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仏教と肉の関係
よろしくお願いします。 仏教徒はもともとは三種の浄肉といって、殺される現場を見ていない肉などなら食べてもよかったそうですね。それがいつの間にか戒律で全く禁止ということになったということですが、一体その変化にはどういうわけがあったのでしょうか(・_・?) 歴史的な要因を知りたいと思いまして質問させて頂きます。 ※日本のお坊さん方はあまり戒律を重視しないようですし、ゴリゴリの硬いお坊さんよりも破戒僧のほうが人気があったりしますが、そういう日本の事情はとりあえず一旦おいておいて、質問のポイントを、もともとある範囲でなら食べてよかったものが原則的にダメになった、その変化の部分に絞りたいと思っていますのでよろしくお願いします。
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- les-min
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#1です。 お礼とコメント有り難うございました。 自分も、詳しくはないので・・・(自分もお聞きしたいぐらいだ。) 一応、拙い知識ではありますが・・・ インドにおける大乗仏教教団の有り様というのが、どういうものであったのか、詳細はまだまだわからないことが多いのではないかと思います。 ものすごく端折って言うと、上座部系の教団が出家主義のアウトサイダー的な超俗集団という感じであったのに対して、大乗仏教は在家での仏道修行に寛容であったことなど、性質がかなり異なっています。 上座部系では、仏・法・僧の「僧」は僧侶の集まりを指しますが、大乗仏教の場合、僧侶と在家信者の集まりを指すようになっています。 在家信者が大きな役割を果たしたと言われる大乗仏教興隆・伝播に際して、大乗仏教僧侶を支えたのは当然、そういう在家の信者たちだったと考えられます。 もちろん、上座部系教団にも熱心な信者はいたでしょうが、信者はあくまで信者で、布施行が徳を積む以上の意味合いを持たず、僧侶と在家信者との間が厳然と区分されていたわけです。 大乗仏教になると、在家信者は単なる信者ではなく、僧(=僧伽・教団)を構成し、仏道修行(菩薩行)としての布施行を行なう菩薩の一員となります。 僧侶が優位になったというよりも、出家者・在家者が共に教団を構成するようになって、食べ物の内容についても話し合う場ができたことが大きいのではないかなと思っています。 布施の仕方を指導したり広報したりした人もいたのではないかと思いますし、(はっきりとはわかりませんが)王族・貴族からのたくさんの布施を仲介・分配する、事務方や、まかない方のような役割の人もいたのではないかと思います。 想像した部分がかなりあるので、なんともいえないでのですが・・・少なくともインドに関しては、教団のあり方の変化が、何らかの形で影響していると言って良いと思います。 布施の精神、托鉢の精神を守りながら、肉食を避けるということがスムーズにできるようになったということかな、と思います。では。
こちらも 参照されると良いと思います。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1382947
お礼
回答ありがとうございます。 検索したつもりですが見落としていました。涅槃経という経典は日本の歴史史料でもよく聞く名前ですが、肉食を禁じる内容もあったとは知りませんでした。とても参考になりました。
- yuhkoh
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肉食(にくじき)に対する忌避は“もともと内在していた”とみなすことができます。 ご質問にある「三種の浄肉」も、“食べてもよい”というよりも、“(食べないに越したことはないが)食べても罪にはならない”という意味合いです。 小乗諸部においても、先の三種浄肉に“寿命の尽きた動物”・“鳥の食べ残した肉”を加えた「五種浄肉」が決められたり、さらには「象馬竜狗人」または「人竜象馬狗烏鷲猪猿獅子」は食べることを禁じるなど細分化しました。 特に大乗が隆盛すると、修行者自身が慈悲を実践する、菩薩行が重視されました。 それ以前は、円満な慈悲行が行えるのは仏陀のみであり、地上での仏陀は釈尊を最後とする。修行者が到達できるのは阿羅漢(あらかん:他者から供養を受けるにふさわしい人)の地位までである。という考えが主でした。 それに対する批判として、釈尊が他者を利したように、修行者も他者を利する。そしてすべての人が釈尊同様に、仏陀となる可能性を秘めているというのが大乗の精神です。 そのため、慈悲の実践は大乗においての重要徳目であるため、内在していた肉食忌避のより拡大したのでしょう。 『入楞伽経』「遮食肉品第十六」 http://www.cbeta.org/result/normal/T16/0671_008.htm には、 (六道に生ける者は生まれ変わりを繰り返しているから)もしかしたらこの肉は、自分の肉親の生まれ変わりかもしれない。 また肉や※蒜などの臭いは羅刹(血肉を好む荒ぶる神)や悪鬼(人身を乱す死霊:餓鬼)が好むもの。 肉を食べると体調が悪くなり、瞑想の妨げとなるなどを挙げて、例え浄肉であろうとも、大乗の行者は肉を食べるべきではないしています。 ※蒜など…ネギ・ニラ・ニンニク・ラッキョウ・ショウガを五辛。ショウガに変えてアサツキとして五薫も行者が食べることを禁じられる。
お礼
早速ありがとうございました。 確かに大乗仏教の慈悲の精神、というのが公式見解になると思いますが…、もう少し突っ込んでお尋ねしてよろしいでしょうか。 インドの仏教集団は他人のもらい物で生活することを選んだので、本当は食べたくない肉も食べざるを得なかったということだと思います。そうすると、お坊さんの側が「肉を食べない」と宣言できるようになって、一般民衆もそれを認めるようになったということは、大乗仏教になる頃にはお坊さんの側がかなり優位な立場を確立していたということでしょうか。自分たちの食べる分とは別に、托鉢用に肉のないものをわざわざ作ったり、さらにはお説教を聴くうちに民衆の食事も段々肉なしになっていったりしたんでしょうか。ちょっと調べてみると、ご紹介して頂いた経典はインドでできたけれども、大きな影響力を持ったのは中国でだそうですね。こういう経典はどれだけ民衆に影響力があったのでしょうか。インドで大乗仏教が広まらなかったということは肉食の問題とも関係があるのでしょうか。いろいろ書いてすみません。おわかりになる範囲でよろしくお願いします。
- les-min
- ベストアンサー率41% (269/644)
こんばんは。。 仏教辞典やその類の書籍が手近にあるというだけの者なので、あまりアテにならないと思うのですが・・・ 肉食を問題視するようになったのは、大乗仏教が興り、「慈悲」が強調されるようになってからだとされています。 大乗仏教は紀元前後に興隆しはじめ、7世紀ごろから密教的色彩が強くなっていきます。インドでかなりはっきりした形で肉食を禁忌とした経典として『楞迦経』(5世紀ごろの成立)が挙がっているのですが、自分は原典を読んだことないです。すみません。 肉食の禁忌は、インドよりも、むしろ中国において徹底されるようになったようで、肉食と臭気の強い野菜に対する禁忌が設定され、それ以外の食物を摂る「精進(料理)」が確立されたとされています。 大乗仏教に属する宗派でも、受ける戒律は有部律(上座部系の戒律)という場合もありますから、そういう宗派では、形式上(?)戒律として肉食の禁忌はない、ということにはなります。それでも、肉食は禁忌とされ、少なくとも道場に入った際には、精進となるようです。 大乗仏教の「慈悲」の実践としての不殺生の拡大・徹底が、肉食禁忌に至った要因の一つだというのは、確かだと思います。 自分の知るところはこういうところです。では。
お礼
早速ありがとうございました。 確かに大乗仏教の慈悲の精神、というのが公式見解になると思いますが…、もう少し突っ込んでお尋ねしてよろしいでしょうか。 インドでは肉食が中国よりも問題にならなかったということですが、ご紹介して頂いた経典はインドでできたものだそうですね。No.3の方のご紹介された回答もあわせて考えると、インドの仏教集団は他人のもらい物で生活することを選んだので、本当は食べたくない肉も食べざるを得なかったということだと思います。そうすると、お坊さんの側が「肉を食べない」と宣言できるようになって、一般民衆もそれを認めるようになったということは、大乗仏教になる頃にはお坊さんの側がかなり優位な立場を確立していたということでしょうか。自分たちの食べる分とは別に、托鉢用に肉のないものをわざわざ作ったり、さらにはお説教を聴くうちに民衆の食事も段々肉なしになっていったりしたんでしょうか。いろいろ書いてすみません。おわかりになればよろしくお願いします。
お礼
わざわざ補足して頂いてありがとうございます。 インドの大乗仏教教団については不明なところが多いのですか。なるほど、あまり情報が手に入らないわけですね。 >在家信者は単なる信者ではなく、僧(=僧伽・教団)を構成し これは全然知りませんでした。教団という組織の中に在家信者も含まれるなら、確かに意思疎通はスムーズになりますね。ただお坊さんと信者の混在状態はちょっと想像しにくいというか具体イメージが浮かびにくいですが。それは、 >布施を仲介・分配する、事務方や、まかない方のような役割の人もいたのでは 寺(精舎?)に住み込む、昔の言葉で言うと「寺男」みたいな感じでお坊さんと全くの一般人の間に中間層ができたということなのでしょうか。 どうもありがとうございました。