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この世とは

すごく不謹慎に思われるものかもしれません、お詫び申し上げます。 皆さんは「この世」をどう思っているでしょうか。そのひとつとして人生を私は「ゲーム」だとおもっています。死=ゲームオーバー、来世だの幽霊だのありますが脳停止=五感停止=何もわかりません 無論その先は非現実的なことがないともいいきれませんが。今現在見ているもの、聞いてるもの、触ってるものなど すべて体そして脳が受容しています。そのストックは1、それが0になるときその先に何があるのか。闇があるという人もおられます。光がない=闇。では光がないときに現れる闇というのはなんなのでしょうか。これは幽霊だのそんなことよりも一番不思議に思えます。すべての基準は闇=黒にあるのではないでしょうか。すなわち全てが基準に戻る=ゲームオーバーするとまたスタート画面に戻ります。そう、繰り返しなのです。生々しいことをいってますがやはり来世はなくもないかと自分は思っています。あくまで個人的な意見ですので不快に思われたり意味もなく憤慨されたりされた場合は即刻消去いたしますので考慮お願いします。 たくさん話したいことはあるんですが制限に達するので・・・皆さんの濃い意見を聞かせていただきたいです。

みんなの回答

  • modoki666
  • ベストアンサー率27% (29/106)
回答No.6

この世とは私の上を通り過ぎていくものです。

回答No.5

陰陽相対論という中国の古い教えがあります。 物事には、必ず相対する物が存在するっと言うことです。例えば、善と悪、表と裏、生と死などです。ただし、これは人間の作ったもの(人工物)には当てはまらないようです。自然界だけに適用されるもののようです。 そして、この相対する二つのものは互いに影響しあっています。 つまり、生と死は互いに関係しあっています。具体的に言うと、生と死は一つであり、つながっているのだと思うのです。   生まれることは死に向かうことである→死ぬことは生まれることに向かっている この世にはとにかく何かしらの法則があることは確かだと思います。 闇=無 、ととらえた場合、陰陽相対論によると無の空間と有の空間は関係し合い、表裏一体のような感じなのではないでしょうか。 量子論のなかで、「無の歪み」というものがあるそうです。 無の中から存在が発生することがあるようなのです。 何かで聞いたような気がしたのですが、人は魂と肉体が合わさってできているようなのです。今私たちが感じていることは肉体と魂で感じたことであります。 肉体がなくなっても魂で人は感じたりすることができるのです。 誰でも何かしらの体験を持ってそのことを感じたことがあるのではないでしょうか。 肉体は有限でも、魂はそう簡単には滅しないようです。仏教で言う六つの世界のようなものがあり、そこを魂がさまよっているのかもしれません。 いずれにしても、私は死んだ経験もないので本当のことは分かりません。しかし、この世に現れる色々な現象を通して来世のことなども少しは予想できるのかもしれません。 個人的な意見であり、曖昧なものになってしまい申し訳ありません。

  • corpus
  • ベストアンサー率12% (25/200)
回答No.4

ゲームがどういうものなのかわかりませんが、たいていのゲームにはルールがあると思います。ただ、この世はルールが前もって決まっているわけではありません。ルールを探すのがルールになっているのかもしれません。この世は、風変わりなゲームだと思います。

  • NCU
  • ベストアンサー率10% (32/318)
回答No.3

自分、自我、精神、心、思考、みな脳の「機能」です。 私とは、この(今自分の頭を指差している)脳の機能です。 ゆえに脳が機能を停止したら、自分も自我も精神も心も思考も無くなります。 私とはこの(今自分の頭を指差している)脳の機能である以上、それが必然です。 私が生まれる前はどこにいたって? 「この」私はどこにもいなかったはずです。 私が生まれる前、人間も動物も腐るほどいたわけですが、少なくとも彼らの自我も精神も心も思考も「この」私ではありませんから。

  • 8942
  • ベストアンサー率13% (188/1414)
回答No.2

インターネットをやっていると パソコンと人間がだぶって見えてくる。 すると・・・前世や来世も有りかなって・・ 例えば 1、個人の意識の違い:個々のパソコンがどのサイトにアクセスしているかの違い(この場合一つのサイトにアクセスできる人間は一人だけなのかも) 2、人間の死:パソコンのクラッシュ 3、生まれ変わり:パソコンを買い換えて、買い換える前にアクセスしていたサイトにまた繋がる(繋げる)事 4、前世の記憶:パソコンが変わっても、つなげるサイトが同じなら あって当然。 こんな感じです。

aleycross
質問者

お礼

返答ありがとうございます。単純に考えたのですが >3、生まれ変わり:パソコンを買い換えて、買い換える前にアクセスしていたサイトにまた繋がる(繋げる)事 4、前世の記憶:パソコンが変わっても、つなげるサイトが同じなら 自分が変わっても 相手はそこにいるから 同じだから、という考えを対人化すると変わってきますね。自分が変わると相手が同じでも相手がわかってくれない=前世の記憶が互いに証明されない。 まぁ違う例えに直すと答えも違ってくるのは当たり前ですよね。そういうものですから。パソコンに考えるという発想はとても上手く思えました。参考にさせていただきます。

  • poponponpo
  • ベストアンサー率29% (965/3218)
回答No.1

人間の生の状態は、電源をオフにしたときに情報を記録できないパソコンと同じでゲームと言えばそうかも知れません。 光と闇の関係は、眼という入力機関が認識するエネルギーがあるか無いかのことですね。 一般的に眼が認識するエネルギーのことを「可視光線」と呼びますが、幻覚などの異常認識をする場合もあります。 幽霊などは可視光線と比較的波長が似ている赤外線や紫外線などが写るカメラでも撮影できないことから、霊能力者は全く別のエネルギーを感知する神経細胞が存在しているか幻覚を見ているか嘘をついていると考えることができますね。 来世があるのか無いのかに付いては私は無いと考えますが、あると仮定すると前世の情報がどうやって現在生きている人に入力されるのかを解明する必要がありそうです。 その情報がどうやって保存されているのか?疑問はつきません。

aleycross
質問者

お礼

返答ありがとうございます。かなり現実的に答えていただき深い理解を得ました。あるスレに哲学をしったかぶって話すな みたいなことを書いてる人がいましたが 自分は哲学が好きなので その上でわけのわからない質問になってしまいました。といっても哲学は範囲が広すぎてこたえにくいですが・・・。 本題ですが >前世の情報がどうやって現在生きている人に入力されるのかを解明する必要がありそうです。 かなり重要ですよね。来世を信じきってる自分はその時点で非現実的なものにとらわれているようです。

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