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太政大臣と摂政について

こんばんは 日本史のことについて質問させていただきます。 藤原良房のことなのですが、857年に太政大臣に、866年に摂政になっていますが、これは太 政大臣と摂政を兼任していたということなのですか? ご回答よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.4

役職からいえば、太政大臣は、官僚のトップ。現在の事務次官。 摂政は天皇に変わって行う行政のトップ。今の日本も 天皇は象徴であり、行政のトップは 総理大臣でしょう。   官僚のトップにいた人物が、9年後に行政のトップに就いたということになるのでしょう。 当時の藤原家の勢いからいえば、当然の出世ルートなのだったんでしょう、多分。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.3

摂関政治の初期には, 基本的に摂政・関白は太政大臣が兼務する (あるいは太政大臣に付随する職務として摂政・関白を務める) というイメージがあったらしいです. 良房も太政大臣のまま摂政となっています. のち, 安和の変のころから摂政・関白と太政大臣との分離がはじまるとか.

  • notnot
  • ベストアンサー率47% (4900/10358)
回答No.2

はい。兼任です。 摂政や関白と太政大臣は兼任されることが多かったです。もちろん、兼任されないことも多かったです。

  • tsubuyuki
  • ベストアンサー率45% (699/1545)
回答No.1

857年は、文德(もんとく)天皇の時代、 866年は、清和(せいわ)天皇の時代。 つまり、857年には文德天皇の下で太政大臣に、 866年には清和天皇の下で摂政を務めた。 ということですね。

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