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楽しく暮らす

哲学カテが適当かどうかわかりませんが なぜ人間はただ楽しく暮らせないのでしょう。 ただ平和に暮らすだけでは、駄目なんでしょうか。 悩んだり、苦しんだり、傷ついたり、傷付けたり、なんの意味があるんでしょうか?

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回答No.10

すばらしい風景に出会ったとき、その隣に友達が居るとき、 凄惨な目に合うとき、徳が試されるとき、 泣きたいとき、どうしようもない時、青空の下で戦争のあるとき、 私はどうしたらいい? 現実というありがたさに、生きていくのでしょう。

hosiboshi
質問者

お礼

なんとなく気持ちが通じて汲み取っていただけた気がします。 ありがとうございます。

その他の回答 (9)

noname#24544
noname#24544
回答No.9

ただ楽しく平和に暮らしたいのは、誰もが思っていることですね。 ただ人間、それぞれが何をもって楽しいと思うか違いますから。 私の楽しさは、誰かの不幸や忍耐の上に成り立っているかもしれません。 当然、不愉快なことを一方的に押し付けらた側は反発します。 そうするとそこに利害関係や軋轢が生まれるのではないでしょうか? 愛煙家と嫌煙家などを例に考えれば判りやすいと思います。 地球上の全ての人間の価値観が(まるでロボットのように)統一されれば 世界は平和になるでしょうが、そんなことはありえないと思います。 「悩んだり、苦しんだり、傷ついたり、傷付けたり…」しながら、 永遠に相互理解の努力をする必要があるのだと私は思います。 悩みや苦しみは、自分を切磋琢磨する道具。 次に同じ状況になったら正しい選択をするために、 同じ環境になっても、今度は笑顔でやすやすと乗り越え、 生きていけるようになるために必要なものだと思って 「お互いに」がんばりましょう! 逃げれば手を変え、品を変え、人を変えて、 その問題に正しい解答が出せるまで、同じ悩みが追ってきます…。

  • aimaimi
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回答No.8

>なぜ人間はただ楽しく暮らせないのでしょう。 人の不完全さが無くならない為です。 >ただ平和に暮らすだけでは、駄目なんでしょうか。 現代は対処しにくい危機の時代だと言われています。 ですが、その様な中にあっても心に平和を持つ事は可能です。 その鍵は希望です。 >悩んだり、苦しんだり、傷ついたり、傷付けたり、なんの意味があるんでしょうか? 苦しい状況の中から教訓を得る事ができます。 一切の事において、あらゆる境遇の元で耐え忍ぶにも、 秘訣を学び取る事が出来ます。 そして、その様な経験を通して得た知識を 他の人の為に役立てる事も出来るのです。

noname#117439
noname#117439
回答No.7

人の行いには、どのような悪人にも良心に基づいた心の動きとの葛藤があり、この良心にだけ共感できればこの世の森羅万象全てと人の行いを肯定することが出来ます。 これを真実の知性といいます。 それがなかなか出来ないのは、煩悩ゆえですが、どのような悪人または凡人にも心の奥底にはそのような天使のような心がけの良心が息づいており、人は生まれながらにして仏となり救われるべき定めを持っています。 心の苦しみは全て幻です。

  • kobarero
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回答No.6

>なぜ人間はただ楽しく暮らせないのでしょう。 ただ、楽しく暮らしていると、初めのうちは良いけど、だんだん飽きて、そのうちイライラが昂じて、何かを破壊したくなるからではないでしょうか? それは、人間だけが、他の動物と違って「創造力」をもっているためではないかと思います。「創造力」がなければ、現状に甘んじて、犬や猫(例が悪ければ、パンダや「なまけもの」)のように平和で楽しく暮らせると思うのですが、人間は何故か、天から「創造力」を授かってしまったので、常に現状に不満を感じ、現状をぶっこわし、自民党もぶっこわし、新しいものを創り出すように運命付けられているのではないかと思います。 >悩んだり、苦しんだり、傷ついたり、傷付けたり、なんの意味があるんでしょうか? 「創造」という観点から考えると、「悩んだり、苦しんだり、傷ついたり、傷付けたり」することは、決して悪いことではないと思います。むしろ、「創造力」を掻き立てる要因になると言えます。パンダは「悩んだり、苦しんだり、傷ついたり、傷付けたり」しないから、何も新しいものを生み出すこともありません。 「創造」することに価値を見出せなければ、今度生まれてくるときは、「パンダ」として生まれるように、神様に頼んでみるのも一案かと思います。

noname#31063
noname#31063
回答No.5

原始時代であれば人は皆それで良かったのですが、 次第に権利、義務、保証や 所有という価値観が生まれました。 貨幣や時計というものまで発明しましたが 神様はそんなことまで計算に入れてなくて 人間が勝手に生んどいて 自分たちで文句ばかり言うからです。 価値観が細分化した結果です。 それらを放棄するなら ただ楽しく暮らしていけるのですけど。

noname#80187
noname#80187
回答No.4

何の意味があるかは解りません。 ただ、言えることは、傷つけるのは、怒り、憎しみ、支配することによる快楽、醜さや愚かさをおもしがる気持ちが心のなかで終わらず、行動して出てしまうからです。 苦しむ傷つくのは、自分が拒絶するものを持ち、それを拒絶できない自分の無力さがあり、それを拒絶することができない環境にあるからです。また、自分が誇りと思うこと、自分が愚かさと思うことが有り、それ自体が、偏見や誤りであるが、それを誤りと気付けず、また、変えることもできない故にそれの思いに苦しめられます。 そして、有限であるこの世は、手に入れたいものがある時、力を行使して得なければいけないとき、力を行使して得る方法が選択としてあり、それを選ぶ時、傷付き合うことが起こります。 >なぜ人間はただ楽しく暮らせないのでしょう。 人(感情)とこの世界(有限)において、破滅に繋がることがあるからだと思います。 >平和に暮らすだけでは、駄目なんでしょうか。 そういう環境にあらず、自分や周りの人が平和では物足りない、平和より己の欲と懐を肥やすのに重点をおくからです。そして、何かの失敗が他の人へ影響を与えるからです。 以上、回答ではないですが、参考になれば幸いです。

  • IXTYS
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回答No.3

> なぜ人間は楽しく暮らせないのでしょう? 最も基本的な質問です。 その答は実はとても身近なところにあるのです。  あるところに二つの国があった。 彼らは長ーいスプーンを持っている。 始めに訪れた国では、人々が先を争って長いスプーンの食べ物を口にいれようと、頑張っている。 良く見ると、スプーンを使って互いに傷つけ合っている一団もいる。 人々は一様に憔悴し切っている。 食べ物は豊富にあるのに、辺りに散らかっているだけだ。 次に訪れた国はちょっと違っていた。 長いスプーンに乗せた食べ物を、少し離れた人のところへ差し出している。 みんな同じように、目の前にいる人の元へスプーンを差し出している。 誰一人として自分のスプーンで食べようとはしない。 この国の人達は、みんなニコニコしている。 この国には床に散らかった食べ物などない。

  • popesyu
  • ベストアンサー率36% (1782/4883)
回答No.2

悩みや苦しみという価値観のない世界には喜びも快楽もありませんよ。平和という概念は戦争というものが存在するからこと初めて理解することが出来るのです。 楽しく暮らすというその漠然としたイメージをもう少し具体的に思い浮かべてみてください。きっと○○が無いとか、●●がたくさんあるとか、何かと比較した上で判断しているはずです。その比較対照がまるで無い場合、どんな具体的なイメージを思い浮かべることができますでしょうか。 何も努力や悩みも無しに手に入るものなんて何もありがたみがないでしょ? 普通の人は空気とか水とか、一々有りがたいと思いながら扱ってはいないですよね。ところが世界には蛇口をひねったら無尽蔵に水が出るというただそれだけのことが奇跡のように思う人もいるわけです。 悩んだり苦しんだり傷ついたりといった経験があってからこそ理解できることというのがたくさんあるわけです。そういった理解を一切したくないというのならそれは止めはしませんが。

回答No.1

人は欲があるから苦しむって上祐さんがTVで言っててなるほどな~と思いました。私も某有名霊能者に生きてるのがめんどくさいと相談したら、自分の事ばかり考えてるからつらいんだ!ひとのために生きなさい。なんて怒られました。      傷ついたり、傷つけられたりは優しさを身に付けるために必要。だって、つらさを知らずに人の気持ちなどわかろうにもワカルはずないし。でもさ~できれば傷つかずにいきたいよね~^^。

hosiboshi
質問者

お礼

人間味あるご回答をありがとうございました。 傷付けずに、傷付けられずに、優しさを持ち合わせていれば、もっと単純にしあわせだったのかもしれませんね。 でも、それも考えると少し寂しい気がしました。

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