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~The Way of World Peace~ 世界を平和にするためには・・・
この哲学のカテの書き込みはよくチェックさせてもらっています。 思想的にすばらしい人がたくさんおり、また感銘を受ける書き込みも多数あり、ここにいる人は人間的にすばらしい人ばかりだなといつも見ていました。 そこで、そんな人たちに質問というか一種のディスカッション的なことでお互いの意見を交換してみたい。ということでトピを建ててみました。 前置きはこのくらいにして本題に入ります。 主題は ~The Way of World Peace~ 世界を平和にするためには・・・ でお願いします。 哲学カテにいるたくさんの知識人の方、いろいろなご意見待っています。
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- tyr134
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世界平和の為には、人間の理性に頼りすぎないことだと私は思います。 単純な「話し合い」が有効なのは、お互いが妥協できると確信出来たときだけです。 それ以外は、やはり「パワーバランス」がモノを言うのでしょうね。 マキャヴェッリズムというと、「目的のためには手段を選ばない、目的は手段を正当化するといった権謀術数」という印象がありますが、実際のマキャヴェッリは人間というものを冷徹に見通した上でそれぞれの著作を書いてます。 以下、その中から幾つか紹介を。 ※以下は、『マキャヴェッリ語録』塩野七生・著 新潮文庫より 1)個人の間では、法律や契約書や協定が、信義を守るのに役に立つ。 しかし、権力者の間で信義が守られるのは、力によってのみである。 ―『若干の序論と考慮すべき事情をのべながらの、資金援助についての提言』 2)君主にとって、術策など弄せず公明正大に生きることがどれほど賞賛に値いするかは、だれでも分かっていることである。 しかし、われわれの経験は、信義を守ることを気にしなかった君主のほうが、偉大な事業を成し遂げていることを教えてくれる。 ―『君主論』 3)(国家が)戦いに訴えねばならない場合に、自国民からなる軍隊を持っていない国家や指導者は恥じてしかるべきである。 なぜなら、そのような軍隊を持っていないということは、自国内に兵士に使える人間がいないからではなく、自国民に、自衛の為に立ち上がるという気持ちを起こさせることが出来なかったということを示すこと以外のなにものでもないからである。 ―『政略論』 4)人は、心中に巣くう嫉妬心によって、賞めるよりもけなす方を好むモノである ―『政略論』 5)これまでの歴史を見てきても、その中で細心の注意をはらって共和制を築き上げきた人々はとくに、(中略)、自由を守るための制度を整えるのが、最も重要だと考えてきた。 ―『政略論』 6)国家が秩序を保ち、国民一人一人が自由を享受するには、清貧が最も有効だ。(中略)。清貧を尊ぶ気風が、国家や都市やすべての人間共同体に栄誉を与えたのに対して、富追求の暴走は、それらの衰退に役立つだけなのであった。 ―『政略論』 7)為政者であろうと指導者と呼ばれようと、支配者の存在しない社会は、あったためしがないのである。だから、それをする人を選ぶときは必ず、その人々が権力を濫用しようにもできないような、制度を整えておくことが必要だ。 ―『政略論』 8)国家はすべて、いかなる時代であってもいかなる政体を選択しようとも関係なく、自らを守るためには、力と思慮の双方ともを必要としてきたのであった。 ―『若干の序論と考慮すべき事情をのべながらの、資金援助についての提言』 9)私はあらためて繰り返す。国家は軍事力無しには存続不可能であると。(中略)。なぜならすべての国家にとっては、領国が侵略できると思うモノが敵であると同時に、それを防衛できないと思うモノも同時に敵なのである。 ―『若干の序論と考慮すべき事情をのべながらの、資金援助についての提言』 10)戦争をするしか能のない者たちを常に抱えておくことほど、為政者にとって危険なことはない。 理想的な軍備とは、戦いの必要のないときには家に戻り、喜んでそれぞれの職務に励む兵士から成り立った軍備を言う ―『戦略論』 11)真の防衛力とは、ハードな面での軍事力だけではない。軍の評判というのも、軍事力に数えられるべきである ―『戦略論』 世界平和は、国家と国家の関係の上に成り立つモノですよね。 国民一人一人が、国家というモノを意識して、国家の平和の為には何が出来るかを考える。 一つのユートピアではありますが、世界中の国全てが平和であれば、結果として世界平和が達成できるでしょうね。 もちろん、そのためには人間というものを理解する必要があるでしょう。 良い面だけでなく、悪い面も、、、。 マキャヴェッリの「軍備」についての考え方で、間違ってはならないのは、あくまでも「国家防衛の為の軍備」であることです。 他国に攻め込まれない限り、その国は戦争をしないで済むわけですから。 そして、「力と思慮の双方ともを必要」と言っているように短絡的な力による抑止では無いと言うことです。 「抑止」を超えた「軍備」は、さらなる「軍備」を呼び込むと思います。 正に、「核開発競争」が示してきたように。 ※たま~に、冷徹を冷酷と勘違いされてる方もおられるので追記でエキサイト辞書より 『冷徹』 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E5%86%B7%E5%BE%B9&match=beginswith&itemid=21521700 『冷酷』 http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E5%86%B7%E9%85%B7&match=beginswith&itemid=21505300
- magga
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自分が立派な人格者になるしかないと思います。 自分さえ律せ無い人が他人を律するなんて傲慢でしょうしね。 人格向上の道を歩んでいけば周りにも伝播するでしょう 自他自利を実践し、怒ってる人に怒り返したり、怒らせたりすることもなくなっていけば結構な範囲で善い影響がでていく。反発もなにも生まれないんですからいい事尽くめ。 圧には圧が世の常、調和にて圧を打ち消すのが智慧だと思います。 内面を変えれば世界は変わる。世界は一つ。 ~生きとし生けるものが幸せでありますように~
- bababa8
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詳細は置いといて(ってダメなんですが)私もNo3さんの意見に賛同します。 「話せば分かる」ならば、犬養毅は殺されずに済んだでしょうし、ネビル・チェンバレンはドイツに宣戦布告することは無かったでしょう。 結局は「自分以外は敵」という感覚が現実ではないでしょうか?真の信頼関係なぞ私から見れば<画餅>に過ぎません。 >懐疑的に捉えた理由 非現実的だと思うからです。私も(繰り返しになりますが)理想的だと思いますが、余りにも<眩し過ぎ>ます。 >永遠の平和 それは人間が存在する以上有り得ないと思います。「凪」が何時まで続くかということでしょうね。平和は<ある種の幸運>だと私は思いますがね。
- spitzer3
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>>No3 >今の年金制度、国債学を見れば、危険性は分かると思います。 国債額でした。すみません。
- spitzer3
- ベストアンサー率9% (3/32)
>>No2.お礼 >「力に物を言わせる」時代を終わらせないとまた悲惨な歴史を繰り返してしまうのではないのでしょうか。私は「対話」しかないなと思っています。 でも、時々いるんですよ、話しても分からず、私利私欲のために他国を攻撃するやつがね。 たとえば、第二次世界大戦時、イギリス、フランスなどは、ドイツに対して侵略を止めるように、一生懸命話し合いを持ちました。しかし、ドイツの国内はスーパーインフレなどにより経済はずたずた状態であり、戦争をしかけて、領土をぶんどった方がましとも思える状態だったのです。話し合いをしても、もうどうにもならない状態で、戦争を踏みとめようする国民の気持ちも薄れていたと思います。 今もし、アメリカが核兵器、最新鋭兵器を持っていなく、韓国がアメリカともどの国とも安全保障条約を結んでいなかったら、北朝鮮の兵士は、食料を求めて、韓国を攻めた方がいいという考えの方向にいくかもしれません。 基本的に自分自身としては、戦争というのは食料の問題だと思います。というのは、食料が、自分の土地になかったら他の土地を攻めて、その土地の食料をぶんどろうとしてしまうんだと思います。今は食料支援ができるから、こういうことは起こらないかもしれませんが、世界中で食料が不足し、食料支援ができなくなったら、戦争ですよ。この場合、食料がないのに敵は許してくれるはずもありません。 そして、今まさに地球温暖化によって水不足などが起こり、食料難がが起きる可能性があります。それゆえにある程度の防衛するための兵器が必要なんですよ。 また、カニバリズム、人肉食のページを見れば、どうしてもしょうがないという緊迫した世界観が得られるのではないかと思います。この日本でもつい最近あったそうです。そのぐらい、今の日本ではまぐれに近いほど、いい状態と言えるのでしょうね。しかし、まぐれだから、長続きするかどうかは分かりません。今の年金制度、国債学を見れば、危険性は分かると思います。
- bababa8
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こんにちは。政治思想史を勉強している者として発言させて頂きます。 カントの永久平和論(『永遠平和のために』)からの引用です。(間違っているかもしれませんが) 「世界市民」理念と有るべき国家関係の呈示 戦争の権利の明確な否定と、超国家的な連邦制の提唱 ー国際平和の為の予備条項 1)将来、戦争の原因となりうる様な要素を残して結ばれた平和条項は無効である 2)独立国家は如何なる手段によっても他国には取得され得ない 3)常備軍は時と共に全廃さるべきこと 4)如何なる国債も国家の対外紛争に関して発行されてはならない 5)如何なる国家も他国に力を用いて干渉してはならない 6)如何なる国家も戦争中に相互信頼の修復を不可能にする様な敵対行為を行ってはならない ブッシュ・アメリカには耳が痛いでしょうね!? ー平和の確認条項 1)各国の社会体制は「共和制」であるべき 2)国際法は自由な諸国家の連邦制に基礎を置くべき 3)世界市民法は恒常的な「友好」によって定められるべき カントは、どの様な利己的民族であっても「戦争の痛手」に懲りて、自ずと国家連邦へ進むようになると希望的見通しを示しましたが・・・歴史は残酷ですね。 各国が有する軍事力を国連に収斂させることが一番理想的だと思います。 田中浩氏の言葉を借りれば「ホッブズの平和思想を現代の国際社会に適用すれば、<全世界の国々が速やかに軍備を撤廃して、真の意味での国際平和組織を確立し、そこで定められた法やルールに従って国際的な法の支配に従って行動せよ>ということになろう。」(『ホッブズ研究序説』より)ということです。しかし、私は氏の意見に懐疑的ですが。 「恐怖による均衡」が一番現実的ではないでしょうか?となると終わりなき軍拡競争を招来してしまう訳で・・・う~ん難しい!? 答えにならず申し訳ない・・・。
自分は知識人ではないのですが、素人の意見として発言させてもらいたいと思います。 自分の考えでは、実際に起こっている内容を理解することが大切だと思います。 例えば、僕自身はただ普通に恋愛して普通に結婚したいだけだと思っていたとしても、 その普通の生活水準を支えているのが各国の資源などで、 しかもそれが安く手に入っているということはどういうことなのか? 自分が得をしている分、損をしている人がたくさんいるのではないのか? 日本では、戦争の心配はさほど感じられないが、 日本だけが平和を達成したというわけでもなさそうだ。 日本の生活水準は、実際には依存して成り立っているような気がします。 自分が今まで当然のように享受してきたことも、相手にとっては努力のいることだったかもしれない。 僕一人の日常生活についても、周りの人に気に掛けてもらってはじめて成立しているような気がします。 仮に周りの人が自分に対して何もしてくれなくなったらと考えたら、 生きていくこともできないと思います。 僕自身は、こうした所から建設的に組み立てていきたいと考えていますが、 正直あまり知識は持っていないので、これくらいのことしか書けません。
お礼
すごく共感することができます。 自分たちの服をを見れば、made in chinaなどいろいろな国から輸入しています。もしかしたら今着ている服だって子供たちが汗水垂らして働いて作ったものかもしれません。 色々な人々が相互に関係しあってこの世界は成り立っていると思います。貴重な意見ありがとうございました。
お礼
貴重なご意見ありがとうございます。 <全世界の国々が速やかに軍備を撤廃して、真の意味での国際平和組織を確立し、そこで定められた法やルールに従って国際的な法の支配に従って行動せよ> この言葉は初めて聞いたのですが、懐疑的にとれられた理由を聞きたいのですが。 私は1人の仏教徒また創価学会員としてこの意見には賛成です。事実過去にアショカ王の国家がありました。アショーカ王はインドで最初の統一王朝となったマウリヤ朝最盛期の王です。アショーカ王は「残忍アショーカ」と呼ばれた外道な前半生と、仏教に帰依した後の「法のアショーカ」と呼ばれる聖者としての後半生を送りました。 「武力による支配ではなく、法(ダルマ)による支配」と訴え実現させた人物です。あくまでも私個人の意見は賛成です。 ここからは私の見解を述べさせていただきたいと思います。 まず平和を脅かすものは「テロ」や「侵略」「戦争」などの暴力行為です。しかし一概に「暴力行為」といってもその根底には「貧困」「不十分は教育」など様々な問題が複雑に絡み合ってるようにおもいます。(このようなことはあとで議論したいと思うので置いといて・・・暴力行為を中心に捉え書きたいとおもいます。) 互いに相手を力で屈服させようとして「目には目を」「歯に歯を」「死には死を」と報復合戦をしていれば永遠に平和はこないように思います。「非暴力への道」を本気で模索していかなければならないと思います。具体的な対策としては侵略者やテロに対する、公正な国際的裁判のシステムなどはどうでしょうか。また不信感を信頼に変える努力が必要ではないでしょうか。これらこそが「テロ」という「暴力の崇拝」への根本的な治療策のように思います。 1番重要になってくるには「対話」です。何があろうと「対話」が1番大切です。「力に物を言わせる」時代を終わらせないとまた悲惨な歴史を繰り返してしまうのではないのでしょうか。私は「対話」しかないなと思っています。まだまだ若輩者の一人の高校生の意見ですが、コメント返していただけたらうれしいです。