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グレアム・グリーンの『情事の終わり』について
西欧の精神状況一般もそうですが、英文学にも精神のサイクルるが見られます。 ジョージ・エリオットが神から離れ、ロレンスはその道をさらに推し進めたのに、グリーンはまた神を伝統的な場に戻しています。 とくに近代、科学が発展し複雑な時代ゆえ、あえてグリーンは 人間賛美から離れたのでしょうか? 宗教的な点で『情事の終わり』のご感想・ご意見を伺いたいのですが・・・
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こんにちは。 たしかに、グリーンは「神寄り」な気がします。 時に、「神拠り」と思えるほどに。 それゆえ、神離れした現代では読者が減ったのかもしれません。 ただ、彼が「人間賛美から離れた」のは 「科学が発展し複雑な時代ゆえ」でしょうか。 そもそも、彼は「人間賛美から離れた」のでしょうか。 彼はただ人間の限界や弱さを冷静に見つめていたのでは? 踊らされることなく。 そんな印象を受けます。 私はグリーンの一読者にすぎず、研究者ではありませんが、 グリーンの小説を読んでいると、 人間に対する愛着のようなものを感じます、 賛美とまでいかないにせよ。 そして、人間愛と神への信仰は両立すると思います。 私の感想では、グリーンはその両方を持っていた、 あるいは、両者の間で揺れていた。 それが、『情事の終わり』についての私の読後感想です。 ちなみに、物語中の「神」は、実のところ、 神でなく、他のものでもよかったのかもしれません。 たとえば、天使でも悪魔でも虫でも海でも。 信仰の対象は神以外でも人間は救われるはずです。 役に立たない回答でごめんなさい。 私は読書好きですが、分析や研究は苦手なんです。
お礼
ありがとうございました。 奥が深い感想ですね。