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この世とは
すごく不謹慎に思われるものかもしれません、お詫び申し上げます。 皆さんは「この世」をどう思っているでしょうか。そのひとつとして人生を私は「ゲーム」だとおもっています。死=ゲームオーバー、来世だの幽霊だのありますが脳停止=五感停止=何もわかりません 無論その先は非現実的なことがないともいいきれませんが。今現在見ているもの、聞いてるもの、触ってるものなど すべて体そして脳が受容しています。そのストックは1、それが0になるときその先に何があるのか。闇があるという人もおられます。光がない=闇。では光がないときに現れる闇というのはなんなのでしょうか。これは幽霊だのそんなことよりも一番不思議に思えます。すべての基準は闇=黒にあるのではないでしょうか。すなわち全てが基準に戻る=ゲームオーバーするとまたスタート画面に戻ります。そう、繰り返しなのです。生々しいことをいってますがやはり来世はなくもないかと自分は思っています。あくまで個人的な意見ですので不快に思われたり意味もなく憤慨されたりされた場合は即刻消去いたしますので考慮お願いします。 たくさん話したいことはあるんですが制限に達するので・・・皆さんの濃い意見を聞かせていただきたいです。
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- ponta20
- ベストアンサー率17% (31/176)
その思想は輪廻転生(に近い)ですね。 しかし五感が消えれば何も感じません。 この世=あなたにとってのゲームを楽しんで下さい。 ・・と言うと、じゃあ真に支配しているものは何?となりますよね。 真にあなたを支配しているのはあなたの五感ですが・・ つまりこの世はゲームでも無ければ、ゲームオーバーもありません(感じる事は出来ません) 充分にこの世=あなたの全てを楽しんで下さい。
セーブやロードやコンティニューに値するものが見当たらない。 テーブルゲームなんですか?
「コナンドイルの心霊学」でも読んでみたらどうですか? コナンドイルは霊の存在について否定派から肯定派に変わった代表的人物です。
- tokytime
- ベストアンサー率37% (43/114)
質問者様が人生はゲームのようなものだという意図は理解できます。 不謹慎に聞こえますが、私も人生をゲームとして捉えると分かりやすい・・と思っております。 ただし、質問者様とは少し違って、 私は「この世を闇」、「あの世を光」と思っております。 人が挑戦するのは、大変闇の誘惑の強い「人生ゲーム」です。 そして参加型の超立体型リアルゲームです。 人はこのゲームに参加すると、ゲームということをすっかり忘れてしまい、参加前に自分で選んで設定したゲーム上の人生にブーブー不平、不満をこぼしながら生きていきます。 このゲーム世界の真の通貨は「徳」です。 ところが、参加者はこのことをゲーム中はすっかり忘れてしまいます。 最終的に、どれだけ「徳」を集めたかでステージが上がっていきます。 ゲームオーバーはゲーム上で参加者が亡くなったときです。 参加者はそのとき初めて、はっと気づきます。 「ああ、そうだった・・ゲームに参加していたんだ。・・「徳」をたくさん集めることが目的だったのに・・すっかり忘れていた・・何てこった・・何てくだらないことに夢中になって、大切なゲームを空しくしてしまったんだろう・・・。」 人は後悔し、こんどこそはちゃんと「徳」を集めるべく強い決意でゲームマスターに相談し、さらに綿密に計画を立てて、自分の苦手な種類の「徳」をゲット出来るように設定し果敢にも再挑戦します。 ゲームにはペナルティーの規則もあり、 ゲーム上で他者の「徳」を横取りすると、その徳は「悪徳」に変身し、その悪意のレベルによって自己の「徳」が幾つか失われます。 又、他者に悪意を向けた場合、その影響度によってその「悪意」が「悪徳」に変身します。 ゲーム終了後も、このゲットした「徳」「悪徳」は累積され、次のゲームレベルを決定する際の大きな判断材料になります。 全種類の「徳」を獲得すると「この世ゲーム」は卒業となり、さらに高いレベルのゲームに参加してさらなる「徳」を磨きます。 そのゲームはもはや闇の誘惑の存在しないゲームで「光の徳を集めるゲーム」です。 徳の高い参加者に囲まれ、協力して「光の徳」を集める、実に楽しいゲームです。 などというのは如何でしょうか。 楽しくありませんか?
- mtld
- ベストアンサー率29% (189/643)
人生はゲーム? とんでもありません 世の殆どの方はご存知無いだけです イエス様は教えてくれませんでしたが お釈迦様は はっきり教えておりますが 今では坊さんが理解出来ないのですから無理無いでしょう 現在の科学レベルでは無理からなのかどうか解りませんが 現在は何方でも特殊な方法を使い体験を通じて本当であったと感じ取る事は可能となっております あくまでも感じ取るのです ですから直ぐにとはいきません あの世へ行ったり前世に戻ったりする訳ではありません その為にあるのではありませんので詳しい事は省略します でもいずれ科学で解明されるでしょう 何百年先かは解りませんが クォークの次が解明されてからではないかと想像しております クォークの次はリションになるのでしょうか? リションモデルと言われる仮説があるそうです 本題ですが #8さんが答えております通り 人生は修行です 技術、技能、感性を磨き より高度な人格完成をめざしているのです 普通に生きておれば普通に進めるのですが 修行 の意識を持って生きるなら より早く進めるでしょうし つらい事も我慢出来る事でしょう そして次の人生に繋がっていくのです 何もせずに過ごすのが最も良くありませんニートは最悪です 生まれ変わる は本当であって決して ゲーム機のようにリセットはされません 来世に持ち越すのです ですから天才が生まれるのです 突然変異ではありません 遺伝は姿形のみでしょう 頭の良し悪し迄遺伝しないのです ですから頭の良い親に必ず頭の良い子が生まれるとは限らないのです 次の人生に持ち越すのは身に付けた能力だけではありません 業もです ですから病気が起こるのです いまだ持って病気の原因は掴めず が現代医療です 解っているのは病原体によるもの位です 知ってました? 病原体によるもの以外は少ないです 原因が解らないまま治療を行っているのです 原因療法は出来ないので症状を抑える対症療法になる訳でガンの治療は最たるものです ありふれた高血圧ですら原因不明なので血圧が高くなったら降圧剤や血管拡張剤で下げる 低血圧は逆を同じようにやるのです 難病中の特定疾患だけでも121種あるそうです 先に申し上げた事が理解出来たら生き方迄変わりますが体験しない限り無理でしょう
- tetsu_low
- ベストアンサー率0% (0/1)
この世とはあの世へ向かう道筋です。だから不謹慎なことをすると大変な事になるでしょう。
- ri-zyu
- ベストアンサー率30% (184/611)
この世とは理屈抜き(理屈では解らないと言う事です、人間の知恵ですべて解決、解ろうとするのは、愚かな事です)
- chironero
- ベストアンサー率11% (23/200)
想像は出来ないが創造出来る唯一の場所です。
>皆さんは「この世」をどう思っているでしょうか。 この世はあの世への修行の場である、と考えています。 修行を目的と考えれば死ぬまでその目的が完遂されることはない、しかも死の到来日を予測することは不可能。 となれば死え向かってある種の永遠性を付与することができるわけです。 おかげで、人間の営みが全て偶然である、といったニヒリズムから脱することが可能となる。 だから来世が単なる仮構であるとは考えないのです。 >すべての基準は闇=黒にあるのではないでしょうか。 「色彩は、なかば光、なかば影である。そして、光と闇の結婚である」 ゲーテは闇というものを光と同様に重要視しましたね。 プリズムに光を通してもそれだけでは色彩は現われることはなく、闇があってはじめてそこに色彩が映し出される。 このようなゲーテの色彩論は量子力学にも影響を与えています。
- ma391223
- ベストアンサー率43% (13/30)
はじめまして。質問者さまの意見、私にもよくわかります。 >人生を私は「ゲーム」だとおもっています。 >すべての基準は闇=黒・・・ ・・・なんて考えたい時もありますよね。 私の場合、むしろ質問者さまの考えの逆説的な考えでいます。 人間は恐らく、今自分がいるポジションで先を見たり、過去を振り返ったりしているのだと思います。その時の(今現在の)自分を第三者的に眺めた場合と、明日でも1年後でも10年後でも、第三者的に眺めた場合ではタブン・・・(間違いなく?)現在の思考ではないと思います。 解剖学者の養老先生が、人間は1年もすると、全身の60兆個とも言われる細胞がほぼ更新されていると、ある書物でおっしゃってました。 解らないのはある意味「自分自身」だと。。。 回答になって無いかも知れませんが、質問者さまが、この世の最後に どう思うか? が、質問者さまの(又は、我々の)最終的な答えなのでは?とか思うのですが。。
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