• ベストアンサー

再び「太政大臣」の読みについて

 このカテゴリーの何番か前の「太政大臣について」の問答を聞いて感じたことですが、今の高校教育では明治の太政大臣は「だじょう」で古い奴は「だいじょう」と読むことになっているようです。  そしてテストでは、この読み方以外は「X」ということになっているようです。  私なんかは高校を卒業して50年近くになりますが、どちらもずうっと「だじょう」だと思っていました。  どのような根拠で高校日本史資料集が両方を峻別したのかわかりません。  明治のは比較的新しいですから、当時「だじょう」と読んでいたのはは間違いのないところだと思います。  昔のやつを「だいじょう」と読まなければならない根拠はどこにあるんでしょうか? もしそれが正しいのならば、明治の役人が制定時「だじょう」と読んだこと自体も誤りのような気がします。  なんだかややこしい話になってきましたが、現在の歴史教育で両方を峻別している根拠を教えてください。 (私としましては、テストで「だじょう」と書いたら「X」では、チョッと気の毒という感じがします。)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

私の手元にある古語辞典(旺文社 1960年発行、1969年改訂)でも太政大臣の読み方は「だいじゃうだいじん」となっています。(ただし、この旺文社の古語辞典では「だじゃうだいじんとも」と注意書きがあります) 「太政大臣」を「だいじょうだいじん」と読むのはおそらくは歴史用語であり、「その当時の発音」であろうかと思います。 漢字としては普通「太」を「た」と読む(呉音:ダイ)なので「だじょうだいじん」と読まれてしまう、のではないかと思いますし、近代以降はそのように読んだのでしょう。 歴史的用語ですから「だじょうだいじん」が不正解というのはやむを得ません。 「日本武尊」を「にほんぶそん」と回答すれば不正解なのと同じではないかと思います。

noname#24488
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございました。  呉音読みの件、おっしゃる通りと思います。当時は呉音優勢であり、また明治のときの「だじょう」からも、当初は旧仮名遣いの通り、「だいじゃうだいじん」と発音していた可能性が強いように存じます。  勉強になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • mataoyu
  • ベストアンサー率40% (82/204)
回答No.4

「スーパー大辞林」(C)2004(株)三省堂によれば、「だいじょうだいじん」をひくと、 (1)律令制で、太政官を総括する官職。左右大臣の上位に位置するが、適任者がなければ欠官とされた(則闕官(そつけつのかん))。職掌も定められておらず名誉職としての色彩が濃く、関白・摂政・内覧などの宣旨を伴わないかぎり実権はないものとされた。おおいまつりごとのつかさ。おおきまつりごとのおおまちぎみ。おおまつりごとのおおまえつぎみ。おおきおおいもうちぎみ。おおきおおいどの。おおきおとど。大相国。 (2)明治政府の太政官の最高官職。天皇を助け、国政全般を統轄する。1871 年(明治 4)設置。85 年廃止。一般に律令制におけるものと区別して、慣習的に「だじょうだいじん」と読まれる。 となっています。 これが事実なら、「だじょうだいじん」と読むのは、明治政府の官職についてだけの慣習にすぎないようですね。 そして、明治より前の場合は、やはり「だいじょうだいじん」と読むべきなのでしょう。

noname#24488
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。「スーパー大辞林」(C)2004(株)三省堂」の資料、参考にさせていただきます。すみませんでした。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

「おほきおとど」と書くとどうなるんでしょうかね? 東京も、明治の初期においては、「とうけい」と読んでいたそうです。 太政大臣も江戸初期に作られた日葡辞典に当たらないと、少なくとも秀吉がほんとに かんぱくだいじょうだいじん と 呼ばれていたかは不明ですね。 秋葉原も当時の江戸っ子は あきはばがはら と言っていたのに、薩長の役人が あきはばら にしちゃったと言うことですから。

noname#24488
質問者

お礼

>「おほきおとど」と書くとどうなるんでしょうかね?  私が歴史の教師なら120点上げます(笑)。しかし、今の高校のテストでは0点なんでしょうね。  「日葡辞典」とは慧眼ですね。目の付け所がちがいます。  当初の読み方はNo.2さんの仰せの通り呉音読みの「だいじゃうだいじん」だろうと思います。そして当時は旧仮名遣いをそのまま発音していたと思います。だから当初のは「だいじょうだいじん」でいいと思います。  秀吉サンは尾張弁で「ワシャ、デアージョーデアージンジャ」といっていたかも知れません(笑)。  明治の太政大臣がなぜ「だじょう」なのかわかりませんが、三条実美ハンが「これはタイセイダイジンではのうて、ダージョウダイジンどすえ~」といったのを、薩摩の役人がダジョウ大臣にしてしまったのかも知れません(笑)。  同じ官職名を明治になってから、意図して読み方を変えたってことは考えられません。今の役人や学界が「だいじょう」を正しいとするならば、「だいじょう」で最初から最後まで一気通貫すべきだろうと思います。  旧制度の太政大臣は最初から江戸末期まで何十人もいますが、その千年もの間に読み方の変遷がどうであったのか、まったくわかりませんが、明治の新制度になって意図して「い」を抜いたとは考えにくいですね。  こんなものを試験に出すこと自体が間違いだと思うし、ましてや「X」にするとは・・・。  ご回答ありがとうございました。

noname#40706
noname#40706
回答No.1

回答ではありませんが、私も kamehameha1941さまのご意見に同感です。 私も昔(うん十年前?)から「かんぱくだじょうだいじんとよとみひでよし」と言って(聞いて)ました。 歴史上の人物のよみかた・呼び名というのは、さまざまで、はっきりしていないと聞いたような気がしていました。 剣聖 上泉信綱  こういずみ かみいずみ どちらの説もある  など、むしろ一通りのほうが少ないような気がするくらいです。 官職の呼び名だけは昔から厳密なんでしょうか。 そうすると 現代の官僚の融通の利かない体質の萌芽はすでにそのころからあったんですかね!? テスト 特に入試などでそのように厳格に採点されたら受験生は困りますね。 中間テストぐらいなら、答案が返されたとき先生にかけあうことができますが・・・・

noname#24488
質問者

お礼

 早速ご回答戴きありがとうございます。同じように感じている方がいて心強いですね。  最近、護良親王も「モリナガ→モリヨシ」になったみたいです。今、パソコンで「モリナガシンノウ」と打ち込んだら、出てこずに「モリヨシシンノウ」と打つとチャンと出てきました。  50年前は、前の皇后陛下がナガコ(良子)とお呼びされていたので、皇族では良はナガと読むもんだと、てっきり思い込んでました。  剣聖上泉サンも仰せの通り、昔どう読んでいたかはわからんでしょう。今の人でも、同じ漢字の名字であるのに2通り、3通りで呼ばれている例が沢山あります。当時でもひょっとしたら二通りで呼ばれていたのかも知れません。本人にどっちだと聞くわけにはいきませんものね。  昔の太政大臣をダイジョウ、明治のをダジョウと決めてしまうのはどうかと思います。  明治になってから今までダイジョウであったのを急にダジョウと呼び出したのではないんじゃないかと思いますね。京都のお公家さんが江戸時代になんと発音していたのか知りたいですね。  同じ官職名を法制が変わったとはいえ、読み方を変えるのはどうにも腑に落ちません。太政は発音する人がキチンと発音しているつもりでも、聞く人によっては幾通りにも(ダイジョウ、ダジョウ、デジョウなど)聞こえると思います。  どちらかの一気通貫でなければ変なような感じがします。  高校の歴史の先生ともなれば相当な学者なんでしょうけれども、生徒に突っ込まれたらどう返事するのか心配ですね。そう決まってるんだから、そうなんだという返事では、歴史嫌いを増やすだけのような気がします。  この問答の中で有力な根拠が出てくればいいんですが。

関連するQ&A