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『哲学』とは何ぞや
『哲学』とは一体何ですか? 哲学は、何に応用され、どういった場面で役立っているのですか? 具体的に教えてください。実学ではありませんよね? 哲学が謎で謎で仕方がありません。
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NO9さんの参考URLを拝見すると哲学は人を馬鹿にする道具にしかすぎないように感じられます。 私の弟は大学で哲学を専攻していましたが現在は家業を継いで土方をやっています。 何の役にも立っていません。
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新しく質問をたてようと思いましたが参加させていただきます。 下記の質問で「哲学の「て」の字も知らずに哲学を語っているつもりの人が多い」 とのことでしたので質問者様に逆に問うてみたのですがこ馬鹿にされているようでした。 さすがに哲学科を卒業している方は違うなぁ~とカチンともきましたが。。。 http://bekkoame.okwave.jp/kotaeru.php3?qid=2306049 私が思うに全ての学問の基礎となるもので、考えるための方法論や理解に導くための道具のように思います。 テーマを決めひたすら思索にふけることも良いと思うのですが、 答えを導き出すのに逆説を考えたり、消去法で可能性を消したり、と、 考えるための方法がたくさんあればいろいろな角度から物事を考えることができて便利。 そういうものだと思います。 実験的な科学で証明できないことであっても、哲学的には答えを求めることができるとても不思議な学問でもあります。 理解するには読書量と思索にふける時間が必要だと思います。 バランス良く取り入れることが難しいのですが・・・ 個人的には哲学を理解した方と対話することが最も大切だと思います。 理解を生み出すために産婆と同じ役割をしてくれることでしょう。 そういう自分も上記URLでは哲学を語っているつもりの人の一人です。 他の方の回答も参考になりました。更に必要としている答えが出てくるといいですね。
お礼
回答ありがとうございました。 どの方も、哲学が学問の基礎のようにおっしゃっていますが、根拠が不十分で理解に苦しみます。どの学問にも基礎はありますし、何も基礎を哲学に無理やりこじつける必要があるのか疑問です。
- moritan2
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科学技術の基礎になっているのが自然科学ですが、自然科学の基礎をなすのが数学と哲学だと思います。たとえば、量子力学の結果をどう考えるかは哲学的な裏付けがないと解釈が難しいと思います。進化論なども実験が不可能であり、発掘などででてくるほんの少しの事実をどう解釈するかがすべてだと思いますが、こういう時に哲学的な考え方を味方にしないと、創造論とかインテリジェントデザインとか、おかしな方向に思考が行ってしまいます。ほかに、宇宙のなりたちがどうしてこんなに都合よくできているのかという問題にしても、哲学的な考え方を身に付けていれば、人間原理で問題なく説明できることがわかりますが、そうでないとやはり神による創造とかとかインテリジェントデザインなどというおかしな方向に進んでしまいます。オウム真理教にはかなりの学識経験者がいたはずですが、彼らには哲学的な考え方を知らなかったのだと思います。 そういう意味では哲学は宗教とは正反対の学問だと思います。
お礼
回答ありがとうございました。 >オウム真理教にはかなりの学識経験者がいたはずですが、彼らには哲学的な考え方を知らなかったのだと思います。 そう思われる根拠は何でしょうか?哲学的な考え方とは具体的にはどの様な考え方をいうのでしょうか?漠然としているほうが、解釈の幅が広がる分(”哲学を知らない”人にとって)危険だと思います。
- kobarero
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>『哲学』とは一体何ですか? 新しいものの見方、考え方、概念を創造する学問だと思います。 >哲学は、何に応用され、どういった場面で役立っているのですか? 人類が、この世界で生きていく上での基本戦略を立てる上で役に立ちますから、あらゆることに応用でき、あらゆることに役立ちます。 >具体的に教えてください。実学ではありませんよね? 「人類は、この世界を理解することができ、神の力に頼らずに、理性の力によって、この世界を自分たちの役に立つように変革する事ができるのだ」というのも、近代哲学の新しいものの見方です。この新しい見方に基づいて、科学技術が開花し、民主主義や資本主義が発展してきたことを見ると、実学としか言いようがないと思います。一方、「その理性が、アウシュビッツを生み出し、広島・長崎に原爆を投下させたのだから、理性に頼ってばかりではダメでないの」というのも、哲学の新しい見方です。哲学は、明日のご飯のためには役立ちませんが、人類の将来の運命に非常に大きな影響を与える実学だと思います。長期的に見れば、MBAよりは、はるかに実学でしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 >あらゆることに応用でき、あらゆることに役立ちます。 より具体的には何に応用できているのでしょうか。”より具体的に”は、というと、ハタと思考が停止するような気がします。
哲学は、生きる意味を問う学問です。 私という人間が今ここに生きている理由、これからも生きてゆく時に頼りにするものは何なのか、人間にとって本当に必要で大切なものは何なのかを問う学問です(お金なのか、平和であることなのか、ただ楽しく何かを消費することなのか)。 今の世の中は、とりあえず役に立たなければ無用なものであると考えられがちですが、そういった考え方も、哲学の一部です。 なぜなら、実学こそ必要なものである、という考え方をより所にして世界の出来事を判断し、自分の価値基準にしているからです。 哲学は、そういった既成の考え方が本当に幸福につながるものであるのかを問う学問です。
お礼
回答ありがとうございました。 >哲学は、そういった既成の考え方が本当に幸福につながるものであるのかを問う学問です。 しかしながら、哲学の考え方が本当に幸福につながるものであるのかも疑問です。だとすれば、役に立つ学問の方がまだましな気がします。
- luune21
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>『哲学』とは一体何ですか? 『問い』でしょう。 >哲学は、何に応用され、どういった場面で役立っているのですか? 『問い』なので、何ができるとか、直接、何に役立つということはありません。 >具体的に教えてください。実学ではありませんよね? 実学ではないでしょう。実学行為にあたるのだと思います。 すべての実学が、「自分自身が何者であるのか」という『問い』、つまり哲学からの派生です。
お礼
回答ありがとうございました。 哲学とは『問い』なわけですね。問う分には構わないのですが、何に貢献しているのか?と思うのです。趣味で愉しめば良いだけのようにも思うのですが。
- musokunin
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現代の學問は、理性といはれる頭の働き、心の働きで進められますが、その場合、「自分は正しい考へ方が出來るか。學問の對象を正しく觀察出來るか。自分とは何か。この世界とは何か。」などは疑問にせずに、「この世の中には、原理や法則がある。それを自分は追求できる。自分には對象物を理解できる、」などを問題にしません。 例へば、物理學では、「時間は均一な速さで進展する。人は正しい觀察が出來る。この世界には物理法則と言へる原理がある。この世界には物理的に測定可能なものがある。きのふの自分と今の自分は同一の者である。因果律は正しい。自分を含め、人は正しい推論が出來る。」などについては、問題にせずに濟ませます。そのことにより、物理學は誰もが議論し、研究し、檢證し、發展を遂げてきました。このやうに、あらゆる學問は、哲學を例外として、何らかの大前提の上に成り立つてゐます。 人の知識欲は、諸々の學問の大前提である部分にも向かひ、疑問を生ずるので、その時に「無前提の學」として「哲學」が生まれてきました。從つて、哲學はあらゆる學問について、それを行ふ人々の論理の基礎、心の基礎を支へてゐるわけですから、「人が論理的に、知的に活きてゆく爲の基礎」となり、あらゆる學問の基礎として、大きく役立つてゐると言へます。 自然科學のやうな物質や客觀世界を對象とする學問だけではなく、美學や人間道徳、倫理学、歴史學などの基礎も哲學に拠るところが大きいと言へます。例へば、人の世には善人も悪人もゐるのは事實ですが、自分が損得を抜きに善行をする場合、それが自分のどのやうな理屈付けで自分を動かすのかといふことは、倫理学や社會學の事柄といふよりも、哲學の分野の作業と言へるかも知れません。人の善行は宗教的な心の働きでも推し進められますが、「宗教は論理の展開による理由付けを必要としない」のに對して、「哲學はあくまでも人の理性的な心の働き」であることに特徴があるといへます。 哲學はあらゆる分野で人々、とりわけ理性的な行動をとる人々の行動、思考、判斷を支へ、あらゆる學問の基礎として人々の生活に役立つてゐます。
お礼
回答ありがとうございました。 >哲學はあらゆる學問について、それを行ふ人々の論理の基礎、心の基礎を支へてゐる とのことですが、何を根拠にさう断言できるのでしやうか? 演繹は合理的な思考法なので、それによつて学問が発展するのは必然のやうに思われるのですが。
哲学は逆説が多いです。 疑ってかかるのが哲学の本業です? ドラマや芸術を観賞するように 喜びをより深く表現するために 深い悲しみや儚さを背景に置くような手法も。 明るい陽射しを浴びて進む人には必要を感じなく 暗闇を歩くとき、 眠っている時(価値観を変える準備する時) には星の光になって 感謝したり、感動へ導いてくれるもの。
お礼
回答ありがとうございました。 哲学とは、つくづく趣味的な要素が多い(実学的でもなく)と思います。はっきり言って、役に立たない。
- qaz_qwerty_me
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学問の基礎と思っています。 ちょっと話は横道にずれますが・・・物理学に宇宙論という学問があります。 もう随分前から『宇宙はビックバンから始まった』と言われています。 すると単純な話、その前は? と質問したくなりますが、それには答えがないので『神が創った?』 という変な話になっています。 現代科学の最先端?と思うわれ、巨額の費用と知識を集積して追求している宇宙論も、最後は『宇宙は神が創った?』という神学?哲学? とかいう原点に戻ってしまっています。 また、ホーキング博士の人間原理は宇宙論というより哲学のように思えます。 『私たちが目にする世界がこのような形をとっているのは、私たちがここにいるからだ』
お礼
回答ありがとうございます。 回答者様の意見だと、哲学は、何にも役に立っていないという風に解釈してよろしいのでしょうか?誰が哲学で助かっているのかな?と思いました。大学の哲学科の教授?
- matui2000
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自分が思うに哲学は最初全ての学問の起源だと思います。人はなぜ知識的欲求を持つのか?なぜ生まれるのか?これはいろんな分野に具体的に役立つ事への始まりだと思います。 人間生まれてきたら考えてしまう。つまり哲学は人間の持つ本質的な欲求を満たしてくれる学問なのではないでしょうか?
お礼
回答ありがとうございました。 本質的な欲求とは具体的には何でしょうか?知識欲は哲学でなくとも満たせると思うので・・・
お礼
回答ありがとうございました。 そうですよね、哲学が役に立つ筈がありませんよね。もっと大切なことは沢山あります。