キリスト教でのイメージで、どのように変化していったかですか?
これは難しい。
>私はそもそもキリスト教に神殿はあるのかも知りませんし
キリスト教が何をもって神殿とするのか、私は知りませんし、キリスト教は神殿を持っているのかと聞かれたら、推測でしか言えません。
例えば、日本人の宗教信者は、神棚や仏壇に向かう。
ミニチュア神殿なわけです。
それでいけば、キリスト教徒にとってみたら、教会が神殿でしょうし、家に飾っていあるキリスト教のシンボルの処刑道具 いえ、十字架が飾ってある部屋も神殿でしょうし、首から提げている十字架を携帯式神殿とするのかもしれない。
が、、、、教会の建物は、イエスの母マリアに捧げられている。
従って、教会はマリアの家であり、神殿では無いことになる。
信者が仏教や神道のように過去の人を拝むというのであれば、拝むことに問題は無いのですが、、、「誰拝んでいるの?」「決まってるだろう マリア様」ってなると、ちとキリスト教にとってみたら問題かも。
で、カトリックでは神の信者が御願いをすることは禁じています。
神と対話できる唯一の人は、この世でたった一人、神の地上の体現者教皇のみ。
教皇のみが神と対話でき、信者は絶対に神に御願いしたり、話しかけたりしてはいけない。
という掟がカトリックにはあります。
で、しょーがないから、信者は神様に御願いできないので、神様を産んだ人間であるマリア様に御願いをしているってわけです。
教会側はマリアは人間なので、信者が直に話しかけてもオッケーと許可している。
というのがあって、信者はマリアの家をせっせと建築したのでしょうか。
この設計図を見ると、やはり女神に捧げた神殿だとしか思えない。
で、、、、そもそも、古代ユダヤ人は放牧民だったので、移動式幕屋を使っていた。
日本の神輿みたいに担いでいたわけです。
幕屋に近づけるものはレビ人限定だったのですが、運搬の時はレビ人以外も参加できたようです。
よろってよろめいてあわやアークを落としそうにだけで、処刑されたかなんだったか罰を受けたと書いてあったと記憶します。
アークは契約の箱のことで、中に石版とアロンの杖とマナの壷の3つの神器が入っていたと思います。
ところでアーク、弓の形であり、三日月。
これは女神のシンボル。
神殿の至聖所にアークは安置されていたそうですが、女神のシンボルであるアークが建物の一番聖場所に安置されていた←→教会はマリアに捧げられたもの。
どゆことでしょうね。
放牧民だったものが、定住するようになり、神殿がたてられ、そこの至聖所にアークは安置され、大祭司しか近づけなかった。
ソロモンの時代に神殿がたてられたようです。
そこにアークは保管されていたわけですが、ペリシティ人に盗られたりした。
そうやっているうち、ユダ族とベニアミン族は宗教的見解の違い というか 派閥争いから、別の王国を築いたんですね。
元のイスラエル王国は山を御神体と考えたのに対して、南のイスラエル王国は石で作られた建築物を宗教的祭儀場とした。
そのうち宗教と政治を行うものが一緒になり、宗教のリーダーは政治でもリーダー的存在になった。
(ここ ややこしいので、どうなったのかの説明は省きます。)
で、神殿は何度か増築されたのですが、ローマとの戦争の時、至聖所も破壊されてしまいました。
ところで、アークはどこいったのか?
その前から紛失していて至聖所には保存されていなかったようです。
今、どこにあるのかはわかりません。
伊勢神宮にあるとかいう噂はありますが、、、苦笑。
さて、イエスはペトロに「あなたは岩だ。あなたの上に家は建てられる」と言ったとか。
で、キリスト教はペトロを初代教皇としています。
ペトロが埋葬されているという噂がある場所。
聖ピエトロ大聖堂。
どこにあるかというと、バチカン市国という国の中にあります。
ペトロが埋葬されている上に、聖ピエトロ大聖堂がある というわけです。
バチカン市国自体がキリスト教の中のカトリック派の本拠地です。
その本拠地の中で一番重要な建物が、聖ピエトロ大聖堂。
至聖所なわけです。
今建物の設計図を見たのですが、「あら 生命の木」に似ている と思えました。
日本の古墳の形にも似ていますが。
このネクロポリスがキリスト教の神殿なのでしょうか???
うーーん。ドーム、半月、女神、tomb womb。。。。うーーん。
ところで岩の上に家を建てる、神殿を建てる というのは、キリスト教ができるよりずーっと前の異教の宗教的概念。
どこだったかイタリアだったかギリシャだったか忘れましたが、大都市の地下を調べたら、大きな岩が奉ってあったそうです。
本当に古代の人は地下に岩を奉って、その上に町を築いていたわけですね。
キリスト教ができるより ずーーっと前の遺跡。
異教ではそういう概念があったから。
岩、何を意味するか、ペニス・男根です。
子孫繁栄ってことですね。
そういうのが概念が異教にあり、その異教の概念をもって、「ペトロ あなたに精力旺盛なペニスを与える。 あなたの子孫はたくさん増える」と神の祝福がペトロに下ったというわけです。
古代の神の祝福とは、子沢山の事でした。
聖書の中で神は何度か人間と契約をしています。
「あなたの子孫を増やす」と。
契約 つまり 神の祝福内容は、毎回子孫繁栄でした。
で、バチカンの名前も異教の概念であり、ペトロの岩も異教の概念であり、十字架も異教の女神のシンボルであり、ユダヤ教とは関係 無い。
なんでキリスト教徒は異教の女神を崇拝しとるんだ????
異教の女神がイエスを処刑したことになっとるがな。
だからなんでキリスト教は、ユダヤ教とは関係ない宗教概念異教の宗教概念を採用したのに、旧約聖書を使うのだろう???と疑問です。
まあ、とにかく、キリスト教が出来たころは、エルサレム神殿は無かったようです。
ナザレ派はあくまでもユダヤ教であり、キリスト教の教義とは異なるように思えます。
従って、ユダヤ教ナザレ派の創作文学を書いた作家は、別の教義を持つキリスト教が誕生するなど、思いもしなかったと思えます。
で、ユダヤ教は2000年前、ローマ帝国によって神殿を破壊されました。
「この建物がある限り、ユダヤ人ははむかう。」として、はむかわないように、宗教祭儀をやり、集団の団結力を促進してやまない神殿を破壊してしまったんです。
そうすれば、ユダヤ人は去勢されるとして。
(はむかうことになった理由は、ローマから派遣されていたピラトなど悪総督たちが、彼らの宗教を踏みにじり続けたからなのですが。)
で、神殿を破壊して、祭司たちを虐殺して、エルサレムにユダヤ人を入れなくして、生き残った人たちは奴隷として各地に売られた。
破壊して別な異教の概念を持つ宗教をつくり、それをローマは国教とした。
ユダヤ人は世界各地に離散するのですが、2000年後にイスラエルに戻り出した。
「せっかく去勢したのに、復活しとる。
このままでは、神殿を作られてしまう。そうなったら最大の脅威だ。」
キリスト教はなんとしてもユダヤ人が神殿を復活させるのを阻止したい。
何故なら彼らの神殿は、ものすごい力を持っているから。
再建されたらアウトなので、イスラム勢力を煽って、再建を妨害し続けている というわけです。
キリスト教のシンボルマークならわかりますよ。処刑道具の十字架。
イエスがもし電気椅子で処刑されていたら、信者は電気椅子のミニチュアを首から下げることになっていたわけですね。
大丈夫、天空には電気椅子は無いので。
ただし、十字架はありますので、毎年ある地域では12月25日になると太陽が十字架にかけられます。
自然界のできごとなので、人間には阻止できません。
皮肉なことに、キリスト教信者は処刑日に「楽しいなぁ」と喜んでいる。
で、あくまでキリスト教のイメージでいけば、ユダヤ教の神殿が再建されたとき、キリスト教がこの世から消滅する くらいの脅威があるのではないか と。
あと何十年か後には、実際そうなると思います。
イエスの時代が完全に終わるから。
これも自然界の出来事なので、人間では阻止できません。
イエスの時代がやってきたと聖書作家が書いた頃は、新しい時代になった頃で、社会風潮がそうだったのではなく、天体がそうだったから。
2000年ほど前頃、牡羊座から魚座に地球が移行していた時期だったんです。
で、キリスト教が生き残るには、神は新しい契約をしたとして、新しい時代のシンボルを歓迎するしかない。
キリスト教が出来たころ、魚がシンボルでした。
なぜから魚座の時代に移行した頃だったから。
で、次は水瓶座の時代なので、新しい強力な宗教がみずがめ座のシンボルを首から下げるんじゃないか と。
ただし、ユダヤ教徒には関係が無いかも。
たとえどの時代になろうと、神を讃えるための建物を建築し、神から選ばれた唯一の民として、その周りに棲みたいと願うのではないか と。
キリスト教徒になっていたユダヤ人も帰還すると思えます。