冒頭の歌は、大切な人を失って悲しみの底にいる状況を歌った歌
ですよね。つまり、「なんでもない事」が大切なのだと認識するた
めには、それを失う体験をする必要があるのです。
「心がけ」といった生やさしいものでは、それは見えてきません。
なぜならば、あまりに当たり前だと思っていて、自分の視界から
消えているもの(本当は見えているが見えていないもの)こそが、
「なんでもないような事」だからです。
では、どうすればその存在と重要性に気づくことができるのでしょ
うか。
先述した通り、「それを失う体験をすること」に尽きるのですが、
だからと言って身近な人を失う体験をあえてしろ、と言っている
わけではありません。
具体的な方法として、「外国にたまに行く」ことをお薦めします。
外国、それも、できれば先進国ではない国、ですね。
水道水は飲めない、ホテルに行っても快適に眠れるベッドではな
い、トイレは壊れる、トイレがなかなか見つからない、言葉は通
じない、注意をしていないとバッグは盗られる・・・などといっ
た環境。しかし、そうした中でも、工夫をしていければ、それな
りに暮らせます。そして、日本がいかに便利な国か、ということ
を認識させてくれます。
外国であれば、先進国でも構わないでしょう。全く違う風習や慣
習、人々、考え方に触れることは、普段、日常に当たり前に思っ
ていることを、「 」に入れて考え直すことを可能とするからです。
外国が難しければ、身近な施設でボランティアを経験してみる、
ということも良いかもしれません。例えば、養護学校に行くと、
様々な子供がいるのですが、例えば、「単に歩くことが簡単に
できない」というような子供がいたりします。そして、その子
供を世話していると、いかに「歩くこと」が難しいことなのか、
いかに我々がそれを「当たり前のこと」として見過ごしている
のかを、理解させてくれるのですね。
こうした体験は貴重です。
いずれにしろ、「なんでもない事」は、自分が見ようとしても
どうしても見えなくなっている事です。私も、時にそうした事
を再認識するために、何かしなければいけないな・・と、この
文章を書きながら思いました。
お礼
どうもありがとうございました。