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感性が豊かなのは大人じゃないの?

巷で、「感性が豊かなうち」の幼児教育云々の言辞を聞きます。しかしどうも疑問で、感性というものが年齢とともに衰えるものなのでしょうか。 質が変わるのだともいえますが、子供のとき持っていたものを年齢とともに失うことなんてあるのでしょうか。本能的な恐怖や喜びや不快や悲しみは、確かに理性や自意識のヴェールがかかって表出しにくくはなっているでしょうが、それは失われたとはいわないでしょう。 感性が豊かになっていく例ならいくらでも見つかりまして、子供のときはわからない芸術に感動できるようになったりします。これは感性がアップしたということになります。 タイトルのような言辞はどうも虚言であるきがします。どうなのでしょうか。

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noname#20102
noname#20102
回答No.5

>理性や自意識のヴェールがかかって表出しにくくはなっているでしょうが、それは失われたとはいわないでしょう。 確かに、質問者さまの分析のとおりだと思います。 すでにある感性が「失われていく」のではなく、理性によってセーブされていくということなのではないでしょうか。 子どもの頃は右脳で感覚的に物事を把握しますが、生きていくに連れ左脳によって理屈で理解する事が多くなります。 左脳の割合が増えるにつれ比率として、右脳の感覚が少なくなっていく、つまり育ちにくくなるという点で「失われる」という言い方も間違ってはいないと思いますが。 >感性が豊かになっていく例ならいくらでも見つかりまして、子供のときはわからない芸術に感動できるようになったりします。 私の知り合いの画家が、15歳で自殺した山田かまちの絵について、「しょせん子供の絵だ」と言っていました。 私もそう思います。 確かに天才ではありますが、感覚だけで描き上げただけで 、本当の芸術ではないと思います。 私自身、高校生の頃は理解できなかった物理学や数学の難しい問題が、30過ぎてから簡単にすらすら解けるようになりました。 理数系というのは実は感性を使うもので、大人になるにつれ理解しやすくなるものです。 でもその一方で、子供の頃のような恐れを知らずに感覚だけで物事を表現していたころには戻れません。

noname#32495
質問者

お礼

やはり、左右の連携両立的なものがあって初めて感性系ということができるのでしょう。その感性の完成(笑)という過程に従って変化があるように見えるんでしょうね。あまりに若い作家が作るものって厚みがないんですよね。

その他の回答 (4)

  • 8942
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回答No.4

感性というものはきっといくつもの感覚が複合されていると思います。 箸やラッキョウが転がるだけで可笑しいのも感性。 初恋のときめきは子供の頃にしか味わえない。 今聞くと歌唱力の無いアーティストの曲も、十代の頃には感動するには十分だった。 何時間も見ていても飽きることのなかった水槽の金魚。 大人では1分で飽きてしまうはず。 子供の頃はテレビのヒーロー番組に、完全にヒーローに自分を 何の疑いもなく投影してなりきって楽しめた。 今は大人向けの番組にだってその頃の熱に比べれば熱くはなれない。 背景となる知識も、自分の経験も無くても感銘を受ける事が できるのが若い感性だと思います。 一方、自分の経験、思い出、背景や知識などを元に創造力を 働かせるのが大人の能力ではないでしょうか? 体細胞全体で感動するのが若い感性 脳の活動で感動するのが大人の感性ではないでしょうか?

noname#32495
質問者

お礼

そうですね。感性の感受性がシフトしていくというか、質的変化があるのでしょう。それは心理的社会的背景と連動しているようです。

  • aran62
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回答No.3

衰えていくのではないのです。年と共に得た世間がいう常識が感性に制約を掛けていくだけです。それが多ければ多いほど感性も鈍くなっていくのです。それはどうしようもないことなのです。例えば、外に出る、いい天気、裸足になって、大声で叫びたい、でも出来ない。このでも出来ないが常識的な制約なのです。世間体がある、人がいるなどです。 ごっこ遊びもしなくなりましたよね。かわって、映画を見て感動するなど違う感性も芽生えてきます。ただいえることは、子供のうちから感性を伸ばさずにいるとこましゃくれた子供になるということです。

noname#32495
質問者

お礼

常識制約に縛られることが、感性を鈍くするというのはどうもわかりません。裸足になって叫ばないでいると衰えていくということになるのでしょうか。山歩きの楽しみなんていうのは、感性が衰えているとはどうも思えないんです。子供のうちはやはり自然な発散が必要でしょう。

回答No.2

感性は感動の蓄積で生まれてきます。普段の生活の中で見たり、聞いたり、読んだりして”きれい” ”なるほど”と感じる回数を増やせば自然と豊かになっていきます。これは子供の時からおかあさんとの会話で花を見ては”きれいだね”、青空を見ては”きれいだね” こんな単純な連続がこころを動かしていきます。  大人になって感性をみがくには”好奇心”を持つことが第一歩です。 

noname#32495
質問者

お礼

そういういい聞かせみたいなものが必要なんでしょうか。教育の力ということになりますね。 大人はやはり好奇心でしょうね。そしてそれがどうやったらもてるのかが、あるいは持っていないところに持ってこれるのかが大きな問題です。

  • xm6766
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回答No.1

>「感性が豊かなうち」 ではなくて「【感受性】が豊かなうち」の勘違いではないですか? >芸術に感動できるようになったり おっしゃるとおり、【感性】は経験や鍛錬で高まりますが 【感受性】は経験を積むごとに(大人になるにつれ)薄れていきますよね。 大概のことに驚かなくなったり、ドキドキしなくなったり。 「感受性が豊かなうちに、子供には色々な経験をさせてやろう」 ってことではないでしょうか。

noname#32495
質問者

お礼

確かに感性と感受性は違うのかもしれません。しかし、どうも感受性も大体似た傾向があるのではないかと私は思います。感受性もどうも衰えるとは思えません。驚かないこととやどきどきしないというのは、感受性が鈍ったのでなく、それを受け止める土台がしっかりしたというような気がします。