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日本における仏教の将来は?
縁あってカトリックの洗礼を受けていますが、仏教はじめ宗教全般にも親近感を感じている者です。 本日、私は、ある仏教団体の主催する講演会に行ってきました。大変面白く、ためになりましたが、周りを見渡すと、お坊さんを除いた一般の観衆の中では、50代の私でさえ、若く感じられた方で、かなり年配のいかにも「仏教徒」という感じの方ばかりで、若い人の姿はほとんどみかけませんでした。 仏教には、今若い一般信徒はあまりいないのでしょうか? (仏教には、キリスト教の「洗礼」のように入信の儀式がなく、「仏教徒」かどうかの定義は難しいと思いますが、一体、日頃からお寺に出入りされているような、真の「仏教徒」はどの位おられるのでしょうか?) そして、その年齢構成はやはり老>若なのでしょうか? 一般のお寺は、葬式以外に、信徒、具体的には檀家とどのようにおつきあいをし、お寺への誘致活動を行っているのでしょうか? (キリスト教のように、毎日曜日のミサ・礼拝などの定期的イベントを持っているようには見えないのですが、どのような信徒(檀家)特に若者を対象とした活動を行っているのでしょうか?) 「創価学会」、「立正佼成会」、「真如苑」などの仏教系の新宗教と比べても、組織的活動が希薄で、葬式の世話などだけでは、今後、信徒(檀家)も増えず、先細りだと思うのですが、仏教界は危機意識を持っていないのでしょうか? 尚、このサイトにも「宗教」関係の質問をする適当なカテがなく、せいぜい近いのは「哲学」か「その他カルチャー」位しかないのは、日本で如何に宗教が軽んじられ、うさんくさがられているかの証明のような気がします。宗教は人間の生き方を考え、心の浄化を助けるためになくてはならないものだと思います。歴史上「宗教」を「錦の御旗」に掲げて世界侵略を進めたり、今でも宗教・民族間の戦争が絶えないのは、全く本末転倒なことだと思いますが、近年は「宗教」の名を騙って世の中に危害をもたらすカルト団体も後を絶たず、宗教が人を惑わす危険なもの、というだけの印象しか与えていないのは誠に残念なことだと思います。 一体、仏教はこのような現代にあって、社会のニーズにあまり応えることのできない弱小宗教なのでしょうか? 僧職におありの方、我こそは「仏教徒」と任じておられる方、葬式しかつきあいのない一般の皆さん、他宗教の信者の方、宗教に懐疑的な方など、広くご意見をお願いします。
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>一体、仏教はこのような現代にあって、社会のニーズにあまり応えることのできない弱小宗教なのでしょうか? 私自身何かに帰依する者ではありませんが、決してそう決め付けられるものでもないと思いますよ。 書店に行けばあらゆる宗教・宗派に関する本を手にすることができます。 心に迷いや悩みがあって、宗教家の著書に触れようとする人も少なくないはずです。 ネット上でも数多くのお寺やお坊さんのサイトで心の薬になる文章に出会う事ができます。 実際の「潜在需要」は我々が想像する以上に多いのだろうと思いますが、書籍やウェブサイト、それにせいぜい日曜早朝のテレビやラジオの番組に接するあたりで踏み止まっているようです。 歴史を振り返ってみると、多くの庶民の悩み苦しみを受容し支持された「鎌倉仏教」の時代、禁教政策の手段として権力に利用されまた庇護を受けた「寺請制度」、明治維新後の「国家神道」政策の下の「廃仏毀釈」やキリスト教の広まり、第二次大戦後の占領政策に影響された歴史的価値観を軽視する風潮などが絡んでくるように思います。 その中で多くの人の指摘するところですが「寺請制度」による仏教の変質が後世に大きな悪影響を与えているように思えてなりません。 私もある曹洞宗のお坊さんの著書を何冊か読みました。 様々な仏典や聖書にも精通された方で、人間の心理の不思議を明快に解き明かしていています。 宗教書というより哲学書というべき内容だと思いました。 非常に禅というものに親近感を覚えるきっかけになりました。 一方、かなり前にテレビで有名になった禅寺の住職ですが、禅僧であるにもかかわらず除霊と称して祈祷を行っていたり、高級な欧州車を乗り回したり、ある時にはステーキハウスでワインを飲んでいたりとテレビを見ていて吐き気を覚えました。 「坊主なんてこんなものか」と思った人も少なくないでしょう。 その後詐欺か何かで捕まったようですが、破門にもならずまだ住職の地位にあるのでしょうか? 赤ん坊が生まれたらお宮参り、七五三、形だけの初詣、結婚式の時は俄かクリスチャン、亡くなれば仏様という世相では、なかなかどこかの宗教に帰依しようという動機は少ないですね。 また、宗教の本を読んでも実家が他宗派の檀家だったりするとなかなか積極的には入り込めないような部分もあると思います。 やはり最大の要因は、お寺や教会に出入りし、宗教家から「心を射止められる」機会が殆どないことだと思います。
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私は現在のところ「葬式しかつきあいのない一般の皆さん」に該当すると思います。 仏教界に詳しくはありませんので、活動等の回答は不可能ですが、家族構成も単身もしくは夫婦のみ(それも不仲なケース多い)が多いので、内心孤独な方は多いと思います。 いざ救いを求めたいとき、多くの人が行きたいと思うのは、キリスト教や新興仏教宗教より、昔からの(親・祖父母が信仰していた)昔からの仏教だと思います。普段訪れる人が少なくても、寺があり受け入れる体制がある限り、決して弱小ではないと思います。 ただ、経済的な側面から考えると、檀家制度等の改革は必要なのかもしれません。
お礼
仏教は伝統的に「檀家」という「家」を相手にして、信徒を組織化してきました。しかし、昨今は地方から都会への人口流出と核家族化、単身化という流れの中で、地方は高齢化し、檀家に残ったのも高齢者ばかりだと思います。では、都会にきた新しい若い家族や単身者を相手にしているかというと、積極的な宣教をしてきたわけではなし(新興宗教じゃあるまいし、あまり街頭や公共の場での信仰への誘いというのには乗りにくいし、あまり気が進まないし・・・私も嫌ですし・・・)かといって何か伝を頼っての信徒の拡販といっても、雲をつかむようで・・・後は、何か魅力あるイベントを使って人を引き寄せるか・・・・いやいや、何といっても今はネットですよね。 潜在的にはおっしゃる通り先祖の親しんできた仏教には親近感を抱いているはずですから、何とか彼らの魂に訴えるものを出していく必要があるでしょうね。
補足
もっと回答を頂きたい所ですが、後続回答がないので、締め切らせて頂きます。この場を借りて、回答頂いた皆様に改めてお礼を言います。 尚、この続きは、カテを「哲学」(「宗教」カテがないので)に移して、「仏教は若者にアピールしようとしているのか?」という新設質問を立てますので、よろしかったらご訪問ください。
宗教に関する考え方が他の国と比較して軽いと言うか鷹揚というかなんでもありと言うのは日本人の特徴でしょうね。 都合の良い部分だけ取り入れる感じです。 神道でさえその昔は仏教伝来の時にゴチャ混ぜになって信仰されたくらいですからね。 葬式仏教は日本における仏教の形で大乗仏教の1つでしょう。 そんな事を言い出せばキリスト教は結婚キリスト教です。 大手の結婚式場はこぞってチャペルを作っています。 カソリック、プロテスタント、東方正教以外のあまたある亜流の一派が日本の結婚キリスト教の現状でしょう。 神道は季節行事宗教ですね。 イスラム教もその内取り込まれると思いますよ。 『ラマダン(断食月)』 断食でダイエットに効果があるなんて言い出せばあっという間に広がってしまいます。 きっと原理主義からみるととんでもない戒律破りでしょうね。 日本人は懐が広いんです。 何でもありの国民性ですから。
お礼
よくも悪くも宗教に対して鷹揚であるというのは、日本の特徴でしょう。特定の宗教に固執し、他を排他的に扱うようなのは、嫌なので、鷹揚なのは大いに結構ですが、それにしても、最近は宗教を軽んじすぎだと思います。 懐が広いと言うなら、葬式は仏教、結婚式ならキリスト教、という一面的なつきあいはやめて、もっと奥をのぞいてほしいと思います。「広く浅く」から進んで「広く深く」極めましょうよ!
今のところ、仏教には葬儀・祭祀しか期待してないです。 「敬して遠ざかる」というスタンスの人が多いんじゃないでしょうか。あまり親しくなると多額のお布施とかかかりそうだし・・・ それに、生臭なお寺さんも多いですよね。 若い頃は教員でもして、住職を継いだら乗り回す車は外車。 宗教法人の税金優遇を良いことに副業で幼稚園経営。あるいは市議・県議に立候補。 デップリと脹らんだビール腹では修行も何もないでしょう。 仏教者なら法事の料理を残すなと言いたい。毎日そんな料理で、辟易するのも分かりますけど。 業者と組んでお墓やお仏壇を斡旋するのも健全でしょうか。 今のお寺は既得権益化してると思います。なにかというと金がかかりすぎます。戒名つけるだけで百万というのはね・・・ 「先ず隗より始めよ」と言います。 檀家はお寺さんの言動をよく見てます。 教えを説くには、お寺さんご自身が身を以って示さなければ、人はついてこないように思います。 妻帯するなとかアルコールや肉を全く口にするなとは言えません。でも今のお寺は特殊な方向で世俗的になりすぎていると思います。 ニュースで荒行を成し遂げるお坊さんを見ると、素直にすごいと思いますし、徳の高い人格者のお寺さんも確かにいます。悪い面ばかりをあげつらうのはフェアじゃないですね。 つたない回答ですみません。
お礼
>「敬して遠ざかる」というスタンスの人が多いんじゃないでしょうか。あまり親しくなると多額のお布施とかかかりそうだし・・・ ・・・というのが大多数の日本人の現状ではないかと思います。 積極的に関わっている人はごく少数なのではないでしょうか? お寺さんの方も、おっしゃっているような状況とそう違いはないように見えますね。 初心に帰って、我々を導いていただきたいというのが正直な所です。 多くの場合、僧職が世襲になっており、中には向いてない方もおられるのではないか、という気もしますが・・・。 私は、近くの禅寺で、月2回早朝開かれる坐禅の会に通っていましたが、家が遠くなったので、現在休止中です。
お礼
やはり潜在需要は相当高いと思います。ネットでも心洗われる文章などに接することがよくありますね。 私も禅宗の高僧のお話を聞く機会や坐禅を組む機会があり、多くの影響を受けたと思います。 一方では堕落したり、既得権に肥えた僧侶が多くなり、仏教に対するイメージが悪化し、残念なことだと思っています。 世襲も必ずしも良くないと思います、親が僧職か否かを問わず、仏教系大学の入試を難しくしたり、僧職の免許(というのがあるのかどうか)の資格審査をもっと厳正にする必要があるように思いますが・・・。
補足
お礼で書き忘れましたが、最近定年を迎えた男性達が、僧侶にあこがれて、実際になるケースもある由。又外国人で僧侶になる方もおられますね。このようにどんどん外部のやる気のある人の血を入れる必要があるのではないでしょうか?