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ヒヤリングの問題(特訓)

 日本語を勉強中の中国人です。ヒヤリングの問題についてお伺いします。 A:ケンさん、日本語の特訓の成果が出たわね。 B:__ (1)そうだね。以前にもまして上手になったよね。 (2)そうだね。以前にひきかえ上手になったよね。 (3)そうだね。以前につけても上手になったよね。 模範解答:(1) 1.Bさんはケンさんですか。AさんはBさんの日本語の能力を誉めているのでしょうか。なぜBさんは謙虚に答えないのでしょうか(たとえば、「まだまだです」、「下手です」とか)。上手になったのはいったい誰でしょうか。Aさん? Bさん? ケンさん? 何かこの会話のシチュエーションがいまひとつよくわかりません。説明していただけないでしょうか。 2.「にまして」と「にもまして」は同じでしょうか。 3.「にひきかえ」はフレーズですか。もう少し例文をいただけないでしょうか。 4.「につけても」はフレーズですか。もう少し例文をいただけないでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、ご指摘いただければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。

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回答No.6

ケンさんがBさんである場合と、第三者である場合と両方が考えられます。 例えばAさんもBさんも日本語を学んでいるとします。 会話の様子をテープか何かに収録して二人で聴いていると思ってください。 A:ねえ、ケンさん、(とケンさんに向って)ケンさんの日本語ずいぶん上手くなったよね。日頃の特訓の成果が出ているね。 【Bさんが自分の会話のテープを聴きながら】 自分でも以前より上手くなったと実感したのでしょう。 B:そうだね、こうして聴いてみると、以前にもまして上手くなったと我ながら思うよ。 このような会話はきわめて自然です。 そしてこの場合、何も謙遜しなくてもいいのです。 だって、上手くなるためにお互いに勉強しているのですから。 もう一つの方は、友人のケンさんの語学力の上達を認めたAさんが、Bさんにそのことを話しながら、Bさんに同意を求めている場面です。 2.「にまして」と「にもまして」は、後者の方がよりその度合いを強調することになると思います。 3.「にひきかえ」は「それにひきかえ」という言い方が一般的で、「それ」はその前に出てきている「フレーズ」全体を指す場合が多いと思います。 ⇒兄貴のほうは頭脳明晰で成績はいつもトップクラスだ。それにひきかえ弟の方は遊んでばかりで、進級できるかどうかもわからない。 ⇒今度オープンした店の商品は全部ブランド物で、高価なものばかりだ。それにひきかえこっちの店のものは、中古で安物ばかりだね。 ★このように前のフレーズと正反対のものを書きたいときに「それにひきかえ」を挿入します。 *「しかし」とか「それとは逆に」「一方」などが、「それにひきかえ」と置換え可能な言葉になるのではないでしょうか。 4.「につけても」 ⇒「以前につけても」という表現は無いと思います。 ⇒「につけても」は、様々な意味合いを表現できる言葉ですが、それだけに非常に使い方の難しい言葉です。 一般的には「○○するといつも」、「○○すると決まって」とか、「○○するといつの間にか」、「○○すると自然に」などの意味合いを表現します。 ★真っ赤に夕日で染まる西の空を見るにつけても、思い出されるのは故郷の両親のことだ。 「につけても」は、「それにつけても」という使い方をすることがあります。 ⇒この場合は、【前に出てきたフレーズはさておき】【それはそうとして】という感じで、そのフレーズとは何の関係も無いようなフレーズを持ってくることが多いのです。 ★今日も一日終わったし、一杯飲んでいくか。それにつけても何とかならないのかね、この寒さは。 ★さっきから遠くで吠えている犬はうるさいね。それにつけても金が欲しいな~。

awayuki_ch
質問者

お礼

 shigure136さん、こんばんは。ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。とても理解しやすいと思いました。わかるようになりました。大変助かりました。  本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

1.私は誤って(2)を選んでしまいました。だめの理由を考えてみましたが、shigure136のご意見はいかがでしょうか。 ア.辞書によって、「特訓」の意味は『〔「特別訓練」の略〕特に能力を向上させようとする人に対して、短期間に平素の量や内容を超えて行う特別の訓練』だそうです。普通技術が優れる人のために、行った訓練のような気がします。 イ.「AにひきかえBは~だ」という構造の中で、「~」の部分は普通マイナス意味の文が来るような気がします。 ウ.以前はどういう様子なのか、書いてありません。 2.汚い言葉で申し訳ありません。「それにつけても」は「(あ)っていうかー」のような感じでしょうか。「それにつけても」は「につけても」とは別々に考えたほうがよろしいでしょうか。

その他の回答 (25)

回答No.26

awayuki_ch さん、遅くなって申し訳ありません。 【変化して出来上がった状態を表現している場合は、「なる」を使うのではなく、「なった結果としての状態」を記述しますので「なる」という表現が使われなくなってしまうのです。】 という表現が判りにくいとの事ですが、確かに判りにくいです。自分でもそう思います。書き方が下手だからだと気付きました。 もう一度書いてみます。 ★【下手だった⇒上手になる】という変化を表現するとき、常に「上手になる」というように「なる」を使わなくてもいいのです。 それは、【上手になる】ということを表現する時には、【上手】という単語を使ったり、【上手だ】などの言い方なども使われます。 したがって、「昨年は下手だった。それにひきかえ今年は上手になった」という変化を表現する場合には、、「昨年は下手だった。それにひきかえ今年は上手だ。」でも良いのです。 「昨年は下手だったな~。それにひきかえ今年はすごい上手!」 などと「なる」を使わなくても変化は表現できるのです。 ★このように「下手」が変化して「上手」になった状態を表現している場合は、「上手になる」とか「上手になった」という表現を使わなくても良いのです。したがって「なる」という表現が使われなくなってしまうのです。 つぎの例文について解説します。 >ひどい米不足だった去年にひきかえ、今年は米がたくさん収穫できるようになるとのことです(=豊作のようです。 ⇒これは昨年の状態と今年の予測とを対比させています。 ★今年の実績とを対比させるのであれば ⇒【ひどい米不足だった去年にひきかえ、今年はお米がたくさん穫れた。】 ⇒【ひどい米不足だった去年にひきかえ、今年は豊作だった。 ⇒【ひどい米不足だった去年にひきかえ、今年は米が余った。】 などとなります。 しかし、まだ今年の収穫が終わっていない場合に、今年の収穫量を予測した文章を書く場合は、 ⇒【ひどい米不足だった去年にひきかえ、今年はどうやら豊作になりそうだ。】とか、 ⇒【ひどい米不足だった去年にひきかえ、今年は豊作のため米余りになりそうだ。】などとなります。 ・節約家の父にひきかえ、母は本当に浪費家だ。 >節約家の父にひきかえ、母の浪費癖は年々ひどくなる。 ⇒これは「浪費家」への道を突き進んでいる「母」の状態を表現しています。 ⇒「浪費家」とまでは言えないが、次第に浪費の度合いが激しくなり、「浪費家」へと変化している最中の状態を表現しています。 ・昨年にひきかえ、今年はたいへん不景気だ。 >昨年にひきかえ、今年は次第に景気が悪くなるようだ。 ⇒これも予測の文章です。 ⇒昨年は好景気に沸いていた。しかし、今年は昨年にひきかえ、この先景気は悪くなる見通しだ。 ということです。

awayuki_ch
質問者

お礼

 shigure136さん、度々ありがとうございます。遅くはありません。ぜんぜんお気になさらないでください。ご親切に説明していただき誠にありがとうございました。大変参考になりました。確かに変化を表現するとき、常に「になる」にこだわらなくてもいいのですね。「もうすぐ5時です」と「もうすぐ5時になります」は同じような感じがしています。まだよくわからないのですが、以前おっしゃったように多くの文章に触れるようにします。  何度も本当にありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.25

>料理の場合の「下手だった(まずかった)」という【動的心理状態】の「動態」は具体的に言えば、どんな感じでしょうか。「日本語が下手だった」という【動的状況】が存在するとすれば、どんな感じの状況なのでしょうか。 :多分awayuki_chさんは、「下手になった」ということを「動的」と捉えていらっしゃるのだと思います。 これは私も明快な判断だと思います。 ただ、「だった」にも「動的」「静的」それぞれの状態が存在するように私は思ったわけです。 【「料理が下手だった」の動的心理状態】 ・以前、花子さんが作ってくれた料理の(まずかった)味が口の中に蘇るようなイメージ。 ・「花子さんの作る料理は本当においしくなかったなあ」とつくづく思い出されるような心理状態。 という感じでしょうか。 それに対して【静的状態】は、 ・「料理が下手だった」という事実。 ・おいしくなかった料理そのもの。 というニュアンス。 【「日本語が下手だった」の動的心理状態】 ・ケンさんが下手な日本語を話していた時の口調や、その場の雰囲気までも蘇るようなイメージ。 ・ケンさんの下手な日本語の発音やイントネーションが耳に明確に響いてくるようなイメージ。 といったところです。 それに対して【静的状態】は、 ・ケンさんの下手だった日本語そのもの。 ・ケンさんは日本語が下手だった、とう事実。 という感じでしょうか。 本当に細かな違いで申し訳ないぐらいのものです。 論点について的確なご質問をしていただき感謝いたします > 「一致を見ている」はどういう意味でしょうか。 :直訳的には、恐らく「一致という状況に至った、ということを皆が見ている」ということでしょうか。結果として、 『「一致している」と言って良い状況にある。』 という意味になると思います。 「一致している」が断定的であるのに対し、婉曲的な表現とお考えになって差し支えないでしょう。 ーーーーーーーーーー 今、私は無意識に「断定的である【のに対し】」という表現をしました。 【にひきかえ】を使わなかったのは、 「一致している、の断定的要素」と「一致を見ている、の婉曲的要素」が、 【明確に対立している】と言えるほど厳密な区分ではない、と自分自身で感じていたからだと思われます。 ーーーーーーーーーー

awayuki_ch
質問者

お礼

 hakobuluさん、度々ありがとうございます。  「だった」にも「動的」「静的」それぞれの状態が存在するのですね。気づきませんでした。「料理が下手だった」の動的心理状態と「日本語が下手だった」の動的心理状態を具体的に書いていていただいて助かりました。大変参考になりました。  「一致を見ている」の直訳を見たら、確かに結果的には婉曲的な表現になると気づきました。機会がありましたら、この表現を自分の文章に生かしてみたいと思います。  これまで(2)がだめの理由をきちんと整理して心づけようにします。もっと長ければ、もっとシチュエーションがわかれば、と練習問題自身に不満もあります。何度も本当にありがとうございました。

  • fuyumerei
  • ベストアンサー率22% (28/123)
回答No.24

>『「ひきかえ」の両辺とも「静的」じゃないですか。』とのことですが、練習問題の両辺が静的であるとは私は思いませんし、まさにその点の論議と思っていたのですが、このようにおっしゃられる趣旨が良くわかりません。 No.24さん。これは私の誤解でした。すみません。 >たとえば「上手になった【結果】」であれば、同じ【静止】と判断可能ですから自然な表現になるということです。 「上手になる」と「上手になった」は前者が変化、後者は変化ではなく変化後=結果だと私は疑いなく思っていて、動的か静的かで言えばそりゃ静的だろうと、こういう思考です。(*1) だから、「日本語が上手になるという状態」とかいう説明を持ち出さなきゃ同じ認識なのに、とこういう風に思ったんです。 引用の最初「たとえば」は目には入っていたはずですが、事実上読み飛ばしたりしたんだと思います。 問題文の「上手になった」は過去形か完了形か文法はよくわりませんが、これを「結果」に違いないと私は疑わなかったんです。 問題文の「上手になった」は動的だ、そういう趣旨で元々書かれてらっしゃったのに私の思い込みで申し訳ないことをしました。 たぶん淡雪さんも同じように勘違いされていて、No.21の補足に対する >>ここは【日本語が上手になる】ではなく、【日本語が上手になった】なので、【になった】によって、動的な変化を経て結局静止の結果にたどりついたのではないでしょうか。 >:そのほうがわかりやすい説明ですね。 は、このように納得しちゃうとNo.24さんの意図は淡雪さんに伝わらないと思います。納得しちゃうと、問題文の「上手になった」は静的だとNo.24さんは思ってらっしゃることになりますし、これ以降の回答(問題文の「上手になった」は動的)とつながらなくなります。 >◆「AにひきかえBは~」論点の整理◆ >私の考えをまとめてみますが、大局的な齟齬や矛盾があれば指摘してください。 1~3は皆に同意を得るような形で進められているので、ここまでに互いに齟齬があるなら指摘してくれってことなのだと解釈させていただきます。2までは同じ認識です。 3はちょっとあやしくなって >≪対立の概念が漠然としている事柄に関しては不適当(2)≫という点でも一致を見ていると考えて良いと思います。 っていうのは、言い換えると『対立の概念が明確であれば適当』ですが、「誰にとって」というのが私とNo.23さんとで違うと思いますよ。No.23さんは「誰にとっても」ですが、私は「発話者にとって」です。 ちなみに、4と5は当然私にはよくわかりません。 >「引き換え」が「交換」なだけに、「下手である」という『確定していた事実』と、「上手になった」という『変化』は、比較できないということですね。それが「なる」がついてちゃいけない理由だ、と。 >(2)がダメな理由としては、私は今のところそれしか考えられないです。仮に(2)が本当に不可であるならば、こういう理由だろうなって思います。 と私がNo.15で書いたものは、 >「引き換え」が「交換」なだけに、「下手である」という『確定していた事実』と、「上手になった」という『結果』は、比較できないということですね。 に変えた方がいいですね。これを「異なる属性は交換不可説」とでも言いましょうか。『結果』は事実とも言えると思いますので、実は交換できますね(^ム^) 実は交換できるので、(2)を切る理由にはできないですね。すみません。 「異なる属性は交換不可説」を淡雪さんが発展させてこられた「動的なものと静的なものは交換できない/明確に対立しない説」も、上の*1で示したように、(2)を切る理由にできないと思います。 加えて、「異なる属性は交換不可説」や「動的なものと静的なものは交換できない説」は「AにひきかえB」の説明としてなんかしっくりこないです。 「去年にひきかえ、今年の夏は冷夏になりそうだ。」 とか 「昨年にひきかえ、今年は次第に景気が悪くなるようだ。」 は自然な文だと思いますが、 Aは事実で、Bは予感とか予想とかですよね。「事実」と「予感」は異なる属性だから「異なる属性は交換不可説」は間違ってるだろうと思います。 また、「事実」は静的だと言えそうだけど「予感」は静的か動的かよくわからないと思いません? 静的、動的というのが曖昧だから判断できないんだと思います。それに「今年の夏は冷夏になりそうだ。」ってのはどちらかというと動的っぽいかなとも。。 だから、静的同士、動的同士だから、「ひきかえられる」とか「対立している」とか言う「動的なものと静的なものは交換できない説」もしっくりきません。 (2)を切るためには、「AにひきかえB」とは何ぞや? という疑問に答えたなければなりませんよね。それに反するからこそ(2)は不自然な文と認定されるわけですから。「異なる属性は交換不可説」や「動的なものと静的なものは交換できない説」は答え(基準)になりきれてない場当たり的なものだと思う、そういうことです。 また、 No.17の「明示しなきゃ交換できない説」もNo.18に書いたように私はしっくりこないと思います。 No.24さんの「対立を第三者も明確にイメージできなきゃならない説」も正しくないと思っているのはこれまで述べてきたとおりです。 結局(2)が不可の理由は、私にはわからないです。 >a.「以前にひきかえ上手になったよね。」が間違いという『他の理由』がある。 b.練習問題の解答はあくまで模範解答であって、 「以前にひきかえ上手になったよね。」という解答も間違いではない。 のどちらかということになるのでしょう。 そう思います。私はbだと思うんですが。

awayuki_ch
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。これまで(2)がだめの理由をよく整理して心づけようにしたいです。それから、練習問題の文自身はもっと長ければ、もっとシチュエーションがわかればよかったのにとも思います。  何度も本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

 風夢麗さんには「異なる属性は交換不可説」、「動的なものと静的なものは交換できない説」と両方ともしっくりこないのですね。  「になった」についてですが、結果の「に」(静的)に注目するのか、過程の「なった」(動的)に注目するのかという異なる視点によって、静的と動的のどちらともとられると私は感じました。この二通りの考え方はどちらでも理解できるようになりました。 > 「去年にひきかえ、今年の夏は冷夏になりそうだ。」 とか 「昨年にひきかえ、今年は次第に景気が悪くなるようだ。」 は自然な文だと思いますが、 Aは事実で、Bは予感とか予想とかですよね。「事実」と「予感」は異なる属性だから「異なる属性は交換不可説」は間違ってるだろうと思います。  上の2文は確かに目につくのですね。実際言葉を発する時、厳密的な対立関係を追及するのは難しいかもしれませんね。

  • hakobulu
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回答No.23

#21です。ご返事ありがとうございました。 >何かまだ皆さんと違う海の中で浮いたり沈んだりして、明かりが見えなくてすごく焦っています…… :いえいえ、そんなことはありません。 同じ進路に向かって進む船団のように間違いなくちゃんと一緒に航海していますよ。 私のほうこそ時々違う進路に好奇心で逸れていくので、申し訳ないような気がしています。 ◆補足に対する回答◆ >「になった」という表現は時々事実を表し、時々人間の主観を表すのでしょうか。 :そういうことになると思います。 「少し前までは明るかったのにひきかえ、真っ暗になった。」は事実でしょうが、 「Aさん、きれいになったね。」は事実とも言えるし、主観ともいえるでしょう。 「になった」自体ではなく、「~」の部分が客観的要素か主観的要素かによって違ってくるのだと思います。 >ここは【日本語が上手になる】ではなく、【日本語が上手になった】なので、【になった】によって、動的な変化を経て結局静止の結果にたどりついたのではないでしょうか。 :そのほうがわかりやすい説明ですね。 >『「下手だった、上手になった」が×で、 「まずかった、おいしくなった」が○』 > これはやはり難しいような気がします。 :わかりました。それが普通の感覚かもしれませんね。 >確認していただきたいのですが、「AにひきかえB~」という表現が使えるかどうかは、「~」から、明確の条件の対立が想起しやすいかどうか(それともすでに提示されたかどうか?)、ということが必要であるというhakobuluさんのお考え方なのでしょうか。 :おっしゃるとおりです。しかし、 >「日本語が上手になった」から「もともとはすでに上手だった」と連想される可能性もあるので、だからだめということになるのでしょうか。 :ということではありません。 「以前にひきかえ(日本語が)上手になったよね。」という以上は、 「日本語が上手になった」の対立的概念として、 「非常に下手な日本語を話していたという【動的な】状況」が必要だと思うのですが、それを想起することは難しいのではないかということです。 「下手な日本語を話すという動的状況」の延長線上に「上手な日本語を話すという動的状況」がある、という感覚が抜け切れないということです。 しかし、「下手な日本語そのもの」と「上手な日本語そのもの」は明確に対立できるのではないか、と感じます。 「以前にひきかえ上手な日本語だよね」であれば正解だと思える理由は、そういうことです。 >>A:この料理とてもおいしいね。花子さん、料理学校に行った成果が出たわね。 B:そうだね。以前にひきかえ上手になったよね。 という会話は自然に聞こえるはずです。 :この場合は、「上手になった」という事実から、「下手だった」は想起しやすいということです。 なぜ、日本語の場合は想起しづらいのに料理は想起しやすいのか?  というと、料理の場合の「下手だった」は「=(料理自体が)まずかった」とう感覚に裏打ちされているからです。 「食べたものがまずかった」という感覚は、強い対立概念として意識されるのではないかと私は思ったわけです。 料理の上手下手の対立概念は標高差 1500m ぐらいで十分対立できるが、 日本語の上手下手の対立概念は標高差わずか 100m ぐらい。 というイメージが私にはあると言っても良いでしょう。 「(料理が)以前にひきかえ上手になったよね」は自然ですが、 「(日本語が)以前にひきかえ上手になったよね」は、感覚的になじみません。 >「まずかった料理が少しずつ進化していき、ある時点でおいしいという評価を得られるようになった」はだめでしょうか。 :確かにそういう場合はあるでしょうね。ただ、 「(料理が)以前にひきかえ上手になった」と言う場合は、 「下手だった(まずかった)」という【動的心理状態】が明確に想起できる(つまり「にひきかえ」を使えるパターンも可能)のに対し、 「(日本語が)以前にひきかえ上手になった」と言う場合は、 「日本語が下手だった」という【動的状況】がなかなか浮かびにくい(つまり「にひきかえ」は不自然)という印象は変わりません。 >仮に「日本語を90%以上マスターしているのが上手。50%以下は下手。」という基準があれば、 「ケンさんは以前45%よりマスターしていなかったから下手だった」と明確に認識することができます。 そして、特訓の成果で92%マスターしたことがわかれば、 「ケンさんは日本語が明らかに上手」という評価ができるわけで、「上手下手」は明確な対立概念となり得ますから、 「以前にひきかえ上手になったよね」という表現も可能になるでしょう。 という意味です。 >「になっている」と「になる」は【線】のようなイメージを受けるに対して、「になった」は【点】のような感じで、同じ【点】のイメージを与えてくれる「だった」と、眞反対の条件としても、「だった⇔になった」はおかしくないような気がします。 :という箇所は非常にわかりやすかったですね。 しかし、 「下手だった⇔上手になった」が「★⇔…………→☆」(この図形描写も素晴らしいです。非常にわかりやすい。)であるという点は同意しますが、 「上手に【なった】」の【】に該当する「・・・・・・→」の動的部分に注目するのが妥当なように思われます。 ◆#23さんのご意見に関連する回答◆ ●ーーーーーーーー→ 「日本語が下手な状態(静的)、日本語が上手になるという状態(動的)」の対立という説明をわざわざ引っ張り出さなければ、「ひきかえ」の両辺とも「静的」じゃないですか。 ーーーーーーーー→● 『「ひきかえ」の両辺とも「静的」じゃないですか。』とのことですが、練習問題の両辺が静的であるとは私は思いませんし、まさにその点の論議と思っていたのですが、このようにおっしゃられる趣旨が良くわかりません。 会話に出てくる「上手になった」という表現は明らかに動的ですが、それに対立する要素として「下手だった動的状態」というものが想起できない。 ゆえに「にひきかえ」という語で連結するのは不自然だ、ということを言っているのです。 つまり、「上手になった」という表現からは対立する要素としての「下手だった」という動的状態は想起できない、というのが私の考えの骨子なのです。 ●ーーーーーーーー→ 隣り合っている標高 2800m の山(A)と 標高 3000m の山(B)を比較して、「A山にひきかえB山は高い」と思う事情があったから、言うんです。当たり前の話ですけれど ーーーーーーーー→● おっしゃるとおりです。 ご本人にはそういう事情があったからこそ、そう言うのでしょうね。 しかし、それと「にひきかえ」という言葉の正しい使い方を知っているかどうかということは、全く別の問題ではないでしょうか。 ◆「AにひきかえBは~」論点の整理◆ 私の考えをまとめてみますが、大局的な齟齬や矛盾があれば指摘してください。 1、 A:ケンさん、日本語の特訓の成果が出たわね。 B:そうだね。以前にひきかえ上手になったよね。 という会話における「にひきかえ」という表現は妥当(正しい)か。 というのが出発点でした。 2、 「にひきかえ」には、 ≪BがAとは正反対の(あるいは「大きく変わった」でも良いのですが)事柄であることを述べることによって、Bを強調する意図がある(1)≫ 辞書的な解釈ですからこれに異存のある方はいらっしゃらないと思います。 最低限、 ≪BがAとは正反対の事柄であることを述べる意図がある≫ ということは確認済みと考えてよろしいですね。 3、 awayuki_chさんが「上手に【なった】」という【変化の要素】に注目してくれたお蔭で気づくことができたのですが、 ≪対立の概念が漠然としている事柄に関しては不適当(2)≫という点でも一致を見ていると考えて良いと思います。 4、 ここで、「上手になった」に明確に対立する概念とは何か、ということが論点になる。 a.「下手」 b.「下手だった」 c.「下手」「下手だった」どちらでも良い。 の3案が考えられる。 b と c に絞られると思うが、その違いは何か。 ・b の場合、 「下手だった」という状態を動的なものと捉え、「上手になった」というこれもまた動的なものと明確に対立しているから、というのが根拠になる。 ・c の場合、 「上手になった」という動的な概念は、「下手」という静的な概念、「下手だった」という動的な概念、どちらとも明確に対立すると言える。 5、 私の考えは b です。 つまり、 『「以前にひきかえ上手になったよね」という文は、 「以前は非常に下手だったのに、現在は非常に上手になったよね。」 という意味になる必要がある。』 と思うわけです。 しかし、ここが現在の論点になっていると思われますが、 「以前は非常に下手な【日本語】を話していた」という動的な状態が、どうにもイメージできないということです。 今、こうしてまとめていて気付いたのですが、おそらくは【成果】という言葉が無意識に引っかかっているような気もします。 A:ケンさんの日本語、特訓で大分変わったわね。 B:そうだね。以前にひきかえ上手になったよね。 であれば自然に感じるように思います。 この例だと、『特訓によって変化する前は下手だった』という動的状態が自然にイメージできるので、「上手になった」と明確に対立できそうです。 また、Aさんが「日本語」を主語にしているために「静的要素」としての「日本語」が浮き彫りになっているという捉え方も可能になり、 「B:そうだね。以前にひきかえ上手だよね。」という静的応答も自然に感じられると思われます。 練習問題の例は、『特訓というものによって変わった結果(成果)』を無意識的に比較の基準にしようとしていたために、 「上手になった」という動的変化と明確に対立するという判断ができなかったのでしょう。 他人事のような言い方で変ですね。(^^;) 6、 いずれにしても、これは私の感覚にすぎません。 この感覚による解釈が間違いだとすれば、 a.「以前にひきかえ上手になったよね。」が間違いという『他の理由』がある。 b.練習問題の解答はあくまで模範解答であって、 「以前にひきかえ上手になったよね。」という解答も間違いではない。 のどちらかということになるのでしょう。

awayuki_ch
質問者

お礼

 hakobuluさん、度々ありがとうございます。各船の後ろの白い航跡に振り返って目を向けたら、みんな違うのですが、みんな美しかったです。「AにひきかえBは~」の論点の整理は大変助かりました。全部理解できたとは言えないのですが、hakobuluさんのこれまでの考え方の理解にとても役立ちました。大変参考になりました。  何度も本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

 「になった」についてですが、「に」(静的)に注目するのか、「なった」(動的)に注目するのかによって、静的と動的と両方とれるように感じました。hakobuluさんは動的と捉えられたのですね。 >「(料理が)以前にひきかえ上手になった」と言う場合は、「下手だった(まずかった)」という【動的心理状態】が明確に想起できる(つまり「にひきかえ」を使えるパターンも可能)のに対し、「(日本語が)以前にひきかえ上手になった」と言う場合は、「日本語が下手だった」という【動的状況】がなかなか浮かびにくい(つまり「にひきかえ」は不自然)という印象は変わりません。  料理の場合の「下手だった(まずかった)」という【動的心理状態】の「動態」は具体的に言えば、どんな感じでしょうか。「日本語が下手だった」という【動的状況】が存在するとすれば、どんな感じの状況なのでしょうか。 >≪対立の概念が漠然としている事柄に関しては不適当(2)≫という点でも一致を見ていると考えて良いと思います。  「一致を見ている」はどういう意味でしょうか。

  • fuyumerei
  • ベストアンサー率22% (28/123)
回答No.22

>「になった」という表現は時々事実を表し、時々人間の主観を表すのでしょうか。 たとえば問題文の「上手になった」は、事実と言っていいと思いますが、「上手」自体が感覚なので、発話者の主観ももちろん表れているでしょう。 事実とか主観とか、そんな分け分けする必要ないと思います。分けることができない場合もあります(そっちのほうが多いかも)。 「事実⇔主観」ではないと思うので、ご質問にどう答えればいいのかわかりません。 「AにひきかえB」を考えてみると、Bは「言いたいこと、主題」ですから、一義的には主観と言っていいと思います。主観が事実の場合もあるでしょう。 >確認していただきたいのですが、風夢麗さんの意味は次のような意味になるのでしょうか。 >「AにひきかえB~」についてですが、たとえAの部分が事実だとしても、Aと対立の事実を意識しているなら、「~」という部分に事実でなくても、話し手の主観を入れてもいいということなのでしょうか。 「去年にひきかえ、今年は冷夏になるだろう。」Aが事実で、Bは主観と言えるかと思いますが、自然な文だと思います。 でもそういうこと言いたいんじゃなくて、私が本当に言いたいことは、(2)は不可にならないってことだけです。 No.20ではその説明として ・誰にとっても明確な対立なんてありえないのに、それを前提に「AにひきかえB」を正しいとか間違いとか言うのはおかしい。現にネイティブ同士の私とNo.21さんとでは何が明確という感覚自体が違っている。そんな基準じゃ言葉を使えない。 ・だからAとBを比べたときに、「大きく変わった」とか「正反対」と他の誰でもない「発話者」が思えば、「AにひきかえB」を使っていい。 ってことを言っていたつもりでした。 明確な対立という言葉で説明するなら、「発話者が明確に対立していると思っておればいい」ということです。 >これはNo.19さんがNo.19で【正確には「日本語が上手になるという状態」と書くべきでしたね。】と訂正されたようです。 ほんとに正しいのは、「上手になる」じゃなくて、問題文の通り「上手になった」状態で、これは動的とか静的とかでいえば、静的でしょう。 そういう意味では、 No.21 >たとえば「上手になった【結果】」であれば、同じ【静止】と判断可能ですから自然な表現になるということです。 『「日本語が下手な状態、日本語が上手になるという状態(状況)」は×で、 「下手な日本語、上手な日本語」は○』 っていうのはいよいよよくわからないです。「日本語が下手な状態(静的)、日本語が上手になるという状態(動的)」の対立という説明をわざわざ引っ張り出さなければ、「ひきかえ」の両辺とも「静的」じゃないですか。 つまり、(2)が不可の理由として淡雪さんが挙げられている「動的静的論」を実はNo.21さんも誤っていると言ってることになる? と思ったら、淡雪さんも書かれてた。。。私も疑問に思ったということで残しときます。。 No.21 >【隣り合っている標高 2800m の山(A)と 標高 3000m の山(B)を比較して、 「AにひきかえBは高い」という表現は不自然。】 >なぜならば、この場合の【明確に対立する概念】とは「高い・低い」ですが、 2800m の標高と 3000m の標高を比較して『「高い・低い」が明確に対立している』という認識は不自然だからです。 そう断定しちゃいけないと思うんです。No.21に言う例外は、必ず発話者にとっては例外ではないからです。 だから、自然な文だと思いますね。自然と感じられる以外のシチュエーションでは目にしないんですから。なんて説明すればいいのだろう?  上手くいえないけれど、間違えないものを間違えるという前提だから、例文が死んでるんです。 隣り合っている標高 2800m の山(A)と 標高 3000m の山(B)を比較して、「A山にひきかえB山は高い」と思う事情があったから、言うんです。当たり前の話ですけれど。 思わなかったら言わないんです。これも当然なんですが。 第三者が『誤った認識に基づいて「にひきかえ」を使っているな?』とか詮索しなくていいんです。間違えないです。 たぶんこの説明自体はNo.21さんのものに反しているわけじゃないと思います。でも、不自然という誘導はありえないと思います。

awayuki_ch
質問者

お礼

 風夢麗さん、度々ありがとうございます。前は消化不良でした。お二人は明確な条件での分岐がわかりました。  何度も本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

>だからAとBを比べたときに、「大きく変わった」とか「正反対」と他の誰でもない「発話者」が思えば、「AにひきかえB」を使っていい。 ってことを言っていたつもりでした。 >明確な対立という言葉で説明するなら、「発話者が明確に対立していると思っておればいい」ということです。  はい、ご意見はわかりました。No.21さんが標高 2800mの山(A)と標高 3000mの山(B)の例を挙げられた意図もわかりました。

回答No.21

awayuki_ch さん こんばんは。 いつもながら多くの回答者が参加してくれてますね。 *「下手だった⇔上手になった」はだめだと思いました。 ⇒awayuki_ch さんがこの後半で書かれているように、「下手だった⇒上手になった」はおかしくはありません。 ★「あの頃の彼女のピアノ、決して上手とは言えない、というより下手だったよね。それにひきかえ、今日の演奏、ずいぶん上手になったね」 このように「過去の状態からは想像できないほどの変化を遂げた状態になった」ことを表現するには、【それにひきかえ】はとても便利です。 *「下手になった⇔上手になった」でないと、何か落ち着きません。 ⇒多くの文章に触れることで目に慣れ、耳に慣れ、口に慣れれば、落ち着かないということはなくなりますよ。 *不自然な用例がありましたら、ぜひ教えてください。 ⇒不自然な用例は無いと思います。 *「大きく変わって」とは変化の「なる」のことなのでしょうか。 ⇒「なる」は変化を表しますが、「変化」は常に「なる」なのではありません。 【下手だった⇒上手になる】⇒【上手になる】は【上手】という単語、または【上手だ】などでも表されます。 したがって、「昨年は下手だった。それにひきかえ今年は上手になった」でも良いし、「昨年は下手だった。それにひきかえ今年は上手だ。(=上手になった )でも良いのです。 変化して出来上がった状態を表現している場合は、「なる」を使うのではなく、「なった結果としての状態」を記述しますので「なる」という表現が使われなくなってしまうのです。 以下は、【このような言い方も出来る】【このような言い方が変化した】という例を書いてみました。 ・ひどい米不足だった去年にひきかえ、今年は米がたくさん収穫できるようになるとのことです(=豊作のようです。 ・節約家の父にひきかえ、母は本当に浪費家だ。 節約家の父にひきかえ、母の浪費癖は年々ひどくなる。 ・昔の若者がよく本を読んだのにひきかえ、今の若者は活字はどうも苦手になったようだ(=苦手のようだ)。 ・落ち着きのない弟にひきかえ、お兄さんはいつも冷静でしっかりしている。 ⇒「お兄さんはいつも冷静沈着だ」 ・昨年にひきかえ、今年はたいへん不景気だ。 ⇒昨年にひきかえ、今年は次第に景気が悪くなるようだ。 ・お姉さんは積極的なのにひきかえ、妹さんは消極的な性格だ。 ⇒お姉さんは積極的なのにひきかえ、妹さんは消極的というか、物静かで女らしくなってきた。 ・去年にひきかえ、今年の夏はとても涼しい。 ⇒去年にひきかえ、今年の夏は冷夏になりそうだ。 ・朝の青空にひきかえ、午後は大雨になった。 ⇒「午後はバケツをひっくり返したような大雨だ。」でも構いません。 ・お父さんにひきかえ、息子は背が高い。 ⇒お父さんにひきかえ息子は背の高い好青年になった。 このように、変化をしたからといって、いつも「なる」を使わなくてはならないとかではなく、変化しつつあることを表現するのであれば「なる」でもいいし、変化して或る状態になったのであれば、その状態を表す言葉に置き換えて「である」とか「だ」で構わないのです。 ★ただ、日本人の編集者の解説にある、「中間的な」「冷静に」「主観的な気持ちを込めるとき」などは、あまり拘らなくて良いのではないでしょうか。 確かに、「弟にひきかえ兄貴の方はどうしようもない奴だ」などと、感情を露にする表現に「ひきかえ」は使われます。しかし、「午前の青空にひきかえ、午後はこの大雨だ」など感情の入る余地のない、自然現象の対比にも使われているのを見ても明らかです。 したがってあるものを比較する場合に、自分の思いや感情を込めたい場合は「ひきかえ」の方がそのニュアンスは伝わります。 *「にもまして」に関しては、「なる」の用例は1つもありませんでした。 ・私自身の結婚問題にもまして気がかりなのは姉の離婚問題です。 ⇒私自身の結婚問題にもまして、今後私の気がかりとなるのは姉の結婚問題になるでしょう。 ・ゴミ問題は何にもまして急を要する問題だ。 ⇒ゴミ問題こそ何にもまして急を要する問題になるでしょう。 ・きのう友達が結婚するという手紙が来たが、それにもまして嬉しかったのは彼女の病気がすっかり治ったということだった。 ⇒昨日、友達から結婚するという手紙が着たが、それにもまして嬉しかったのは、彼女の病気が全快し、何処へでも行けるようになったことだった。  それに対して、中国人の編集者の本に「なる」の用例は1つありました。 ・花子さんは以前にもまして、美しくなった。 ⇒花子さんは以前にもまして健康そうになった。 ・「水害も怖いが、それにまして怖いのは地震だ。」 ⇒水害も怖いがそれにもまして地震が気になるよ。 ・太郎はだれにもまして花子さんの健康を心配しています。 ⇒太郎は誰にもまして花子さんの健康のことが気になっている。 ・過去3年の実績にもまして、すばらしい飛躍を見せている。 ⇒過去三年の実績にもまして、今年はすばらしい飛躍の年となった。 このようにどちらも、すこし言葉遣いや言い回しを変えるだけで違和感無く使えることがお分かりのように、あまりう神経質にならなくても大丈夫なのです。 質問文の下記の部分は、編集者がダブって出てきて少々うるさい感じです。 【手元に編集者が日本人と編集者が中国人の本が2冊あります。】 ⇒手元に日本人が編集したものと、中国人のものと2冊の本があります。 ⇒手元に日本人編集者のものと、中国人のものと2冊の本があります。 ⇒手元に2冊の本があります。一つは編集者が日本人のもの、もう一方は中国人のものです。 ⇒手元に編集者が日本人のものと中国人のもの、2冊の本があります。 などなど、「編集者」を一つにした場合でも、色々な書き方が考えられます。

awayuki_ch
質問者

お礼

 shigure136さん、こんばんは。度々ありがとうございます。参考書の例文を「になった」、「になる」などのような形に変換していただいて大変助かりました。「にひきかえ」の両側は厳密的な対立関係を求めていないような気がします。日本人の編集者の解説にある「中間的な」「冷静に」「主観的な気持ちを込めるとき」などには拘らないようにします。「手元に編集者が日本人と編集者が中国人の本が2冊あります」という補足文までも解決案をたくさん教えていただき感謝いたします。確かに困っていました。大変参考になりました。  何度も本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

>変化して出来上がった状態を表現している場合は、「なる」を使うのではなく、「なった結果としての状態」を記述しますので「なる」という表現が使われなくなってしまうのです。  申し訳ありませんが、上の一文の意味がよくわかりません。ほかの言い方に言い換えていただけないでしょうか。 >このように、変化をしたからといって、いつも「なる」を使わなくてはならないとかではなく、変化しつつあることを表現するのであれば「なる」でもいいし、変化して或る状態になったのであれば、その状態を表す言葉に置き換えて「である」とか「だ」で構わないのです。  いま、「になった」にはすでに抵抗感がなくなったのですが、「になる」と「ようになる」には何か納まりがよくないような気がします。過去のある静かな状態「だった」に対して、「にひきかえ」で結びつけることによって、変化しつつあることを表現する動態的な表現「になる」、「ようになる」で問題がないのでしょうか。厳密的な対立を求めていないかもしれませんね。私は「になる」、「ようになる」、「になった」の本質がよく理解できていないとも思います。ということで、shigure136さんに書き換えていただいた次の例文はいまのところまだ理解できていません。(・が付いている参考書の元の例文は理解できます。) >ひどい米不足だった去年にひきかえ、今年は米がたくさん収穫できるようになるとのことです(=豊作のようです。 ・節約家の父にひきかえ、母は本当に浪費家だ。 >節約家の父にひきかえ、母の浪費癖は年々ひどくなる。 ・昨年にひきかえ、今年はたいへん不景気だ。 >昨年にひきかえ、今年は次第に景気が悪くなるようだ。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.20

#19です。 前回と一部重複するかもしれませんが、 『AにひきかえB』 の本質的な意味について最初から整理してみたいと思います。 ◆ 基本的には、 ≪BがAとは正反対の事柄であることを述べることによって、Bを強調する意図がある(1)≫ と言えると思います。 次に、#16でも述べましたが、 「明確な対立条件が提示できればこの表現は使えるし、そうでなければ不自然になる」 という点が重要ではないかと私は思います。 同じ意味で「対立の概念が感覚的にしか捉えられない事柄に関しては不適当」 とも述べましたが、これは ≪対立の概念が漠然としている事柄に関しては不適当(2)≫ と言い換えたほうが良いかもしれません。 以上が要点です。 ◆ 今までの例は必ずしも適当ではなかったかもしれないという反省をしています。 そこで、もう少し別な例を挙げてみたいと思います。 (ex) 【隣り合っている標高 2800m の山(A)と 標高 3000m の山(B)を比較して、 「AにひきかえBは高い」という表現は不自然。】 なぜならば、この場合の【明確に対立する概念】とは「高い・低い」ですが、 2800m の標高と 3000m の標高を比較して『「高い・低い」が明確に対立している』という認識は不自然だからです。 「Aの高さとBの高さ」は、確かに高い・低いという違いはあるが【明確に対立するとまでは言えない】という点をまず確認しておきたいと思います。 しかし、Aが 300m ぐらいの標高の山であれば不自然さは無くなるでしょう。 この場合、話し手が 「 2800m という標高は高くはない」、すなわち 「Aは低いのだから明確に対立している」という主観を持っていれば良い、ということにはなりません。 「にひきかえ」という表現を使う以上は、 話し手が「 3000m は高くて 2800m は対立的に低いという」という明確な認識を持っている必要がありますが、通常そういう認識を持つのは不自然ですし、 この話し手は単に「Aに比較して低い」という認識と取り違えているだけだと判断するのが妥当でしょう。 つまり誤った認識に基づいて「にひきかえ」を使っているということになるわけで、 そこが練習問題で問われている点であったのだろうと私は思います。 (練習問題に関しては後ほど触れます) 日本人解説者の言葉は、 『「にひきかえ」は、・・・・・主観的な気持ちを込める時に使う』という構文と誤解されやすい表現ですが、「主観」の意味する対象は、 『「正反対に」とか「大きく変わって」というような気持ち自体』を指すのであって、 「にひきかえ」が主観的な気持ちを込める場合にだけ使われるという意味ではないと思います。 なぜならば、 「Aに対してBは~」という場合であっても、Bに関して「~」という主観を述べることになる点においては何の違いもないからです。 何事にも例外ということはあります。 先の山の例にしても、例えば酸素濃度などに関連して、わずか 10m 程の標高差が非常に重大な影響を人体に及ぼすという共通の認識を持っている登山家同士の会話であれば、「にひきかえ」が不適切とは言えなくなるでしょう。 このようなシチュエーションにおける 200m という標高差は「明確な対立概念」と言うことが可能になるからです。 一般人同士で、 「Bは高い山です。」と言った場合、 「そうですね。Aにひきかえ高いですよね。」 と応じるのは、一般人にとって200mの標高差は明確な対立概念とは言えないので不自然だということです。 「そうですね。Aも高い山だと思いますが、それにもまして高いですね。」 というのが自然な応答でしょう。 以上から、 「AにひきかえBは高い」という表現は、 【完全な間違いとは言えないが不自然】という判断を私はしたいと思います。 他者と感覚を(全く一致するということはありませんが)共有することを目指して言語は発せられるもののように思うのですが、この点に言及しだすとキリがないの止めておきます。 無論、【無意識的に】目指しているわけなので見解の分かれるところではあるでしょう。 200mの標高差であれば使えないが、では500mの標高差では使えるのか。 それでも使えなければ1000mの標高差ではどうか、といったようなことを議論していることになるのかもしれません。 この境界線が「漠然としている」ので見解がわかれやすいということは言えるように思われます。 ◆ 本題である、 :ケンさん、日本語の特訓の成果が出たわね。 :そうだね。以前にひきかえ上手になったよね。 も、1で述べた「対立の概念が漠然としている事柄」だと思います。 前にawayuki_chさんがご指摘になっていたように、厳密に言えば「下手だった状態」と「上手になるという変化」が対立させるには漠然とした条件だからです。 なぜ漠然としていると言えるかといえば、 「下手だったという状態」は【静止】で、「上手になるという変化」が【活動】だからということになるのかもしれません。 これは#16で私が述べた、 『「上手になる」という概念、及び {「上手になる」ことに対立する概念としての「下手だった状態」} というものが、明確に想起しづらい感覚的なものだから、という気がします。』 ということと矛盾しているとは思いませんが、 誤解を招きやすい点だと思うので、さらに説明を加えておきたいと思います。 たとえば「上手になった【結果】」であれば、同じ【静止】と判断可能ですから自然な表現になるということです。 『「日本語が下手な状態、日本語が上手になるという状態(状況)」は×で、 「下手な日本語、上手な日本語」は○』 というのはそのような意味です。 『「下手だった、上手になった」が×で、 「まずかった、おいしくなった」が○』という「屁理屈」に関しては、「日本語の(過去の)下手さ」は漠然とした事柄としてより想起できないが、「まずかった(という記憶)」は明確な要素として「おいしくなった」に対立できるのではないか、ということです。 これは、感覚の差と言われてもやむを得ません。 「青空」の場合は一枚の写真で、「青空が広がっていた」は太陽の光がまぶしく目を射るビデオ画像というイメージでしょうか。 .「朝の青空にひきかえ、午後は大雨になった。」は×で、 ・『朝は青空が広がっていたのにひきかえ、午後は大雨になった。』が○であるとする(私なりの)根拠です。 #20さんが最後でおっしゃっている、 >「結婚問題」を「結婚できないという問題」と解釈すれば○になると思います :という点に関しては、なるほどそういう場合であれば○と言えるでしょうから、異論はありません。 例文として適当かどうか、という問題だけですね。

awayuki_ch
質問者

お礼

 hakobuluさん、早々とご返事いただきありがとうございました。今回の最初からの整理は私にとってとても必要なものです。山の標高の例はとても理解しやすいと思いました。何度も本当に申し訳ありません。何かまだ皆さんと違う海の中で浮いたり沈んだりして、明かりが見えなくてすごく焦っています……

awayuki_ch
質問者

補足

 「になった」という表現は時々事実を表し、時々人間の主観を表すのでしょうか。私は「になった」は事実を表す表現だと思いました。それから、「になった」と「になる」は違うような気がします。それについて、No.19の補足欄で書いた「★⇔…………→☆」という私の考え方の変化をご覧になっていただければ幸いです。 >たとえば「上手になった【結果】」であれば、同じ【静止】と判断可能ですから自然な表現になるということです。 『「日本語が下手な状態、日本語が上手になるという状態(状況)」は×で、 「下手な日本語、上手な日本語」は○』 というのはそのような意味です。  ここは【日本語が上手になる】ではなく、【日本語が上手になった】なので、【になった】によって、動的な変化を経て結局静止の結果にたどりついたのではないでしょうか。 >『「下手だった、上手になった」が×で、 「まずかった、おいしくなった」が○』という「屁理屈」に関しては、「日本語の(過去の)下手さ」は漠然とした事柄としてより想起できないが、「まずかった(という記憶)」は明確な要素として「おいしくなった」に対立できるのではないか、ということです。 これは、感覚の差と言われてもやむを得ません。  これはやはり難しいような気がします。「まずかった⇔おいしくなった」はやはり自然な日本語の表現なのですね。 >「明確な対立条件が提示できればこの表現は使えるし、そうでなければ不自然になる」 ≪対立の概念が漠然としている事柄に関しては不適当(2)≫  確認していただきたいのですが、「AにひきかえB~」という表現が使えるかどうかは、「~」から、明確の条件の対立が想起しやすいかどうか(それともすでに提示されたかどうか?)、ということが必要であるというhakobuluさんのお考え方なのでしょうか。  「日本語が上手になった」から「もともとはすでに上手だった」と連想される可能性もあるので、だからだめということになるのでしょうか。 >A:この料理とてもおいしいね。花子さん、料理学校に行った成果が出たわね。 B:そうだね。以前にひきかえ上手になったよね。 という会話は自然に聞こえるはずです。  この例の「上手になった」からも、「もともとはすでにおいしかった」と想起される可能性があろうから、だめになるのではないでしょうか。  前のご回答にもう一度戻って読んでみました。No.11の中で、ちょっと理解できない言葉があります。教えていただけないでしょうか。 > 「日本語を90%以上マスターしているのが上手。50%以下は下手。」などという基準がない限り、「反対に上手になる」という表現は不自然だと言えるように思われます。 とはどういうことでしょうか。 >「下手な日本語が反対に上手になる」のではなく、「下手な日本語が少しずつ進化していき、ある時点で上手という評価を得られるようになる」と考えるのが妥当なのでしょう。  そうしたら、「まずかった」を「おいしくなった」へも同じことではないでしょうか。「まずかった料理が少しずつ進化していき、ある時点でおいしいという評価を得られるようになった」はだめでしょうか。(「になる」と「になった」に関する部分は少し変換しました。)  なかなか難しいような気がします。「まずかった⇔おいしくなった」が成立する以上は、「下手だった⇔上手になった」も成立できるはずだと思うのですが、間違っている考え方がありましたら、ぜひご指摘ください。

  • fuyumerei
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回答No.19

No.15の補足に淡雪さんが書かれた日本人解説者は私と同じ考えかどうかはわかりませんが、 『「にひきかえ」は、前のことがらとは「正反対に」とか「大きく変わって」というように主観的な気持ちを込める時に使う』 とあります。 発話者が明確に対立していると思うから「にひきかえ」を使うんです。主観でいいんです。 「発話者は明確に対立していると思っている」ということ/事実を、受話者が認識できればそれでいいんです。 >受話者Aさんは >両者を対立させて捉えることができます。 というのは、Bさんが「にひきかえ」という言葉を使用したからこそでしょう。 と的確に書いてくださっていますが、それ以上のことを我々第三者やAさんに求められているのではない、というのが私の考えです。求められたって、わかんないですもの。 >『「まずい」というのは感覚だが、「まずいと感じたこと自体」は確信が持てないという意味での「感覚的な認識」ではない。』 No.19さんの言う「感覚的」の意味がわかりました(?)。すべての感覚は当人にとってはNo.19さんの言う「感覚的な認識」ではないと思います。一方、他者にとっては「感覚的な認識」であろうと私は思います。 少なくとも私は、味覚を共通の認識とすることを容易だとは思いません。当然「日本語が下手」という感想が一致することも難しいと思いますよ。 なんせ感覚なんですから、感覚を万人に押し付けることを前提とするのは無理があるという風に思えます。選択肢切れなくなります。 感覚を、感覚的に明確だとか不明確だとか、曖昧だとか、事実として、だとか第三者が言う必要はないです。そんな理由で(2)が不可なのだとすると外人はもちろんネイティブでも一生わかんないです。感覚は感覚なんですから、他人にとってはすべて感覚的にしかとらえられません。感覚は【誰にとっても明白】でもなければ、【客観的に】特定することこともできないのです。 A:この料理とてもおいしいね。花子さん、料理学校に行った成果が出たわね。 B:そうだね。以前にひきかえ上手になったよね。 C:いや、そうかな? これも、自然な会話のはずです。Cさんが加わったからと言って、不自然にはなりません。 このとき、CさんはBさんの「おいしい」「まずい」の感覚を明確にイメージできようができまいが関係ないでしょう。基準はCさんなりの「おいしい」「まずい」に変換されている。 Bさんの「そうだね。」もAさんと同じ基準で「成果が出た(おいしくなった)」を判断したのではないです。 「おいしい」「まずい」、その基準まで誰にも明確と考えるのは無理だと思うのです。 どういう意味で明確とおっしゃっているのかまだわかりません。 AさんもBさんも私たちも確固たる「おいしい」という感覚を持っているが、確固たる「日本語が下手な状態」というのを持っていないという意味でしょうか。 でもそれなら、 >「とはいえ、「まずい」は共通の認識として理解されやすいが、少なくとも「日本語が下手」という感想が一致することは難しい場合が多い、という認識を持つほうが妥当ではないかということです。」 というのもおかしいですし。 「おいしい、まずい」は○で、「まずかった、おいしくなった」も○で、 「気分良い、気分悪い」も○で、「成績悪かった、成績が良くなった」は×で、 「青空、大雨になった」は×だけど、「青空が広がっていた、大雨になった」は○で、 「下手だった、上手になった」は×で、「下手な日本語、上手な日本語」は○だけど、「日本語が下手な状態、日本語が上手な状態」は×、 って、これに基準があるとは私は思われないです。 ○は対立が明確で、×は明確でないがごとく言うのを、屁理屈だと思ったんです。感覚を屁理屈ということ自体おかしなことでした、すみません。 No.19さんありがとうございました。どうも、貴殿のおっしゃることをよく理解できないまま、引用し言及していたようです。まだ理解してないのですが。 淡雪さんにも無駄に長い無意味な僕の文を読ませちゃって悪いと思います。すみませんでした。 >B.「私自身の結婚問題にもまして気がかりなのは姉の離婚問題です。」 「気がかり」とは【心配だ】という意味ですから、いくら準備などで大変だといっても「結婚問題が気がかり」という表現は疑問。 「気がかり」という同一の要素の変化ではないため不適当な例文と言えるように思います。 おっしゃる通りだと思いますが、これは「結婚問題」を「結婚できないという問題」と解釈すれば○になると思います。最近よくありますね、こういう結婚問題。

awayuki_ch
質問者

お礼

 風夢麗さん、度々ありがとうございます。無駄に長い無意味な文なんてそんなことはありません。いろいろな考え方を拝見できてとても嬉しいです。皆さんに長い文を書いていただいて、まだ自分一人の世界で浮いたり沈んだりしている無器用な私自身はとても申し訳ない気持ちでございます。m(_ _)m

awayuki_ch
質問者

補足

>「日本語が下手な状態、日本語が上手な状態」は×  これはNo.19さんがNo.19で【正確には「日本語が上手になるという状態」と書くべきでしたね。】と訂正されたようです。  確認していただきたいのですが、風夢麗さんの意味は次のような意味になるのでしょうか。  「AにひきかえB~」についてですが、たとえAの部分が事実だとしても、Aと対立の事実を意識しているなら、「~」という部分に事実でなくても、話し手の主観を入れてもいいということなのでしょうか。  また、「になった」という表現は時々事実を表し、時々人間の主観を表すのでしょうか。

  • hakobulu
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回答No.18

#16です。ご返事ありがとうございました。 ◆ >対極の概念の事実の判断は、何か難しいような気がします。 > 「感覚的にしか捉えられない事柄」であるかどうか、何かその判断は難しいような気がします。 :確かに私もそう思います。 私の述べたことも感覚でしかありません。 ただ、ネイティブといえども、普段何気なしに使っている言葉の本質的意図を明確に理解した上で使っているわけではありません。 「にひきかえ」にしても無意識的に使っているわけですが、 しかし、Aという判断が難しいからといって、Aという判断を無意識にしていないとは限らないわけです。 私の考え方が正しいかどうかは別にして、この可能性についての議論であることをまずご理解していただきたいと思います。 『>何を「感覚的」と見なすかということになる』はどういう意味でしょうか。 :前回『「~にひきかえ」という表現は、対立の概念が感覚的にしか捉えられない事柄に関しては不適当』 と述べたわけですが、これは、 『「~にひきかえ」という表現は、対立の概念が漠然としている事柄に関しては不適当』 と言い換えても可です。 そして、「何を漠然としている事柄と捉えるか」という点が難しいので、個人的見解が分かれる場合が多いのではないか、ということです。 ◆ 補足で挙げられた例文のうち以下の文が不自然だと思います。 A.「朝の青空にひきかえ、午後は大雨になった。」 「青空」と「大雨になった」が【明確な対立条件】とは言えないので不自然。 『朝は青空が広がっていたのにひきかえ、午後は大雨になった。』 であれば自然なように思います。 B.「私自身の結婚問題にもまして気がかりなのは姉の離婚問題です。」 「気がかり」とは【心配だ】という意味ですから、いくら準備などで大変だといっても「結婚問題が気がかり」という表現は疑問。 「気がかり」という同一の要素の変化ではないため不適当な例文と言えるように思います。 C.「ゴミ問題は何にもまして急を要する問題だ。」 この場合の「何にもまして」は、「他のどんな問題以上に(急を要する)」という意味ですが、比較の対象が「何」なので結果としては【最も(急を要する)】という最上級の特定を意図していることになります。 また、「何にもまして」という表現は多用されるわけで、慣用句として捉えたほうが妥当ではないかという気もします。 今回のご質問の意味である「~以上に」「さらに」という意味を示す例文としてはあまり適切とは言えないように思われます。 この辺は感覚なので自信はありません。単なる感想として受け止めてください。 D.「太郎はだれにもまして花子さんの健康を心配しています。」 Cと全く同じ理由でこの表現自体は正しいのですが、 「誰にもまして」は「誰よりも一番」という意味の慣用句的表現と捉えるほうが妥当だと思います。 E.日本人編集者の説明で、 『「~に対して」は、前のことがらと後のことがらを、中間的な立場で冷静に対比させるが、「にひきかえ」は、前のことがらとは「正反対に」とか「大きく変わって」というように主観的な気持ちを込める時に使う』 という部分がありますが、 主観であればどんな場合でも「~にひきかえ」という表現を使えるということではないと思います。(この編集者がどう思っているのかは別にして) 特に、今回の例は、 『そうだね。』という同意を示す意図に基づいた表現ですから、相手の感覚と異なる基準で自分だけの主観を述べては会話が成立しませんから、この点にも留意が必要でしょう。 ◆ ここで、awayuki_chさんにお願いがあります。 ちょっとだけ#18さんへの横レスをお許し下さい。 ーーーーーーーーーー 私としては「>ケチをつけられた」とは全く思っていません。(同様にケチをつけているつもりも全くありません) 対面して会話しているわけではないので、ひとつの問題点についてウヤムヤにせず納得のいく答えを見出そうとする真摯な姿勢があればこそ、誰の発言というに拘わらず誤解や矛盾点について言及することは当然であろうと思われます。 しかし、こういった行為はエネルギーを消耗することでもあり、そういう意味ではむしろ尊敬の念すら抱いております。 意図せず下手な表現になる場合もあるのかもしれませんが、それはお互いが気をつければ済むことで、「>下手なやり方」ということにはならないでしょう。 質問者の方にご迷惑さえ掛からなければ、私の述べた事柄に関してお気づきの点がございましたら、今後とも是非ご指摘を賜りたいと考えておりますのでよろしくお願いいたします。 それにしても、私の表現力不足で誤解を与えてしまった点が数箇所あるようですね。 質問者の方に誤解のまま受け取られると投稿の意味が無くなるので、再度説明をさせていただくことにしました。 お時間がございましたらご覧になってみてください。 ーーーーーーーーーー awayuki_chさん、どうも申し訳ありませんでした。通常回答に戻ります。 #16で述べた部分について誤解があるといけませんので、もう少し補足させてください。 #18さんが論点になりそうな箇所を手際良く示してくれているので、内容を引用させていただきます。 (#18さん、お借りしますね。) ●ーーーーーーーーー→ 感覚は曖昧だが、事実は明確という理由なら、質問にも当てはまることだと私は思うのです。 受話者Aさんは、(発話者Bさんが「そうだね。以前にひきかえ上手になったよね。」と発言した段階で)発話者が以前「ケンさんは日本語が下手な状態であると思っていた事実」と今「ケンさんは日本語が上手な状態と思っている事実」を明確に意識でき、両者を対立させて捉えることができます。 ーーーーーーーーー→● 料理学校の例は、「感覚は曖昧だが、事実は明確という理由」で妥当だと述べたわけではありません。 私の表現不足が原因で誤解を招いたと思われますが、 「まずいという感覚」と「おいしいという感覚」を明確に対立させることは容易だ、ということです。 「まずいという感覚があったという事実」などと紛らわしい表現をしたのは、 『「まずい」というのは感覚だが、「まずいと感じたこと自体」は確信が持てないという意味での「感覚的な認識」ではない。』 ということを伝えたかったからです。 いずれにしても、 >受話者Aさんは >両者を対立させて捉えることができます。 というのは、Bさんが「にひきかえ」という言葉を使用したからこそでしょう。 肝心なのは、Bさんが「ケンさんの日本語は下手だという過去の(漠然とした)認識」と「今は上手になった」を「にひきかえ」という言葉で結びつけたのは適切だったかどうか、という点です。 「過去の下手さ加減」または「過去の下手だった程度」というのは曖昧な感覚(この場合は感想と言っても良いですが)であるのに対して、「上手になった」という【変化に対する感覚】は現在の明確な認識であり、それら両者は対立させるには不向きな対象ではないか、ということです。 それこそ、感覚の違いと言われればそれまででしょうが。 ●ーーーーーーーーー→ 「料理が上手な状態」は「おいしい料理を作れる」ことでしょう? だから「おいしい…」「まずい…」の対立だとNo.16さんは思ってしまわれた。 同じく、「日本語が上手な状態」は「上手な日本語を習得している。(上手に日本語を読み書き話すことができる)」ということでしょう? ーーーーーーーーー→● この解釈は逆のように私には思われます。 「料理が上手」という認識ができるのは、実際に食べてみて「おいしい」と感じたからこその評価ではないでしょうか。 Bさんの「以前にひきかえ上手になったよね」という発言は、 実際に食べた時の「>以前にひきかえおいしい」という認識なしにもたらされることはあり得ない、と考えて良いでしょう。 そして、「おいしい」という感覚は明確に意識できるものですから、「まずい」という(これもまた明確な)感覚との対立が抵抗なく可能になるのだと思います。 ここで、 過去の「まずい」という感覚は明確に認識できるのに、過去の「下手」という感覚はなぜ明確に認識できないのかという反論が予測されますが、 「まずい」は明確な感覚で、「下手」は曖昧な感覚だと私は思うから、としか言いようがありません。 とはいえ、「まずい」は共通の認識として理解されやすいが、少なくとも「日本語が下手」という感想が一致することは難しい場合が多い、という認識を持つほうが妥当ではないかということです。 この辺も感覚の違いということになるのでしょうが。 上の例とは要旨を異にすることになるわけですが、 『「日本語が上手な状態」は「上手な日本語を習得している。(上手に日本語を読み書き話すことができる)」ということでしょう』 とおっしゃっておられるのは、その通りです。 しかし、「上手な日本語を習得している」ことと「上手な日本語」との概念の違いが、「にひきかえ」という言葉の使用基準に対して何らかの影響(「一方は使用できて、もう一方は使用できない」などの)を与えるかどうかということを論じているわけですから、 上記の理由で「>屁理屈」と判断されるのは論点を外すことになるでしょう。 ●ーーーーーーーーー→ 「料理が上手という状態⇔おいしい…」と「料理が下手という状態⇔まずい…」の対立が成立しているなら、 問題文の「日本語が上手な状態⇔上手な日本語」と「日本語が下手な状態⇔下手な日本語」の対立が成立しないはずがないんです。 ーーーーーーーーー→● #16でも述べていますが、 『「なる」という言葉によって、 「日本語が下手な状態」と「日本語が上手な状態」という、対立する認識としてイメージしづらいものを比較しているので不自然』 ということです。 正確には「日本語が上手になるという状態」と書くべきでしたね。 肝心な点について不正確だったことをお詫びします。

awayuki_ch
質問者

お礼

 hakobuluさん、度々ありがとうございます。横レスはぜんぜん気にしていません。本当に感動です。私の敬語の使い方の素晴らしい例文にもなります。参考書の例文を一つ一つ親切に分析していただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。「何にもまして」を慣用句として覚えます。 >「まずい」は明確な感覚で、「下手」は曖昧な感覚 >「まずい」は共通の認識として理解されやすいが、少なくとも「日本語が下手」という感想が一致することは難しい場合が多い、という認識を持つほうが妥当ではないかということです のあたりの認識は難しいです。何度も本当にありがとうございました。

awayuki_ch
質問者

補足

 星の絵で表示してみたら、私のイメージしていることはこんな感じです。 ★⇔☆ (だった⇔だった) 下手だった⇔上手だった まずかった⇔おいしかった ★⇔…………→☆ (だった⇔になった) 下手だった⇔上手になった(×ですね。) まずかった⇔おいしくなった(○ですね。)  「★」は静かな状態で、「…………→☆」は動的な変化を経て得た眞反対の状態です。「★」と「…………→☆」のバランスがよくないので、「だった⇔になった」はだめだと思いました。でも、いま考えてみたら、「…………→☆」も結局「☆」という状態にたどりついたのですね。つまり、「☆」という状態に「到着したんだ!もう動かないんだ!」という感じでしょう。「になった」と「になっている」と「になる」とは違うと思います。「になっている」と「になる」は【線】のようなイメージを受けるに対して、「になった」は【点】のような感じで、同じ【点】のイメージを与えてくれる「だった」と、眞反対の条件としても、「だった⇔になった」はおかしくないような気がします。  また、なぜ「下手だった⇔上手になった」がだめなのに、「まずかった⇔おいしくなった」が正しいのか、私はまだよくわかりません。hakobuluさんに何度も詳しく漠然という感じを説明していただきましたが、本当に申し訳ありません。「下手だった⇔上手になった」も「まずかった⇔おいしくなった」も両方ともだめだったら、納得できるかもしれません。感覚の説明はやはり難しいですね。

  • fuyumerei
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回答No.17

>この説明に書かれている「大きく変わって」とは変化の「なる」のことなのでしょうか。でも、用例としては、全部結果を示す「だ」の形で、「なる」の用例は1つもありませんでした。 ・昔の若者がよく本を読んだのにひきかえ、今の若者は活字はどうも苦手のようだ。 上の例なんかは、「大きく変わって」という主観がよく表れていると思います。 まさに「変化」というニュアンスですが、それだけじゃなく「大きく異なる」というニュアンスもあります。 いずれにしても、変化を表現するのに必ず「なる」がついてなくちゃいけない、ということはない、ということだと思います。 >それに対して、中国人の編集者の本の中で、変化の「なる」の例はありました。中国人の編集者の本の用例は全部自然だと思われますか。 そう思います。 >日本人の編集者の説明は『=以上に。「~も~だが、それ以上に~だ」と言いたい時に使う』です。 「それ以上に」の部分が、No.15でいうところの「より」です。 例文については、日本人中国人ともに全て自然であったと思います。 >アイスクリームなどの冷たいものを届けることが出来ればお届けしたいのですが、また熱いものをいっぱい投げ込んでしまい、ごめんなさい。m(_ _)m おもしろい表現。中国にある表現かな。 日本語だとなんと言えばいいのだろう。諺とか勉強しとけばよかったです…。 私こそアイスクリームをお届けすべきなのですが、以下もうちょっと頭の体操してみてください。 No.16 >A:この料理とてもおいしいね。花子さん、料理学校に行った成果が出たわね。 >B:そうだね。以前にひきかえ上手になったよね。 >という会話は自然に聞こえるはずです。 >「以前はまずかった」「この料理はおいしい」というのはどちらも感覚(感想)には違いありませんが、【曖昧な感覚に基づいて】評価されているわけではなく、 「まずいという感覚があったという事実」「おいしいという感覚があるという事実」は明確に意識できるわけであって、この両者を対立させて捉えていることになるからでしょう。 感覚は曖昧だが、事実は明確という理由なら、質問にも当てはまることだと私は思うのです。 受話者Aさんは、(発話者Bさんが「そうだね。以前にひきかえ上手になったよね。」と発言した段階で)発話者が以前「ケンさんは日本語が下手な状態であると思っていた事実」と今「ケンさんは日本語が上手な状態と思っている事実」を明確に意識でき、両者を対立させて捉えることができます。 *そもそも上の料理の会話の対立概念は、「まずいという感覚があったという事実」「おいしいという感覚があるという事実」ではなく、No.16さん風に示すと「料理が下手な状態」と「料理が上手な状態」となるはずです。 Bさんの発言は「そうだね。以前にひきかえおいしいね。」ではないからですね。 「料理が上手な状態」は「おいしい料理を作れる」ことでしょう? だから「おいしい…」「まずい…」の対立だとNo.16さんは思ってしまわれた。 同じく、「日本語が上手な状態」は「上手な日本語を習得している。(上手に日本語を読み書き話すことができる)」ということでしょう?     したがって、No.16の「#15さんは、」以降の、 『「下手な日本語」と「上手な日本語」は対立していてイメージしやすいが、「日本語が下手な状態」と「日本語が上手な状態」は対立する認識としてイメージしづらい』 というのは、屁理屈だという風に感じます。 「料理が上手という状態⇔おいしい…」と「料理が下手という状態⇔まずい…」の対立が成立しているなら、 問題文の「日本語が上手な状態⇔上手な日本語」と「日本語が下手な状態⇔下手な日本語」の対立が成立しないはずがないんです。 冒頭に引用した料理の会話は、No.16さん自身が自然だとおっしゃっているんです。 したがって、No.16の結論である『「~にひきかえ」という表現は、対立の概念が感覚的にしか捉えられない事柄に関しては不適当』が仮に正しいのだとしても、No.16の回答ではこの質問の選択肢(2)は不適切だと言えていないんです。 しかし、実際には、No.16さんは(2)を不適切だと思っておられる。だからNo.16の結論は誤りだと私は思います。 No.17 >この「~にひきかえ」の「~」にあたる部分には、後ろに書かれている「上手」と正反対の言葉が来なくてはなりません。 たとえば、 【下手だったあの頃にひきかえ、最近はずいぶん上手になったね。】とか。 Bさんの発言は、 「(下手だった/上手じゃなかった)以前にひきかえ(今は)(特訓したことで)上手になったよね。」という意味ですよね。 「以前」と「今」は事実上、反対の概念ですし、「下手」や「上手」は当然反対の概念です。 「以前の下手さにひきかえ、上手になったよね」 こんな不恰好な日本語を使わなくていいように、省略されているだけです。 なにも明示的に書いてなきゃダメということはないだろうと思うのです。 こうなると、(2)が不適切だと思うのも適切だと思うのも、良くも悪くも、所詮ネイティブの直感です。 だからこそ、私とお二人の間は言うまでもなく、No.16とNo.17を比較しても、内容に差異というか矛盾がある。 直感を言葉を、理屈で説明するのは難しい場合があるということなんだろうとつくづく感じます。 判例を挙げる都合、他者の回答にケチをつけるようなやり方となってしまっており、淡雪さんにも申し訳なく思います。下手なやり方しかできなくて、すみません。 いろんな「ひきかえ」の例文を挙げて、 正しいですか? 間違いなら理由を…  てな感じで、新規でアンケート・多数決やってみると、回答の中に(2)が不適切だというもっともらしい説明が出るかもしれません。

awayuki_ch
質問者

お礼

 度々ありがとうございます。ネイティブの人の直感ってやはりそれぞれ違うなと感じました。中国語でもよくこんな時があるので、わかります。  何度も本当にありがとうございました。貴重な意見は大変参考になりました。

awayuki_ch
質問者

補足

 何か私の「になった」に対する理解はまだ浅いです。この文は「下手だった⇔上手だった」、「下手になった⇔上手になった」でないと、何か落ち着きません。「下手だった」は静かな状態で、「上手になった」は動的な変化を経た状態だと思ったので、両者のバランスがよくないと感じました。あ、そんなに厳しくないようですね。一呼吸……

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