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日本に仏教が広まったわけ
教養の一環として質問させてください。 仏教が日本に広まったのは政治的な理由であることは 昔々の歴史の授業で習いましたが(^^) 仏教を国教にしようとしたことでどんなメリットがあったのでしょうか?また、自然信仰だった日本人が仏教を受け入れられたのはなぜでしょうか?
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「メリット」 仏教を取り入れるメリットは中国追随型の国家にする所にあったと思います。 崇仏派の藤原鎌足は幼少時代から中国発の学問取得に熱心で、 政治制度を中国型にすることに生涯を費やしたと言っても良いです。 当時の中国は唐。中国では、唐の前の随から 仏教が国教のような存在になり、唐代は最も仏教が進化した時代です。 中国の政治スタイルを学び取り入れるためには、 仏教を欠かすことはできませんでした。 当時、日本は白村江で新羅と唐の連合軍にボロ負けした後で、 遣唐使も中断していました。 朝廷とその周辺には朝鮮半島派と中国派がおり、 かなりの政治闘争があったのですが、その勝者が 藤原鎌足を中心とする一派です。 「普及」 天皇が受入れ、貴族がそれに追随したので、 権力の中枢に近づくためには仏教が必要だったこともあり、 いわゆるトップダウン型の普及があったことは確かですが、 下々の者達が仏教を受入れたのは単純です。 信仰は仏教的な言葉で言えば現世利益のためにやるもので、 他の宗教を信仰していてもそれは同じことです。 既存の宗教より強い効力があれば、そちらに乗り換えるのは普通のことです。 仏教の場合、治水事業や病気治療の技術を持った僧が 全国各地を回り、明らかな現世利益を施したので、 急速に普及しました。 この方法論はいつの時代にもどの宗教でも登場していますが、 たぶん最初は行基あたりだったでしょう。 現世は苦労しても来世で、というのは信仰が普及した後に受入れられた思想だと思います。
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- kumagorou-raamen
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>自然信仰だった日本人が仏教を受け入れられたのはなぜでしょうか? 仏教受容の理由としてまず基本的に思想的な土壌が上げられます。 それはみなさんが指摘されている古代神道の多神教的柔軟性の他に、 仏教が持つ受容性が上げられると思います。 仏教はキリスト教やイスラム教の様に一神教に見られる排他性がほとんど在りません。 実際に、ずいぶん後になりくますが、1543にキリスト教が日本に流入しましたが、 当時の記録を読むと宣教師達は仏教と神道を激しく排撃し宗論を仕掛けており、 結果的に当時の神道からも敵対視されています。 御存じの様に初期仏教は蘇我氏等の渡来系部族により保護されますが、 物部氏等神道系の氏族の攻撃を受けたとは言え 仏教自身の教義にも神道を排撃する要素はほとんど在りませんでした。 結果的に仏教・神道両派の柔軟性と融通性が基本と成り 対立要素と成らず吸収されたと言う事が上げられると思います。 その思想的前提をしての相互の柔軟性に立脚する形で、 僧侶がテクノクラートとして中国からの土木・農業技術を広め指導した事や 仏教に付帯する仏教建築・仏教美術等が持つ人工テクノロジーの先進性等が 日本人を魅了した事により「実益」として 民衆心理に認識され、実利的な信仰対象として許容された事があります。 そうした現実を旨く利用しながら 政治的には 自然の相対としての人工物である「国家システム運営」という点において 鎮護国家という仏教によって国家システムを精神的・信仰的に守り安泰にするという考え方が 日本民衆に「国家意識」を根付かせる為にも重要であり、 支配階級のにおいても法華経・仁王般若経・金光明最勝王経などの 護国経典を読誦し、種々の修法を行うことで国家の災いを鎮め安全を守ろうとする 呪術的国家システム保護の必要性が在りました。 >仏教を国教にしようとしたことでどんなメリット? メリットとは将に上記の支配階級における呪術的国家安全保障と 被支配階級に対して国家システムへの帰依と思想的補強を強く働かせる効果を 仏教が持ち合わせていた事が上げられると思います。 仏教が後に戸籍制度や国家体制護持に現実のシステムとしても 精神支配と言う面からも有効であった事は後の様々な歴史が能弁に語っています。
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ありがとうございました。
- jamiru
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たしかに中央集権国家建設の為の「道具」でした。 そのために仏教利権が生まれ、民衆に仏教系の関連施設の建設を強要し、過酷な使役を課しました。 そして豪族は仏教を盾に重税を課す政府に対して反乱を起こします。 これが壬申の乱です。 これにより地方はある程度の独立自治を得ます。 それと同時に明治まで自然崇拝と仏教の共存が始まります。
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- Bird1979
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#1さん、ご指摘のように、まずは「仏法の功徳」ですね。 また、 古代豪族は、それぞれ一族の神を氏神として信仰・崇拝していました。たとえば、物部氏の石上神宮(布都斯御魂大神を祀る)のように。 7C初頭、聖徳太子(実在は疑問視する向きもありますが)は、天皇を中心とした中央集権国家の建設を構想したとされています。この構想実現にあたっては、諸豪族の力を抑え、独立性をそぎ落としていく必要がありました。したがって、諸豪族がそれぞれの氏神を祀るような独自性は、中央主権国家建設の阻害要因であったと考えられます。ゆえに、独自性を奪い、仏教という均質的な宗教が有用であったと考えられます。 >自然信仰だった日本人が仏教を受け入れられたのはなぜでしょうか もともと自然信仰は、一神教と異なり、さまざまな神、霊の存在を前提とし受け入れます。したがって、仏教も「さまざまな神の一つ」として受け入れられていきます。(もっとも物部氏から見れば邪神ですが) なお、日本古来の信仰である神道の神々(やおよろずの神)と、仏の関係は平安時代には融合(神仏習合)するとともに、(神と仏の「主従」をめぐって)「本地垂迹」の信仰(例えば八幡大菩薩信仰)を生み出していきます。(神と仏のいずれを主=本地とするかは、その人の信仰上の立場によって異なります)
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わかりやすかったです。ありがとうございました。
- tanuki4u
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仏教が、当時「ナウでかっこいい」流行だったからです。 身も蓋もない回答ですが、当時の先進国である、中国や朝鮮と互して外交をするには、それ相応の宗教(この場合、自然信仰ではなく、体系だった教義が必要)を持ってないと、相手にしてもらえないわけです。 この辺の宗教受容は、ヨーロッパ史における辺境国家の宗教受容と同等になります。 中央アジアにありました、カザールという国は、周りの一神教国家と互してつきあうために、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教を比較検討してユダヤ教を取り入れたそうです。 当時の日本においては、仏教以外に選択肢が無かったので、仏教を取り入れたのでしょう。
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- 6dou_rinne
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本来の仏教とはかけはなれますが現世利益ですね。 具体的に言うと仏の加護により王家や国家の安泰を図ったということでしょう。 ですから、物部守屋は仏を振興したために災害が起きたと廃仏をとなえますし、護仏派は仏を粗末に扱ったために災害が起きたと主張しています。 このような国家仏教は平安時代初期間で続き、一般民衆にまで仏教が広まるのは平安時代末期になって新仏教が出てきてからでした。
お礼
ありがとうございました。
お礼
わかりやすかったです。ありがとうございました。