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足利義満の太政大臣就任

室町幕府の3代将軍・義満は   征夷大将軍 1368年~   太政大臣 1394年   准三后 ?年 にという順番で就任しますよね。 1 1394年に太政大臣になったということは、征夷大  将軍は誰かに譲ったのでしょうか、それとも兼務  したのか 2 准三后になったのは、何年ですか?   また、准三后になっても太政大臣(また、1の質  問の答えが「兼務」ならば征夷大将軍も)は兼務  したのですか? どなたかお願いいたします。

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noname#35582
noname#35582
回答No.3

足利義満の准三后宣下は1383年です。 正式には「准三宮」で、官職ではなく称号というか待遇というか…。 皇后の皇后宮、皇太后の皇太后宮、太皇太后の太皇太后宮、以上の「三宮」に「准じる(=準じる)」くらいの待遇をします-という意味です。 (宮=宮職で、その人専用の役所のようなものです) http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kani10.html こちらの辞書には「准后」で掲載されていますが。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BD%DA&kind=jn&from=mobilet 官職に関しては、1368年~1394年が征夷大将軍で、1394~1395太政大臣でした。 1394年に息子の義持が征夷大将軍宣下を受けています。 足利義満については、こちらにも詳しいです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E7%BE%A9%E6%BA%80

その他の回答 (2)

  • tukihana
  • ベストアンサー率23% (11/46)
回答No.2

准三后というのは征夷大将軍や太政大臣のような官職ではなく称号です。 皇后、皇太后、太皇太后に準ずる存在と言うことです。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

名目的には1394年に征夷大将軍の地位は息子の義持に譲っていました。 ただ、足利家の家督と実権は義満が握ったままでしたが。 そのため義満が死んだときに、征夷大将軍は義持であるにもかかわらず後継者が決まっていないともめました。