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なんでもないような事が~♪幸せだったと思う~♪ と歌ってる曲がありますが、「なんでもないような事を幸せに思える」ようになるにはどういった心がけが必要だと思われますか? アンケート的な質問ですが、あえて哲学のカテに質問してみました。私は哲学者でもなんでもないです。ただの一般人です。 いろいろな考えがあると思いますが、よろしくお願いします。
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冒頭の歌は、大切な人を失って悲しみの底にいる状況を歌った歌 ですよね。つまり、「なんでもない事」が大切なのだと認識するた めには、それを失う体験をする必要があるのです。 「心がけ」といった生やさしいものでは、それは見えてきません。 なぜならば、あまりに当たり前だと思っていて、自分の視界から 消えているもの(本当は見えているが見えていないもの)こそが、 「なんでもないような事」だからです。 では、どうすればその存在と重要性に気づくことができるのでしょ うか。 先述した通り、「それを失う体験をすること」に尽きるのですが、 だからと言って身近な人を失う体験をあえてしろ、と言っている わけではありません。 具体的な方法として、「外国にたまに行く」ことをお薦めします。 外国、それも、できれば先進国ではない国、ですね。 水道水は飲めない、ホテルに行っても快適に眠れるベッドではな い、トイレは壊れる、トイレがなかなか見つからない、言葉は通 じない、注意をしていないとバッグは盗られる・・・などといっ た環境。しかし、そうした中でも、工夫をしていければ、それな りに暮らせます。そして、日本がいかに便利な国か、ということ を認識させてくれます。 外国であれば、先進国でも構わないでしょう。全く違う風習や慣 習、人々、考え方に触れることは、普段、日常に当たり前に思っ ていることを、「 」に入れて考え直すことを可能とするからです。 外国が難しければ、身近な施設でボランティアを経験してみる、 ということも良いかもしれません。例えば、養護学校に行くと、 様々な子供がいるのですが、例えば、「単に歩くことが簡単に できない」というような子供がいたりします。そして、その子 供を世話していると、いかに「歩くこと」が難しいことなのか、 いかに我々がそれを「当たり前のこと」として見過ごしている のかを、理解させてくれるのですね。 こうした体験は貴重です。 いずれにしろ、「なんでもない事」は、自分が見ようとしても どうしても見えなくなっている事です。私も、時にそうした事 を再認識するために、何かしなければいけないな・・と、この 文章を書きながら思いました。
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- milk111
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あたりまえの事をあたりまえと考えない。っていうのが一番大事なんじゃないでしょうか? 自分の周りにいる大事な人たちが元気でいる、自分が元気で健康でいる…平凡な一日を終えることが出来た… 当たり前の生活の一部が欠けたとき、その欠けたものの大きさを知るというのは良くあることだと思います…そういう事にならないように、常日頃から、平凡な一日を終えられてよかった…幸せだ…って感じられるようにするのが大事なんじゃないかな?と思います… 無いものねだりをし続けたり、不幸のねたを探しがちだけど、今ある幸せをぞんざいに扱っちゃ駄目なんだろうな~って思います…なかなか難しいと思いますが…
お礼
どうもありがとうございました。
- satiro
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『なんでもないような事』は普通の事。 実践的行動としては、時間で区切って極端な逸脱を行ってみるしかないと思います。 この時間で区切って という部分が大事で、 ”普通”とは移ろいやすいもの。 ”極端な逸脱”の方が”普通”に切り替わってしまっては「なんでもないような事を幸せに思える」状態はすぐに消えてしまうでしょう。 これは、人恋しさを味わう為に、砂漠で一人何日か過ごすような事です。 しかし、この実践行為で”普通”に戻ってこられないような精神的変調をこうむる場合もあるでしょう。 ですから、 『時間で区切って極端な逸脱』もイメージトレーニングの範囲で行うのがよいのです。 殺人事件が報じられたら、 時には犯人のイメージ 被害者のイメージ 被害者の家族のイメージ を持ってみる。 誰かにいなくなって欲しいという感情を持った経験があれば、そこから逸脱すれば、自分の顔写真が新聞にのり、なにもかも失うという事までイメージしてみる。 そして、あの感情(誰かにいなくなって欲しいという感情を持った経験)を育てなくてよかったという現在の自分に戻ってみる。 この逸脱者イメージトレーニングを行い、日々『普通』とは何かを確認していく事、これが答えだと思います。
お礼
どうもありがとうございました。
お礼
どうもありがとうございました。