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この世界は本当に現実ですか?
時折自分が感じ見ている世界の存在が信じられなくなります。 映画マトリックスのような作られた仮想世界ではないか? 見えている部分より先は何も無い無の空間なのでは? 外国や宇宙なども本当は存在せず存在しているように見せられているのでは? 自分は本当は死んでいてここは意識の作り出した世界では? 今過ごしている一生はリアル体験型シミュレーションゲームで死ぬと本当の自分がゲームセンターで目覚めるのでは? 実は脳だけになっていて神経刺激によって世界を見せられているのでは? 自分も世界もすべて超高度なプログラムなのでは? こんなふうに思うのは精神病なのでしょうか?
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- tumaritou1
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離任症になるとそういう風に感じられます。それは貴方の心が二つになっている証拠です、『心の矛盾が作り出した』世界です。貴方には悩みが有ります、その悩みが今の感覚を作っています。 貴方は自分自身を知りたいという欲求が有るかと思います、その裏返しが今の感覚です。自分自身は何者なのかと言う事は『人間の永遠のテーマ』と言えます。もしそのことを学ぶ気が有るならば、鈴木大拙博士の著作したものを読んでみてはいかがですか?『禅』の中には人間の心の矛盾の解消というものが有ります。それは『不安の解消』ということです。 自分は何者か?この事が人間を常に不安にしています。是には『禅』が最適です。実存からの問いかけが『自分は何者か?』です。『禅』とは『実存の働きそのもの』と言えます。
現実とは何ですか。
- inpeko
- ベストアンサー率28% (13/45)
般若心経を読んでごらんなさい。
- zico_zibur
- ベストアンサー率0% (0/2)
私も今いるのが夢で高いところから飛び降りたら現実世界に戻れるのかもって思うときがあります。
- hakoiri_quota
- ベストアンサー率41% (110/268)
自分も昔そういう風に思ったことあります。 今でも連続的な夢やデジャブな夢を見ると、ひょっとしてそっちも現実?と思ってしまいそうになったり(笑) しかし自分が生きてきた人生を振り返り、思い出などを考えるとそれは現在世界のどこにも存在していないわけだから夢や虚構の世界とどう違うのでしょうか? 違うところがあるとすれば現在との連続性と「常識」という共通のルール・認識から大きく外れることが無いことでしょうか。 だから急に空を飛ぶことが出来たりなど今までの人生に存在しなかった現実が目の前に急に現れると夢との区別は付かなくなるでしょう。 そうすると主観的な現実とは非常に不安定な前提のもとに成り立っていると言うことになります。 しかしながら例えどんなに主観的な現実と虚構の境目が曖昧になろうとも自分の周囲の現実および「常識」は容易に覆るものではありません。 そうすると主観的な現実認識と客観的な現実認識の間にずれが生じます。そのズレが大きいと「頭がおかしい」とか「精神病」とか言われてしまうかもしれません。 確かにこの世界は大きなプログラムで成り立っています。 ただしそのプログラムは人間に都合のいいものでもなく意思を持っているわけでもありません。 全ては関係性の中から生まれてきたものです。 客観的な現実も誰かが作り出したものではなく全ては関係性と連続性から成り立っているものです。 信じようが信じまいが存在しているので、あとはあなたがどう感じてその中で生きるかと言うことです。 ただし自分が見えているもの、感じているものが本当に正しいかどうかは分かりません。 犬は白黒に世界が見えます。人間だって多少精度が上がっただけに過ぎないでしょう。 だから自分の住んでいる世界で、持っているモノで何とかやりくりしていくしかないのです。
- 007_taro
- ベストアンサー率29% (540/1831)
まるでルパン三世の「ルパンvs複製人間」の世界みたいですねぇ。 でも、あながちウソではないのでは?だって、そもそも人間って細胞が分裂して、赤ちゃんの状態に変化し、産まれてから、なんで実際には骨と筋肉と臓器、それに脳と神経が通っているだけで、一人ひとり違う個性を持って、考えたり話したり動いたりするのか、なんて、すごい不思議ではないですか?人間の身体自体が、宇宙のような神秘と超高度プログラミングで成り立っているんじゃないかと思いますよ。 ただ、「自分は本当は死んでいて」と言うのは、分かりませんね。だって、お互い創り出した世界で、自分は生きているとか死んでいると信じていれば、「それが本当」なんですから。 精神病と言うよりも、その考えに没頭して、生活ができなくなる(引きこもったり、過剰な反応がでる)のであれば、カウンセラーや心療内科に行っても良いかと思いますが、そうでなければ、病気と思うことはないんじゃないかと私には思えます。
- sanori
- ベストアンサー率48% (5664/11798)
こんにちは。 それは、質問者様の想像力が高いことを示しているだけです。 社会に迷惑をけいるような危ない想像力を持ってしまう人はいますが、少数であり、また、質問者様のケースには当てはまりません。 ちなみに、私は若かりし頃、地球上に住む人間のうち、自分以外の人はすべて宇宙人なのではないか、そして、皆で私をだましているのではないか、という想像をしたことがあります。
- snowplus
- ベストアンサー率22% (354/1606)
事実です もしそのことをもっと知りたいのなら デービットアイクをお勧めします ◎五感の牢獄で見えているのは、幻影の「世界」 [TOP] ●私たちが住んでいるのは「世界」などではなく、ある周波数帯域の中、つまり五感がアクセスして知覚できる範囲にすぎないちっぽけなものだ。無限の宇宙というのは高層ビルのような構造物ではない。無限は同じ空間を共有する無限の周波数からなっている。 あなたのいる場所で放送されるすべてのラジオやテレビの電波が、あなたの肉体と同じ空間を共有している。それができるのは、電波があなたの身体と(そして他の電波とも)違う周波数帯域ないし波長で動いているからだ。 周波数が本当に近いときにしか、私たちはその「干渉」を受けない。そうでないときはお互いの存在にはまったく気づかないのだ。すべてはまさに別の周波数、別の「現実」あるいは「世界」で活動していることになる。 無限の宇宙は、まさにこの原理の上に機能している。無限はあなたの中に存在すると言うことがあるが、それは正しい。無限はすべて私たちの中にある。あらゆる無限はすべての空間を共有しているのだから。 しかし大事なのは、私たちの五感でその無限のすべてを確かめることができないということだ。ちょうどどこかの局にラジオを合わせたとき、他のどの局も聞くことができないのと同じだ。 私たちが確かめられるのは、無限のうちの「見る」、「聞く」、「触れる」、「嗅ぐ」、「味わう」という5つの感覚の周波数で振動しているごくわずかの部分だけだ。これが「五感の牢獄」と呼んでいるものである。たいていの人は、この巧みに作り上げられ操作された幻影の虜(とりこ)となり、それが存在のすべてだと信じ込んでしまう。彼らにはそれしか「現実」はない。 この考えは「教育」システムやマスメディア、「科学」などでさらにしっかりと根づかせられている。どれも、五感で感じられる「世界」だけが唯一の存在だという信念に支配されたものだ。なぜそんなことが行なわれているのか。イルミナティが私たちにそう信じさせたがっているからだ。その理由をこれから簡単に説明しよう。 http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-inbou.html http://www.sanko-sha.com/sankosha/editorial/books/items/153-1_154-X.html
- zyakkaru
- ベストアンサー率15% (11/73)
精神病ではないと思いますよ。 それによって死んでしまいたいとか ためしに飛び降りてみようとか考えるのであれば 通院してください。 私も基本的にあなたと全く同じ事を15年ぐらい前から思っています。 精巧な擬似体験をしているとしても、 現実である証明はできないからです。 (私は映画マトリックスでモーフィアスが現実(とされていた)世界を現実だと信じていることに、哀れみを感じました) 結局、どこに存在しているのか?ということが大事なんだと思います。 cogito ergo sum(コギト・エルゴ・スム) 我思う、ゆえに我あり 現実を証明することはできず、確かめることもできない。 すべては空想の産物かもしれない。 この回答をしている私も一時的に作られたプログラムかもしれない ただし、一つだけ それについて思い悩むあなたは、確実にそこに存在する。
SF小説化したら売れそうな感じですね。 日常生活に支障が出なければ精神病などの心配をする必要はありません。想像力が豊かなだけです。 もしかすると本当にシュミレーションかも知れません。なぜなら、誰もこの世がシュミレーションでないということを証明できないからです。
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補足
人間の思考興味深し…