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must とmayの違いがわかりません。
you must do this. you may do this. mustを使ったほうが丁寧に感じるのはなぜでしょうか。 丁寧だと感じられる要素は入っているのでしょうか? 困ってます。お願いします.
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- ryu_chan
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自分が持っているニュアンスですが(ネイティブがどう思っているかは知らんけど。^^;)、mayって聞くと上下関係が想起されます。上から見下ろして、「~を許可してあげよう」みたいな。それに対してmustは、単純に強制している感じ。時には親切心というか、「絶対そうした方がいいから、しなさい」みたいニュアンスがあったり。 ただ、シチュエーションによるんじゃないかなとは思いますが。
- taked4700
- ベストアンサー率37% (777/2050)
msutの丁寧さについては、例えば、日米のポライトネス・ストラテジー などで、比較的よく話題になることなのですが。 http://www.surugadai.ac.jp/seminar/sanosemi/2002/zemi/sugiura.html より引用、 例3 相手にすすめる 夕食に招待した客に、ホステス役の主婦が食卓に並べた豪華な手料理をすすめる。 日本では、「何もありませんが、どうぞ」、「お口に合わないかもしれませんが、どうぞ」など、謙遜の気持ちを込めた控え目な表現がよく使われる。 これらの表現は、「悲観的な気持ちを表明する」消極的配慮のストラテジーを表現したものである。つまり、ホステス役の主婦は、味に自信がある手料理でも、相手の好みに合わないかもしれないと考えて、控え目な表現を用いる。人にお茶・お菓子・贈り物を差し出すときによく使われる、粗茶・粗菓・粗品などの日本語の謙称も、その例である。 これとは対照的に、英語では、“You must try this!”のように、強制力の強い助動詞mustを使って、ぜひ食べるようにすすめる。日本語の感覚からいうと、mustは強制力が強すぎて、失礼に感じられるかもしれない。しかし、この表現は、自分がおいしいと思う手料理ならば、当然相手もそう思ってくれるはずという、「楽観的な気持ちを表明する」積極的配慮のストラテジーを表現している。 英語では、相手に好ましいと思うことは、Noという選択の余地を与えない強制力の強い表現を使って極力すすめることが、ポライトネスを表現していることになる。したがって、ホステス役の主婦ではなくて、その料理について味も何も分からない使用人が、同じ表現を使って客にすすめたら、この表現は失礼なものになる。 例を見てみると、日本人は謙遜をとても大事にしている。昔から謙遜は美しいと考えているのではないかと思う。したがって、日本人のストラテジーは消極的配慮のストラテジーなのではないだろうか。一方、アメリカは自由と平等を求めて独立した国なので、相手との会話でも平等を重視し、相手との距離を縮める積極的配慮のストラテジーを使うのではないだろうか。
- ohboy729
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こんばんは。ohboy729と申します。自由な意見として出します。 相手が権威のある人でその人が You must do it. と言うならば「君、そうしたまえ。そうしなさい。」 という感じになるでしょう。 代わりに相手が可愛いガールフレンドでその人が You must do it. と言うならば「お願い、必ずそうしてね。」 という意味にもなるでしょう。 同様にYou may do it.も「したけりゃそうしてもいいよ。」という意味から「そうしてもいいよ」「そうした方がいいよ。」という幅があると思います。この差を決めるのは表面上の言葉の種類ではなく使う人の気持ちだと思います。同じ言葉でもどういう人がどういう状況でどのような口調で言うかによって意味は変わってくると思いますので一義的にどちらがより丁寧であるとかフランクだとかは状況によって言いにくいのではないでしょうか。 日本語でも慇懃無礼ということもありますから丁寧表現を使ったからと言って本当に丁寧に言ったことにはならないこともありますね。 Thanks a lot. だって心を込めて言えば「本当に有り難う。」だし、ぶっきらぼうに言えば「よけいなお世話だ。」という意味にもなりかねないですから言い方次第だと思いますが。 You must do this.が You may do this.より丁寧という感じは受けませんが相手のことを親身に考えている気持ちは感じます。
- taked4700
- ベストアンサー率37% (777/2050)
なにか、質問者の方自身が、揺れているようなので、もう少し書きます。 mustと言う意味が、日本語でも同様に丁寧さを出す場合があります。 それは、「謝らなければなりません。」とか「感謝しなくてはいけませんね。」のような言い方です。つまり、気持ちの問題、ただの主観ではなく、ちゃんとした理由のある、必要性があることなのだ、と表現するわけです。 英語でもほぼ同じで、I must say,"Thank you" などは、ただ、Thank you. とだけ言うより丁寧だとされます。 ただ、英語では、ある一定限度内で親しさを表すことが丁寧さの表現だと考えられている面があるのです。ですから、You must come see me. のような表現が、命令と言うよりは丁寧さの表現としてとらえられる場合が良くあるのです。日本語では、「私に会いに来なくてはいけません。」というと、何か命令口調で、目上の人が目下の人に使う表現ととられてしまいます。
- 1994bo1
- ベストアンサー率26% (52/194)
mayは訳が全く異なります。 have toとmustの違いなら分かりますが。
- taked4700
- ベストアンサー率37% (777/2050)
これは、日本語と英語の社会背景の差です。 英語は、基本的に各個人が違うものだと言う意識があるため、意識的に親しげな表現、例えばファーストネームで呼び合うなどがある種の丁寧さを表すことになります。これが、mustが丁寧表現とされる理由です。 それに対し、日本社会は、同質さを前提としていますから、丁寧さは、同質でない、つまり、自分との距離をとると言うことが丁寧さの表現と考えられてしまうので、様とかをつけることが丁寧なのだと考えられてしまうわけです。
- linus1974
- ベストアンサー率19% (71/370)
丁寧である、ないの問題ではありません。 mustとmayは根本的に意味が違います。 辞書を引いてみましょう!
補足
訳の違いというか、相手が感じる印象に違いはあるか、と疑問に思いました。mayとmustを比べるのはナンセンスですかね...? すみません。