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「あがり」の心理

人前で緊張して、普段どおりにできないという問題について、何でだろうと昔から考えてきました。私なりの考えはこうです。 例えば素人で楽器を習っていて発表会に出る。そのとき上がりまくってろくなことになりません。 ★自己のパフォーマンス技量への不信 まず、自信の技量に自信がない。内心でステージになんて立ちたくないと思っている。 ★対人恐怖的あるいは気後れ 観客は大体見知らぬ人で、自分の演奏に期待している人など呼んだ知人とか家族の数人しかいないあるいはまったくいない。期待されていないところに出るという、気乗りのなさ。 ★ステージの不慣れ 物理的に、証明の熱になれていないとか、ステージからの視点に慣れていないとか、そういうことがパフォーマンスそのものに影響する。 これらをプロのそれと比較すると ☆技量に確信を持っている ☆観客は金を払ってまで自分の演奏を聞きたい人ばかりである。その後押し声援を感じる。 ☆ステージには慣れていて、全く影響ない。 こう考えると、プロはますますすばらしいパフォーマンスをして、下手なアマはとんでもない困難の中でろくなことができない。 というようなことになっているかと思います。 「あがり」って結局はこういうものなのでしょうか?

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noname#20102
noname#20102
回答No.4

あがり、ステージフライト、つまり緊張というのは生体の防衛反応です。 生物は危険を察知すると、ノルアドレナリンなどの緊張ホルモンの分泌によって、危険を回避するような生体反応を起こします。 敵と戦う、あるいは早く逃げられるように、血液を全身に回す為に血圧が上がり、脈拍が高くなります。 速やか体温を下げるために発汗が多くなります。 これは原始時代に敵に遭遇した時と同じメカニズムなわけですが、これが現代の私達は「楽器の演奏会で人前に立つ」という状況を「危険」と認識してしまい、防衛反応が出てしまうのです。 質問者さまの分析されたような「気乗り、自信」や「客に後押しされている、いない」などの理性的な根拠は、実はあまり関係がありません。 プロでも重症のあがり症で仕事を失った人はたくさんいます。 基本的に、現場で「こうでなければならない」という制限を自分に課す事が、一番あがりにつながるのです。 「人前で失敗してはならない」という縛りが、原始時代の「絶対勝たなければ、あるいは逃げ切らなければ命を落とす」という絶体絶命の状況と同じなのです。 よく「うまくできなくても自分の表現ができればいい」と悟ってあがりを克服する事例は多いです。 これはまさに、「絶対に勝たなくても」「自分が満足できればいい」という縛りを緩めた境地に至ったわけです。 プロが場数を踏むとこのような境地にいたり、それがいわゆる「慣れ」というものと同じなのでしょう。

noname#32495
質問者

お礼

そうなんですか。総説明されると、まさに納得できるような気がします。敵に襲われるときにはいいが、演奏とかパフォーマンスとかスポーツの注目とか、そんなときはまったくマイナス作用でしかないでしょう。融通利かない本能が残っているものです。 こうならなければならない=普段やっている通りにできればいい=やっている通りにできなくてはならない という強制があるのですよねそれが恐怖をおそらく招く。 「うまくできなくても自分の表現ができればいい」 というのは実は厳しい要求で、そのためには普段通りの状態になっていることが必要なわけで、これはそういう本能の迷走のような反応を統御しなくては解決しないということになっていきます。

その他の回答 (4)

  • 8942
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回答No.5

緊張して出来なくなると言う事は 普段無意識にまかせてやっている事を いきなり意識的にしようとするから出来なくなるんじゃないかな? 同じ事をするのでも無意識でやるのと、意識的にやるのでは 脳の使い方が違うのではないでしょうか? と素人なりに考えて見ました。

noname#32495
質問者

お礼

意識的にでもないですね。普段どおりほとんど無意識でいこうと思っても、それを実現する体が動かないというにっちもさっちも行かないという。

回答No.3

自分を表現することに対して「恐怖」を感じているのではないでしょうか。 特に、自分の中の「隠しておきたい部分」が表に出ることに対して「恐怖」感じているよ うに思います。たとえば「失敗することに」「あがること自体に」。 あがっているときは「あがっています」「うまくいくかとても心配です」と言ってみるとよ いと思います。そうすることで、「あがり」に支配される状況から、かなり解放されると思 います。もしかしたら質問者様はそうすることを「恥ずかしい」と感じるかもしれません が、個人的には自分を認めている・自分を受け入れている、潔い態度だと思います。

noname#32495
質問者

お礼

いやあ、そうかもしれませんね。そもそも人前に出るということそのものに嫌悪感があるのかもしれません。ただ、一人で演奏しているときとそう違わずにできるならいいと思っているのですが、とてもそんな甘いものじゃないですね。当たり前の動きができなくなる、まさに金縛りとはああいうものだと体感できます。潔い事よりもまずそっちのからだの変化についていけません。

  • Diogenesis
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回答No.2

素人とプロの違いについての質問者さんの考察はひとつひとつ頷けます。 これについての心理学的な説明としては「ヤーキーズ=ドッドソンの法則」がよく援用されます。 これは元来,動物の学習における罰の強さと成績の関係についての法則だったのですが, 現在ではより一般的な覚醒水準とパフォーマンスの関係についての法則と理解されています。 ここで言うパフォーマンスは課題ごとに遂行の速さや正確さによって定義されます。 その要点は 1.ドミナントな反応(単純課題や熟練した技能)においては,覚醒水準が上昇するにつれてパフォーマンスが上昇する。 2.非ドミナントな反応(複雑課題や非熟練技能)においては,覚醒主準とパフォーマンスのあいだに逆U字型の関係が成り立つ。 というものです。 楽器演奏やスポーツ競技などで同じ課題をこなす場合, プロにとってはドミナントな反応であっても素人には非ドミナントな反応ということになりますから, 先の1と2の違いが生じるわけです。 非ドミナントな反応において覚醒水準が上がりすぎるとパフォーマンスの低下が生じるのは, 集中化によって注意の幅が狭くなるためと考えられています。

noname#32495
質問者

お礼

多少酩酊の体でやったほうが中庸のアマチュアにはいいのかもしれませんね。これはひとつ参考にさせていただきます。

  • hakobulu
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回答No.1

基本的には、無理をしようとするのであがるのだと思います。 「>自身の技量に自信がない」というのは要素のひとつではあるでしょうが、それよりも、 自信がないのにうまく見せようとするのであがるのではないでしょうか。 自分の実力どおりの力を発揮すれば良いのだ、と思えれば(そう簡単ではないでしょうが)あがりは減らせるように思います。 しかし、その段階でそう思えるかどうか、が今度は問題になります。 その場合、一生懸命納得いくまで練習した人は、あれだけやったんだから・・・と思えるでしょうし、 結果として持っている力を出すしかない、と自然体になれる確率が高くなるように思います。 逆に、十分努力したという自信の持てない人は、それを隠す(カバーする)ためにも何とかうまく演奏しなければならない、という本来不要な点にも多大なエネルギーを使ってしまいます。 結果として、演奏への神経集中が果たせず、固さが残ったり間違えたりするのでしょう。 対人恐怖やステージの不慣れなどの問題が仮にあるとしても、些細な要因にすぎないと思われます。 要するに、本来、自分に対するごまかしが無ければ「あがる」という状況には至らないのではないか、と考えます。

noname#32495
質問者

お礼

たいへん説得性のあるご説明だと思います。ただ、そういう自身の姿勢の問題ということもあるのですが、やはり人前に立つという外的条件が強制的に作用しているともいえるかと思います。人事を尽くしても、それよりも強力な力があることを感じます。 それは実際最近楽器を人前で久しぶりになったときに、楽しめればいいし自分の力どおりにやればいいと心から思って板のにもかかわらず、予想外の崩壊をしてしまって、まったく体の自由が利かなくなるんですね。