殺人を犯さなければならない状況が来ても、その殺人を賞賛しないで、出来るだけ殺人を犯さないような行動を薦めるようにすべきと考えます。 ただし自分が殺されそうな場面で、それでも相手を殺さない、というような聖人のようになれと言う意味ではありません。 聖人になることは無理としても、「できるだけ」、「なるべく」殺人は犯さない、自分が殺されそうな場合以外は殺人を犯さない、というような、心境です。 そして殺人を奨励するような人間にはならないようにすることが重要です。 それを戦争の時代になっても守りたいものです。
- tomban
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難しいところですね。 戦争は「始まったらそれでもう終わり」というところがあります。 どんな終わり方をするのか、させるのか、と言うことが課題ですけど、それも国によったり、人によったりで違いが大きなものです。 どこまでやれば勝利か?ということさえ、正直決まりがないですからね。 人の尊厳というものは、確かにどんな場所でも「守るべきもの」ではあります。 戦時下でもそうでなくても同じです。 しかしながら、それをなし崩しにしてしまうのが、戦争などの「争いごと」です。 これは経済競争でも同じです。 尊厳を守る、ということが「自己保身」に変わっていく時点で、意味は正反対になってしまいます。 国単位、民族単位でも同一です。 他人の尊厳を認めなかったら、尊厳とは言えないのですが、それも誰かの攻撃を受けたなら、極めて脆いものでしかないわけです。 人間は生まれながらに「業」を背負っているわけですね。 しかし、実現が難しいからこそ、行為そのものが尊いわけです。 業を諦め、受け止め続けているだけならば、そこから人間は人間として振る舞えなくなっていきます。 人間は繁栄するために業を受け入れ、その行為によって自らを破壊するという「馬鹿者」です。 自らの馬鹿さ加減を知ろうとしないうちは、尊厳というものも水泡に等しい。 人間なんて、そんなものなのかもしれませんね。