こんばんは!!
宗教のことはさっぱり分かりませんが,得意の雑学から社会と歴史のジャンルから回答させていただきます。
。。。やはり,「和尚」の方が「坊主」より偉そうに聞こえます。。。
本来の語源では,坊主は「坊の主」ですから,お寺の代表者で,いわゆる住職のことです。ところが現実には,ご質問者様がおっしゃるように「坊主丸もうけ」「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とか「三日坊主」「生臭坊主」「競馬が外れてボウズ」などなど,悪い意味に使われています。
その観点からは,「和尚」の方が,尊敬の念を込めて使われていますよね。
なぜならば,ご存知のように,「和尚」はお釈迦様の僧院で,お坊さんの指導をした先生を意味する「オッシャー」が語源であり,しかも中国では,「穏やか」の和,「とうとい」の尚という字を字を充てたのでなおさらです。
また,日本では,朝廷が偉い僧や徳のある僧を「和尚」と呼んだのでいっそう権威のある呼び方になったのです。「坊主」の「坊」は語源的には,堤防の坊で水を防いだ堤で守られた街という意味です。その一角を占めるほど大きなお寺の長にはかないません。それがなぜ「和尚」よりも低い言い方になったのでしょうか。
1番の原因は,江戸時代になって,お寺が戸籍管理のお役所のような役目を帯びてしまったからです。つまり,葬儀や法事が決まったお寺でないとできないようになってしまいました。
こういう状況になると,布教をする必要も,修行を積むこともいらなくなって,中には酒とや遊びにふける僧も出てきました。彼らをさげすんだのが「ズボラ」という言葉です。修行もせずに遊んでいる「坊主ら=ボウズラ」の言葉を反転させて「ズボラメ」と言ってウサを晴らしました。こうして,ズボラはルーズでするべきことをちゃんとしない人を言うようになりました。
檀家制度は,一家を代表してお寺に帰依しますから,親族が良くまとまり,家族の結束が固くなるという利点があります。しかし,結果として,親族の誰かが信仰していれば大丈夫ということになり,本来の,個人を救済するという姿から離れてしまいました。現在でも,現実には葬式のときのための仏教ではないか,との批判もあるところです。
さらに,「お茶坊主」が生まれました。
戦国の世が終わり,江戸城の中は,大奥以外は女人禁制です。そこで講談で有名な河内山宗俊のように剃髪し小坊主の姿で,出仕の大名の給仕や使い走りをする職業ができました。彼らは,裏の世界の様子に詳しく,内密の駆け引きにたけていましたので,実際には,うさん臭く,ニセモノの坊主の印象を強める結果となりました。
こんな社会事情を踏まえた歴史の流れの中で,本来は立派な呼び名の「坊主」でも,印象が悪くなって来たのです。
ご質問者様のように「お坊様」とでも呼んでほしいですね!
お礼
回答ありがとうございます。 仏教の分からない人にとてもわかりやすくて助かりました。 NO2様がご専門家のようなのでとてもお詳しそうですが,回答者様のお答えが脳細胞にそのまま入りました。歴史的な経緯もわかりやすかったです。